第17話:嵌められた冒険者
足元に巨蜂の骸が転がる。
瑞々しく生命に満ちた青草の上で、その甲殻の無機質さが異彩を放っていた。
バルドは、右手の長く幅広の“両手剣”をザクッと地へ突き立て、それを支えにして屈み込む。
手袋越しに骸へそっと触れると、黄と黒の甲殻が一瞬で光の粒へと弾け、一個の八角形の魔石へと姿を変えた。
──その時、
頭上から、空気を重く震わせる重低音が迫ってきた。
もう聞き慣れた羽音──だが、鼓膜に届く音圧には、これまでと違う厚みが宿っている。
見上げる青空。
急降下してくる複数の影。
黄色と黒の模様が一気に鮮明になる。
「こんどは3匹か……!」
バルドは大剣を泥ごと無理やり引き抜き、低い姿勢で構える。
「あの感じは、間違いなく突っ込んでくるねっ!」
ヒナタは両手に握る脇差をだらりと下げ、脱力した構えで赤毛を風に揺らす。
「二人ともコアスキル、MPの温存は不要」
セレアは後方から冷静に提案すると、その細い指先に青い魔力の輝きを纏わせた。
「そうだな! 行くぞっ! “蛮勇!”」
バルドの踏みしめる青草がギシッと沈み込む。
自慢の怪力──筋力ステータスが跳ね上がり、ズッシリと重いはずの両手剣が、まるで片手剣のようにしなやかに跳ね上がった。
「よ~し、合わせるっ! “遊舞!”」
ヒナタの足元からふっと踏み込みの力感が消え去った。
持ち前の素早さ──敏捷ステータスが跳ね上がり、まるで舞を踊るかのような軽やかさで前へと滑り出していく。
バルドは急襲する巨蜂へ、重心を沈めて重厚な鉄の大楯を叩きつける。
光棘が放つ眩い黄光と、水属性エンチャントの青光が弾け、光の粒が周囲へ飛び散った。
大楯で刺突を繰り返す二匹を力任せに押し返していると、
もう一匹がしなやかに身をよじり、光のランスを横薙ぎに払ってきた。
「──おっと!」
だが、剣使いにとって不意の横薙ぎなど慌てるものではなく、バルドは大剣の刃を立てて軽く受け止める。
ヒナタも前衛へ歩み出る。
地を蹴る足音すらしない滑らかなステップで間合いを詰め、突き出される凶刃をすべて紙一重で躱し翻弄する。
手にする脇差が閃くたびに、ポロポロと触角や細い足が草の上へ落ちていった。
さらに──
ヒナタが死角を作ると、その背後からコロンが瞬間的に躍り出て『火弾』を放つ。
──“ボバッ!”
熱風が弾け、ランスホーネットは次々に羽を焼かれ、地表へ叩きつけられていった。
「コロンが羽を焼くのが最善手」
「うんうん、落としちゃえばハムモンでも倒せるよ~」
「火弾一発、“MP2”だっけか? コロンはこいつらの天敵なんじゃないか?」
「魔石でMP回復もできるしな!」
無傷で同時に三匹を倒し終えた三人は、確かな手ごたえを感じていた。
◇
バルドは膝に両手を突き、強がりな笑みを浮かべた。
「これなら……倒し続けて数を減らしていけば、活路が開けるかもしれないぞ!」
ヒナタも脇差を布でサッと拭い、カチッと心地よい音を立てて鞘に収めながら、頷く。
セレアは微風に瑠璃銀の髪を揺らし、足元に転がる八角形の魔石へ冷ややかな視線を落とす。
「見たことがある……過去に、マーキングを逆手にとってアイツらを狩り続けた、何人もの猛者の記録」
「なるほど、勝手に寄ってくるから待ち構えるわけか」
「砦でも構えておけば狩り放題だね~」
セレアの淡々とした言葉に、バルドとヒナタの顔にふっと笑顔が浮かんだ。
──だが、セレアはその続きを口にしなかった。
(ただし……その猛者たちも皆……10日以内に、謎の死……)
(まったく争った形跡のない室内で、おびただしい血痕を残して姿を消す結末……)
静かに口を閉じ、セレアの細い眉が微かに寄る。
「どうかしたか?」
不思議そうに顔を覗き込んでくるバルド。
「っ……!」
セレアは肩を小さく跳ねさせると、慌てて話題を変えた。
「赤くなった、マーキング」
「あっ、ホントだ~!」
ヒナタが自分の視界の端を指差した。
緑光のステータスウィンドウの中で、蜂のアイコンの背景が禍々しい赤色で塗りつぶされている。
「ふっ、お怒りだってことか──今さらだがなっ!」
バルドは大剣の柄をポンポンと叩き、頼もしい音を立てた。
「どうせ外すには、全部倒さなきゃならないし──」
「無抵抗で獲物になるのもお断り~」
「うん、そうだった……私たちには無関係」
セレアは静かに呟き、どこか遠くを追うように、少しの間、青空を見上げていた。
だが、バルドもヒナタも重々分かっていた。
(俺とヒナタを気遣って言ってくれたんだな──)
(国の軍すら手も足も出なかったバケモノ相手に、そんな甘い話があるわけない……)
三人の軽口は、少しでも前向きになるための、精いっぱいの空元気だった。
◇
簡素なホロの付いた荷台の陰から──
黒髪と黒い大きな三角の耳がのぞいていた。
黒い犬系の獣人──荷馬車の御者を任されていた12歳の少年テテオが、身を小さく縮こませて、固唾をのんで三人の戦いを見守っていた。
バルドは大剣を背の鞘へ収めると、荷台へ少し歩み寄り、声をかける。
「見てたかー?」
「荒野のモンスターも俺たちなら大丈夫だ!」
気弱そうなテテオを勇気づけようと、バルドは分厚い胸を叩いて笑ってみせた。
テテオはゆっくり荷台から顔を出すと、恐縮したように肩をすくめ、ぎこちなく微笑む。
「は、はい……」
「見てました──凄かったです!」
「みんな強い!!」
バルドとヒナタは顔を見合わせ、笑顔で頷き返す。
しかし──
それでも、テテオはすぐに視線を落とし、暗い表情に戻ってしまった。
「……あ、あの……」
「……ご、ごめんなさい……」
ぎゅっと両手で膝を抱え込み、顔を伏せたままの、消え入るような声。
「ん?」
首をかしげるバルド。
「……僕が、どこかで道を間違えたから……こんなことに……」
「あぁ、それは……」
バルドは一瞬言葉を詰まらせたが、ゆっくりと首を振った。
「……たぶんな、最初から違う道だったんだよ」
「えっ!?」
顔を上げたテテオが、目を丸くする。
「だからあいつらは引き返したし──」
「間違ってたと分かったから戻ってこなかった……これなかった」
「そうなんですね……」
自分の責任ではないと分かり、テテオの表情に安堵の色が戻る。
伏せられていた大きな黒耳が、ほっとしたように持ち上がった。
だが、その無垢な安堵を目にした三人の眉が、逆に苦しげにひそめられる。
そして、三人が最も聞きたくなかった言葉が、少年の口からこぼれ出た。
「あの……家にはいつ……あの、帰れそうですか……?」
「あぁ……うん、それはっ……」
バルドの口元が小さく引きつり、どう答えるべきか言葉に詰まる。
「アイツらのマーキングが付いたままじゃ、街には近づけないんだ……」
「……えっ……!?」
テテオは目を見開く。
「だから……あいつらを全滅させてからだな!」
バルドは力強く胸を張り、白い歯を見せて笑う。
「あたしたちに任せな~、これでも若手のホープなんだよっ」
ヒナタも笑って親指を立て、腰の鞘をポンと軽く叩いてみせる。
「は、はい!」
テテオは強張っていた肩の力がふっと抜け、とても穏やかな笑顔になった。
その無邪気でまっすぐな笑顔が、静かに三人の胸を突き刺した。
なぜなら──
バルドは既に気づいていた。
(これは、嵌められたな……くそっ!)
ギチッ……と、大楯を握りしめる手の中で皮手袋が歪な音を立てる。
商隊の護衛を引き受ける時からの、今思えば不可解な経緯が脳裏に巻き戻っていく。
急な頼みだった。
最近、目をかけてくれていた先輩冒険者から「代わりに行ってくれないか」と頭を下げられ、街でも名のある商家の依頼だったこともあって二つ返事で引き受けた。
「街道は、荒野の広がりに合わせて毎年新しく引き直される。 年々迂回がきつくなる」と、商人がぼやくのをよく耳にしていたし、古い街道へ誤って入らないよう、見張りを立てているのも知っていた。
割り当てられた荷馬車には、テテオと名乗る少年が御者見習いとして乗っていた。
街道の入り口には衛兵が数人立っていて、その内の一人が「正しい街道に誘導する」と前を歩いてくれた。
だから、完全に信用していたのだ。
少し進んだのち、他の荷馬車が「忘れ物を取りに戻る」「君たちは先に進んでくれ」と言い出した時も、違和感を覚えなかった。
“正しい街道”なら出現するモンスターも低級。
中級上位の自分たちなら、不用心だとは思わなかった。
(日頃の素行で信用されてる……なんて、自惚れてたんだ……)
いま思えば、マヌケとしか言いようがない。
苦々しさを振り払うように頭を振り、奥歯をギリッと噛みしめた。
そして──無言で視線を交わしたセレアとヒナタも、全く同じ察しに至っていた。
(間違いなく全員グル……迂闊)
(やられたよ……完全にわざとだ!)
さらに──その察しには、一つの苦渋の結論がつきまとう。
(俺たちのいざこざに……テテオを巻き込んだ……)
(テテオは、私たちを信じさせるための……ある意味、生贄……最悪)
(ごめんね……テテオは絶対に逃がしたかった……)
(一人残るバルドに背を向けられたのだって……次は自分だからと思ったから……)
テテオの小さな笑い声は、すでに風の中に溶けて消えていた。
一見のどかに見える、どこまでも美しい緑の海、青い空。
そこは、間違いなく死地だった。




