第25話:獣形の焦げ跡と冒険者
ホロのついた小さめの荷馬車が、
荒れ放題で街道と呼ぶには粗末な──古い街道を外れ、草原に乗り上げていく。
荷馬車の先頭には、頭の高さが女性の背丈ぐらいの、小さめの農耕馬が収まる。
太い脚、茶色の丸っこい背中、白く長いたてがみは──首のほとんどと眼も覆っている。
その少し後ろ──御者席の横では、バルドも荷馬車を掴み引っ張っていた。
その巨体は、農耕馬より頭二つほど大きく、
長大な剣を背負い、重厚な盾は肩当に引っ掛けて手にしたまま──
(よいっせぇ!)
バルドの足元が、ミシミシと音を立てる。
反対側には、農耕馬と同じぐらいの背丈のヒナタが──
腰の両側に脇差しを携え、両手で荷馬車を掴んで、後ろ向きに引っ張る。
「車輪が重い……いや、動き出せばそうでもない……?」
「そうだなっ、思ったより!」
「荒野まで行けば、もっと楽になるはず……!」
従魔のコロンは、ヒナタの傍を尻尾を振りながらついて行く。
御者席では、テテオが手綱を握り身を強張らせている。
黒髪の上で、大きな三角耳もぴくぴくと揺れ動く。
なぜなら──
(……姉ちゃんと……違う……)
(白くて、細くて、花のような甘い香りがして……)
すぐ横にセレアが寄り添うように座り、瑠璃銀の長い髪を揺らしていた。
(テテオを守る……私たちの身体も盾)
荷馬車は草を踏みしだき、道なき草の海をグイグイと進む。
◇
抜けるような青い空──
風に波打つ草の海原を、サラサラと葉擦れの音が流れていく。
農耕馬とバルドが力強く踏みしめるたび、青々とした匂いが辺りに漂う。
「そういえば~音変わってない~?」
前のめりの姿勢だが──荷馬車に手を添えているだけのヒナタが呟く。
「なんの?」
荷馬車の枠を掴む太い腕の筋肉を隆起させながら、バルドが振り返らず応じた。
御者席でセレアが、テテオの大きな耳を視界に入れながら、抑揚のない声を落とす。
「たぶん、バッドステータスの音」
「うんうん」
ヒナタが満足そうに頷くと、テテオが遠慮がちに小さな口を開いた。
「……たしか、“デデーン”って……」
「そうそう、それ!」
ヒナタが御者席に顔を向けると、セレアが淡々と眉をひそめた。
「あれ、すごく不快……悪趣味」
「ね~、あんな嫌な音、この世にあるんだってぐらい」
「そうだったか?」
首を傾げるバルド。
ヒナタはもはや荷馬車から手を離し、記憶を辿るように指先を顎にあてた。
「前は、太鼓みたいな音で……えっと~」
「……ドッドン……」
「そうそう、それ! やっぱテテオは音に強いね!」
「えへへ」
褒められたテテオの黒耳が、嬉しそうにぴこりと揺れる。
セレアの瞳も黒耳に合わせてぴくっと揺れる。
だが、バルドは不思議そうに眉を寄せた。
「テテオもバッドステータスになったことがあるのか?」
「さっきのマーキングは分かるが──もっと前なら、毒キノコでも食ったか?」
「えっ!?」
「えぇっ?」
ヒナタとセレアの動きがピタリと止まる。
テテオは少し肩をすくめ、首を小さく縦に振った。
「は、はい……えっと……風邪ひいた時とか……」
「そうか、病気でもバッドステータスになるのか」
さも感心したように頷くバルド。
その言葉に、ヒナタとセレアが同時に反応した。
「えっ!?」
「えぇっ?」
「は、はい……なります……」
戸惑うテテオに一瞬視線を向け、ヒナタが引きつった顔でバルドの方を見る。
「バルド……まさか……」
「ん~? 飯食って、鍛錬して、よく寝れば──」
「病気になんかならないだろ」
胸を張り、当然のように言い放つ巨漢。
ヒナタは額を押さえて声を絞り出した。
「…………なるよ」
「えっ!?」
「……バルド、ヤバい」
「バルドは中身が全部、筋肉」
セレアが冷ややかな視線を突き刺す。
「おーそうかもな、俺も親父も兄も弟も!」
豪快に笑い飛ばすバルドに対し、
セレアは無言のまま──ジトっと目を細めた。
「…………」
「それ、誉めてないから~!」
「えっ!?」
素で驚くバルドの姿と、三人の賑やかで乱暴なやり取りに、
テテオは目を丸く見開き──大きな黒い三角耳を後ろへペタッと倒していた。
そしてその耳は──セレアの視界にしっかりと入っていた。
その時──
「──あれは!?」
バルドは急に声を上げる。
(誤魔化した!)
(なんてベタ……)
呆れ顔で視線を交わすヒナタとセレア。
だが、純粋なテテオだけは目を丸くし、耳をぴこりと立て、首を伸ばした。
すると──
バルドは大股でドスドスと駆け出す。
急に引く手を失った荷馬車が、ギシリと鈍い音を立ててその場に停止する。
「げっ、マジな奴だった!?」
ヒナタとコロンは数歩駆け出すが、残る二人を気にして立ち止まった。
「黒い地面……!?」
御者席から身を乗り出したセレアが、珍しく声を揺らす。
(焚火の跡……? 人が居るの!?)
テテオは首を傾げ、黒い瞳を輝かせた。
駆け寄ったバルドの目の前には──
歪な楕円形──長細い雫のような形をした、黒い大地が広がっていた。
(火も煙もない……しばらく経っているか……)
(なんの跡だ……?)
その中央程には──
(……魔物同士の戦い、か……?)
他よりひと際黒く沈み込む、何かが炭化した滑らかな──獣の輪郭だけがあった。
(この死骸を縁取ったような痕、俺の二倍はありそうだな)
(焼けて全身から血が流れ出し──焦げついた?)
獣毛と獣脂の焦げた微かな匂いが鼻腔を掠める。
(──っと、セレアが写し取るまで荒しちゃダメだったな!)
(怒ると怖いからな……)
黒焦げの地面へうっかり踏み込みそうになり、バルドは慌てて足をひっこめた。
セレアは御者席からヒラリと降り立つと、テテオへ向けて両手を広げた。
(姉ちゃんみたい──)
テテオはふっと姉を思い出し、弾むように飛び降りる。
「──っ!」
だが着地で足元が狂い、そのままセレアの胸元へ飛び込んだ。
「ごっ、ごめなさ──!」
慌てて顔を上げ、真っ赤になって謝るテテオ。
だが、セレアは首を少し傾げ静かに微笑み、
そのままスッと背後に回ると、細い両腕を肩から回し、すっぽりと抱え込む。
「……あ、あの、もう大丈夫です……っ」
「転ばないで歩けます……から……」
頭一つ以上背の高いセレアに後ろから抱えられ、後頭部が胸元に当たるたび、テテオはさらに顔を赤くする。
「ん、この方が安全」
当のセレアは、頬に触れる大きな黒耳の感触に、密かに瞳を輝かせていた。
「は、はい……」
先行してバルドの元へ向かうヒナタとコロン。
その少し後ろを、セレアはテテオを抱えたまま、静かに歩みを進める。
セレアのスラリと伸びた長身に、彫刻のように整った容姿は、
最も美しい種族と自負するエルフすらたじろがせるほどの美貌で、地獄の死地に不釣り合いな佇まいを浮かべていた。




