第26話:暗闇からの脱出
セレアはテテオから離れ、黒焦げの地面へと進む。
代わりに──バルドがテテオの後ろに壁のように立つ。
ヒナタとコロンもテテオに寄り添い、
(あたしは頼れるお姉さんっ! これで安心できるよね~)
(でも……ドキドキさせちゃったり~?)
と、手を握ってあげていたが──
(うん、姉ちゃんとまったく同じ感じ──)
テテオは特に顔が赤くなることも、身体が強張ることもなく、
黒耳はごく普通に立ち、尻尾は穏やかに揺れていた。
セレアは黒焦げの縁から一歩ほど離れ、
短く詠唱すると──掲げた掌の上に、ふわりと水の膜が浮かぶ。
ゆらゆらと波打つ楕円形の膜を、両手の人差し指でしなやかに扱い、大きさを変えていく。
「……うわぁ、なんか綺麗……」
ぽかんと口を開けたテテオの呟きに、
隣にいたヒナタが少し膝を折り、目線を合わせて微笑んだ。
「あれは中級水魔法の『水鏡』ってやつ」
「映り込んだ景色をちょっとのMPで記録できて、観る時はMPを使わない優れものなんだよ~」
「すっ、すごい……!」
「どんな冒険者パーティーでも、喉から手が出るほど欲しがるヤツだなぁ」
「そうなんですね──そうですよねっ!」
少年なら誰もが憧れる冒険者の実像に、テテオの黒い瞳がキラキラと輝く。
しかしすぐに──
(……あんな焦げ跡……焚火なんかじゃないよね……)
(それにこの臭いも……生き物が焼かれた痕なんだ……)
獣人としての鋭い嗅覚が──残酷な現実を否応なく突きつけていた。
ピンと立っていた黒耳が横に伏し、尻尾がだらんと垂れる。
バルドの瞳がその変化を逃さず捉えると──
大きな手をテテオの両肩に乗せ、グッと力を込める。
「──っ」
少し驚いて振り返るテテオへ、バルドは豪快にニカッと笑顔を見せた。
すると、黒耳が起き上がり、尻尾がまた穏やかに揺れ始めた。
セレアが黒焦げの地面へと進むのを見て、バルドも大股で向かって行く。
テテオの横には、ヒナタとコロンがそのままそっと付き添う。
「終わった──記録」
「おう、お疲れ! で、どうだ?」
セレアは焦土を指先で検分しながら、抑揚のない声で答えた。
「ん……私の知識では推測しかできない……解明は不可能」
「そうか……そんなことがあるのか……さすがは人類未踏の地ってことか」
バルドは腕を組み、足元を見下ろして重く唸る。
「まず、争った形跡はあるのに、足跡が一種類」
「ふむ──ここの小さい足跡は?」
「それは……争いではなく、ただ歩いただけの足跡」
「そうか、後から通っただけか」
「なんの足跡だ、これ?……ホーンラビットでもないし……」
バルドは膝を折り、土に残った痕跡をじっと覗き込んだ。
「この獣の縁取り、ここの背中側の一部だけ──円形にガラス化」
セレアの細い指先が、ツルリと光沢を放つ土の表面を撫でる。
「土が溶けて、また固まった……?」
「そんなの、コロンの『火弾』、ゴブリンメイジとかの『ファイアーボール』でできたか?」
セレアは静かに首を振った。瑠璃銀の髪がさらりと揺れる。
「炸裂系では無理──」
「これは、高温の炎を長時間浴びせた結果……」
「じゃあ、炎のブレスを吐く魔物とかか……」
「焦げ跡の形状からも、そう考えるのが妥当」
「そんなの……ドラゴン、サラマンダーぐらいじゃ……!?」
「ランスホーネットどころじゃない、かなりヤバいやつがいるな……」
バルドの口から漏れた、あまりにも巨大な魔物の名。
離れた場所でも、大きな耳がその会話を捉えてしまい──テテオの顔から一瞬で血の気が引いていく。
(……ドラゴン……!?)
(……もしかして……僕、もう家に帰れない……?)
(父さん……母さん……)
最愛の両親の顔が脳裏を掠める。
テテオの黒耳は後ろへペタリと倒れ、尻尾は弱々しく垂れ下がり、ぶるぶると震えていた。
◇
黒焦げのトンネル──
大きく広げられた巨大ワームの消化管、その先端──
頭部から差し込む光は、炭化した肉壁に吸い込まれるように沈む。
頭部に開く口腔は、無数のナイフのような歯が、不規則に生え散らばっていた。
生えきったもの──生えかけのもの──高さも向きもバラバラで、壊れた歯車のように乱雑に並んでいる。
その数メートル奥──
(…………)
ハムマルは、
軽やかにぴょこっと上体を起こし、
短い後ろ足を投げ出すように、
お腹をふくっとさせながら座り込んだ。
そして、ホッと息を吐くと──
(勝った!! 出られる!)
なだらかな肩をぷるぷる揺らす。
そして──
金色の夕光を滲ませる蒸気の中で、両前足を高々と突き上げた。
──その朱色になった小さな手は、やっと耳の先に届くかどうかという位置。
それでも、ハムマルにとっては全力のガッツポーズだった。
咽るほどの焦げた肉の匂いを含む蒸気が、消化管から昇るワームの頭部。
夕日に瞳を輝かせ──短い四肢を踏み出す。
外の景色を意識するたび、身体がそわそわと震える。
(……慌てない、慎重に……)
(外に出るまでは油断しないで……)
まばらに残るナイフのような歯を、しっかり見据えて進む。
だが──最初に踏み込んだ口腔の肉の下に、新しい歯が生え始めていた。
──“チクッ”
痛みが走り、毛並みがびくんと跳ねる。
(──っツ!)
すると、“デデーン”という重い効果音が脳裏に響き、視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
──『状態:麻痺/[蜂のアイコン]』
(ちょっ!?)
驚いて上体を起こすハムマル。
身体はそのまま硬直し──後ろへコロンと倒れた。
短い四肢が空を切り、
毛並みがふぁっと流れる。
(こいつ──麻痺まで持ってるのか!)
(あんな威力で歯を飛ばして、さらに麻痺ってなんなんだよ!!)
そのまま、焼け焦げた消化管の奥へと転がる。
蒸気が白い尾を引き、視界がくるり、くるりと回転した。
黒焦げの消化管の中ほどまで転がり、仰向けで四肢は上に伸びて硬直していた。
(……麻痺毒だよね? 『炎化身』なら、焼き切れるはず……)
(MPはゼロだけど……今なら自然回復できそう……)
ため息のついでに深呼吸しようとしたが──
(息ができない!?)
(これって……呼吸系も麻痺してる……?)
(そんなの──この身体じゃなかったら致死攻撃じゃん!)
(ゲームとかなら麻痺は動けないだけでしょ……なんて恐ろしいヤツ……)
そのまましばらく動けないままでいた。
(……くそぉ……)
(……はやく解けろよ……)
(MPもゼロのまま……やっぱり呼吸が必要なんだ……)
トンネルの先から差していた夕日の金色が──
収縮し始めた消化管に阻まれ、すうっと細い光の線へと削られていく。
(……夜になっちゃった……?)
と同時に、背中に貼りつく肉壁から、じわじわと強い熱が伝わり始めていた。
黒焦げの肉壁には、まだ膨大な熱が残り、
ハムマルをぶすぶすと温め──収縮での狭まりと共に熱回復が強まる。
(背中が温かい……っていうか、どんどん温かくなってる?)
すると、“チリンッ”という澄んだ効果音が脳裏に鳴り、視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
──『状態:普通/[蜂のアイコン]』
(!!)
(熱で麻痺毒を焼き切った……?)
(よし! もう一度上に──)
しかし、消化管がまた──“ギュムッ”とハムマルを押しつける。
(へっ?)
(あれ?……なんなのこれ!)
(倒したんじゃん! なんで力入ってくるの!?)
圧迫はどんどん強くなっていく。
丸い体が、ぎゅむうっと踏まれるように変形する。
(痛たたた! さっきより強いかも!)
圧迫のダメージと、熱回復がせめぎ合う。
──『HP:73/112』
減り、
増え、
──『HP:74/112』
また減り、
また増え、
また減り、
──『HP:72/112』
ハムマルは、まぶたの裏のステータスウィンドウを凝視する。
(……徐々に回復が負けてきてる……!)
(圧しつけが強くなってる……?)
数字は目まぐるしく揺れる。
(これ、死後硬直とかで、どんどん強くなるんじゃ……!)
(……それでつぶれて……)
(うわあああ! いやだあああああーー!!)
ほんの少し前、夕日に輝いていた丸い瞳は、また線のように固く閉じられていた。
──弾けた歓喜の余韻が、無情な冷たい波にさらわれていく。
(……喜びのあとに、すぐ落胆……もう何回目だろ……)
その苦い想いが、黒焦げの肉壁のように、じわりと胸の奥へ焼けついていく。
(このままつぶれるのか……)
(奇跡的に……他の魔物が来て、このワームの死骸を魔石化してくれれば……)
(でも……それだとMPないから……その魔物に間違いなくやられる……)
どちらにしても、助かる未来は見えなかった。
しかし──
……
…………
………………
(自分で魔石化すればいいじゃん!!)
(内側からだってできるはず──触れてるし!)
圧しつけられている体がぷるっと震える。
ハムマルはすぐに──
(……頼む……!)
(魔石化!!)
だが──それは、とても安易な行動だった。




