第22話:ハムスターモンスターの星
暗闇とぬめりに囚われた姿勢のまま、
ハムマルは、まぶたの裏に浮かぶ緑の光を見つめ続けていた。
MPの自然回復を期待して待っている間、
ステータスウィンドウを開き──
(巨蜂のマーキングは、付けた相手の居場所が分かるスキルなのでは?)
スキル欄を開き──
(あのウルフのスキルは、臭いや気配を消すってやつなのかも?)
説明を開き、閉じ、また開き──
(この『戦痕の景香』ってスキル、香りで何が漂う?)
(“戦闘の痕跡”と、景色の“景”だから──)
(個体や血の匂いとかだけじゃなく……戦いの“光景”が残る……とか?)
(……いや、でも“香り”だしなぁ……さすがに映像ってわけには……)
ステータスウィンドウに戻り──
(普通のスターダストは、ステータスがたぶん全部“5”で……)
すると、身体の奥底から否定するような気配が滲む。
(!?)
(えっと──全部“5”じゃないとすると──)
(『知識』と『思考』が……もっと高いとか?)
すると、また否定するような気配が滲む。
(えぇっと……ってことは、低い方か……)
身体と会話するような奇妙な感覚に、鼻元のふくらみがぷくっとなる。
(……う~む……)
(ってことは、少なくともMPは“25”より低いから──)
(『第2コアスキル』の『炎化身』は使えないと……)
(進化したのも、俺が初めて……)
皮肉にも、敵に襲われる心配がないのは初めてだった。
(転生者の俺は知識も思考も高くて炎化身が使えて──)
(敵はそれを全く予期していなくて……勝てたと)
(……あいつら、普通のハムモンのことを、よく知ってるよな?)
(……それほど……日常的に狩られてる……?)
巨大ワームの体内という地獄の中で、ハムマルは初めて“熟考する時間”を持てていた。
そして──
その瞬間は、静かに訪れた。
──ステータスの『知識』が、ふっと光を帯びて“1”上がった。
ハムマルは、ステータス『知識』についても、考えを巡らせる。
(ん~……なんで『知識』が『思考』より低いんだろ?って……)
(俺は、思考力より知識量の方が自信あったのに)
PCモニターの光、積み上がった本の山──転生前の記憶が、脳裏にふわりと浮かぶ。
(実用書とか学術書をめっちゃ読んでたからね)
(漫画やラノベも……かなり読んでたけど……)
──情報に触れることだけが、あの頃の“世界”だった。
(たぶん、地球の知識って──)
(こっちで役に立たないのがワリとあって……)
(歴史や地理、世界情勢、娯楽、流行……で、その分目減りしたとか?)
腕組みしようとした前足が、ぴくりとも動かずに終わる。
(だから──この世界のことを知れば知るほど『知識』が上がる!)
(もし、知識がもう“1”上がれば──“炎化身”が使える!!)
──『MP:77/176』
──『知識:11(1up)』
その瞳の中の淡い緑光の文字が、意識の中で眩く脈打っていた。
しかし──
(知識をもう“1”……?)
(無理だよ……まだ転生して1日も経ってない……)
(むしろ、よく“1”上がったよってぐらい……)
身動きの取れないまま、全身からぐでっと力が抜ける。
すると──
全身に魔力が“シュワッ”と泡立つように湧き、すぐに元へ還っていった。
(急に勝手に!?)
(……魔力か……)
(そうか、まだ魔力のことが残ってたか!)
そして──
魔力をしゅわりと湧かせては、すうっと還し──
(地球に魔力なんてなかったし、なにをどう考えれば?)
(魔力ってどんなもの……?)
(……仮説すらない……)
しゅわりと湧かせては、すうっと還し──
(いや、心当たりが……)
(漫画とかの中!)
固く閉じた瞳──その間にしわを寄せるように眉間が膨らむ。
転生前に読みふけったファンタジーの物語が、古い紙芝居のように脳裏へ浮かび上がる。
(魔力を描いている物語は──)
(必ず身体に魔力の流れる道があるって設定で)
(そして、その流れを感じるのが最初の一歩)
魔力の発生源が身体のどこかにあり、
それが血流や気のように巡る、そんなイメージを脳裏に描く。
(その次の一歩は、流れを自分で操作して──)
(魔力を手の平とかに集めて──)
(呪文や魔法陣で魔法を発動する)
だが──その“最初の一歩”が、まったく掴めない。
魔力を湧かせても、
また湧かせても、
身体のどこにも、巡るような“脈動”すら残らなかった。
(……魔力の濃い場所なんてない……まったくムラがない)
魔力は、身体中で泡立つように一瞬で満ち、同じ速度で静かに還っていく。
(……湧く時間差もまったくない……全身同時に湧き上がる……)
それはまるで、
“流れ”という概念そのものが、最初から存在しないかのようだった。
──『HP:10/78』
(……魔力の流れなんてない……)
(もう、これ以上……なにも思い浮かばない……)
体と同じように──思考も出口のない迷路に閉じ込められていた。
(知識を上げるには外に出なければならず……)
(外に出るには知識を上げなくてはならない……)
鼻元のふくらみの下で、歯がかちかちと音を立てる。
(……もう、炎尾で足掻くしか……)
活路を求め、考え続けた。
この世界のこと、地球のこと。
(…………)
そして──
(……でも、なんのために……?)
(切り抜けても……切り抜けても……)
(同じ繰り返しになるだけじゃないの……?)
──思考は巡り、やがて現実感が薄れ、
(……俺……いったい、なにをしてるんだろう……)
──深い水の中へどこまでも沈んでいくように、
(地球で生きてて──こんな世界に生まれ変わって──)
(戦い続けて──巨大なワームの腹の中にいる──)
──ふわりと浮くような、静かに落ちるような、
(なんか──とても不思議な感じ──)
──肉壁の圧迫も──酸の痛みも──遠のいていく。
(……地球……)
(もし、今の俺を家族が知ったら、どう思うんだろうな……)
地球で過ごした日々が、
まぶたの裏に淡く浮かび上がる。
(……家族、か……まだ、ハッキリと顔を思い出せるよ……)
光の差す部屋、食事の香り、
明るい話し声、優しい笑顔──遠く、温かい記憶。
(ホント……なにしてるんだろう……)
体を丸め、うずくまりたくても、それすら叶わない。
(もう……十分じゃないかな……このまま……消えてしまっても……)
恐怖、絶望、悲哀、
それらほど強くはない──虚しさが──するりと忍び寄る。
ぬめる肉壁が貼りつき、
線のように閉じられたまぶたの下で、漆黒の瞳が小さく揺れていた。
しかし、
虚無に沈みかけていた意識を、どこからか呼び戻す気配があった。
身体の奥底から怒りの気配が滲み、沸々と魔力が湧く。
(…………)
魔力は還っては、また湧く。
(……戦いたがってる……?)
小さな身体のすべてから、魔力がぱちぱちと弾ける。
(……そういえば、最初から……)
(……こうやって……助けられていたような……?)
脳裏に、濃い灰色のウルフの巨躯が鮮明に蘇る。
(俺は喧嘩……どころか運動すらしたことなくて……)
(テレビで観た熊より遥かに恐ろしい姿を目の前に──)
(戦うどころか……動くことすらできなかったはず……)
(だから、こうやってずっと……身体が、後押ししてくれてたんだね)
まだ見ぬ同族を思い浮かべる。
それは、小さく、丸く、とても愛らしいシルエット。
(思えば──凄いモンスターだよ、ハムスターモンスターは)
(進化もできず、炎化身も使えず)
(間違いなく獲物側で──それでも、闘志を捨ててない)
そして、敵に囲まれ──ぽつんと佇む──獲物としての姿。
(俺がその獲物の運命を破る者──)
(ハムモンの星になれたら……よかったのにね……)
魔力が満ち、また還る。
(あははっ、凄いな……細胞の全てが激怒してるみたいだ……)
還っては満ち、満ちては還る。
(……そうだね……今度は俺が付き合うよ……)
それはまるで──心臓の鼓動のように──
ハムマルは──カッと目を見開いた。
顔に貼りつく消化管の壁も──
瞳を刺す酸の痛みも──もはや気にしなかった。
──閉塞感の中で、怒りが、魔力が、同時に沸騰する。
(なんか、俺も、ムカついてきたー!)
(超ムカつく!!)
(俺の自由を奪うのなら──相応の代償は払ってもらおう!)
──全身の細胞が一斉に跳ね起きる。
(さあ! 行こうかっ!)
(俺の身体──ハムスターモンスターのすべての細胞よ!)
(その一つ一つ、毛の先の一つぶまで! 魔力をぶちかませー!!)
(そして──!)
<『魔力認識』スキルを獲得しました>
(命を燃やせぇぇ──!!)
<進化条件『魔力認識』を達成しました>
(ぇぇぇ…………?)
<『スターオービット・ハムスターモンスター』に進化しました>
(???)
次の瞬間──
巨大ワームの体組織を越え──
星屑のような粒子がふわりと舞い──
キラキラと瞬きながら、ハムマルの体に纏っていった。




