第16話:期待の新星だった冒険者
緑に輝き、風に波打つ草原が、
見渡す限りの地平の先まで、海のように広がる。
その上の、どこまでも青く抜ける空には──黄色と黒の影が不快な重低音を撒き散らしていた。
冒険者ギルドで“若手のホープ”と持てはやされる中級冒険者パーティー『闇裂きの銀環』。
上級の背中に手が届きかけていたはずの今──たった一匹の巨蜂を見上げ、息を呑んでいた。
リーダーの重戦士バルドは、視界の隅で光るステータスを睨みつける。
──『普通/[蜂のアイコン]』
眉間に皺が深く寄り、奥歯が“ギリッ”と音を立てる。
その緑光の表示の中で異彩を放つのは、冒険者たちが“死の烙印”と恐れおののく鮮烈な刻印──“ランスホーネットのマーキング”。
(──くそっ!)
汗ばんだ掌で、剣の柄を固く握り直す。
(俺がもっと考えて行動していれば……)
(セレア、ヒナタ、コロンと……なによりテテオは逃げられたはずなのに……!)
手にしているのは、“正しい街道”に出没する低級モンスターに合わせた軽装備のまま。
上空を滞空する黄と黒の影へ向け、右手の剣を何度も荒々しく振るう。
(……石をぶつけてヘイトさえ取れればって……安易に考えた)
(でもコイツは──)
ヒリつく喉の渇きと共に、その時の光景が脳裏に巻き戻る。
不快な羽音を落としながら、ジワジワと大きくなる上空の影。
荷馬車から一人飛び出し、「逃げろ」と叫んだ自分。
足元の石をいくつも拾い、影の下へと走り──頭上でピタリと停止した敵へ、無我夢中で石を投げつけた。
しかし──ランスホーネットは空しく頭上を通り過ぎていった。
どれほど剣を振るって威嚇しようと、喉を潰さんばかりに大声を張り上げようと、まるで意味をなさなかった。
そして、荷馬車を捨てて草原を必死に駆ける仲間たちへ向かい──その頭上でピタリと静止すると──あざ笑うかのように旋回し、再びこちらへ向かってきた。
(ヘイトは取れてた……が、マーキングが最優先だったと……)
(動きを止めなきゃダメだったのか……)
(『氷結』のスクロール一本でも用意していれば……っ!)
眼前に浮かぶランスホーネット。
その体躯の向こうに、引き返してくる仲間たちの姿が揺らいでいた。
すると──ランスホーネットの腹部が鋭く脈打った。
先端の棘から爆ぜる、眩い黄色の閃光。
自身の体長ほどの長さを誇る光のランス──『光棘』が、空気を切り裂いて伸び上がる。
間髪入れず、一直線に肉迫する光の軌跡。
(なっ──!?)
虚を突かれたバルドは、眼前に迫る光棘へ必死に長剣を叩きつける。
だが、打ち合うたびに火花が散り、鉄の粒がボロボロとこぼれていく。
──“ギイィィン!”
甲高い破砕音と共に、剣の重みがふっと消え──
折れ飛ぶ刀身の残骸。
バターのように貫かれる盾、
砕け散る肩当、
肩口から鮮血が舞う。
(装備も……あの羽音が聞こえた瞬間に換えておくべきだった……!)
さらに──
“デデーン”という重い効果音が脳裏に響き、視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
──『状態:毒/[蜂のアイコン]』
「っ──!!」
息を呑み、バルドは顔を歪めた。
(こいつ……毒まで……!)
抉られた肩口から、心臓の脈動に合わせ、焼けつくような激痛が全身に走る。
赤毛の女性剣士──ヒナタが先頭を駆け、まっすぐバルドの方へ向かっていく。
「──バルド! もう全員で戦うしかない!!」
「コロン、放て!」
叫びが上がる刹那──ヒナタの背後から、従魔である『フレイム・ハウンド』のコロンが躍り出た。
放たれるコアスキル『火弾』。
人の頭ほどの火球が空気を灼き、バルドと正対しているランスホーネットの背部に直撃する。
──“ボバァッ!”
虫の薄羽が赤く燃え上がり、草の上へ叩きつけられた。
それでもなお、腹部を丸めて光棘を振り回し、地を這いながら悪あがきを続ける。
とどめを刺そうと踏み込むヒナタ。
「ヒナタ、スキルが終わるまで待つのが最適解」
「っ……そうだった……!」
「さんきゅ~、セレア!」
瑠璃銀の髪を揺らし追いついた女性魔法使い──セレアが、膝をつくバルドの元へ駆け寄る。
「二人ともすまん……食い止められなかった……」
「うん、今は治療が最優先」
セレアは抑揚のない声で答えると、血に染まる傷口へスッと細い手をかざした。
「なっちゃったものは仕方がないよ~やるだけやろう!」
地に伏しもがくランスホーネットを睨みつけ、ヒナタは努めて明るく声を張った。
「……本当にすまん……」
「あっと、毒も……」
「うん、蜂だから……もう解毒済み」
“チリンッ”という澄んだ効果音がバルドの脳裏に鳴り、視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
──『状態:普通/[蜂のアイコン]』
「そ、そうか、そりゃそうか……さすがっ!」
バルドは少しうな垂れ、後頭部に大きな手を添えた。
セレアのいつも通りの冷たくも感じる口調を、少しも気に留めない。
淡々とした手際で処置を進めるセレア。
その整った輪郭には一切の感情がなく、何を思っているのかは付き合いの長いバルドでも読み取れない。
手元から伸びる淡い光だけが、傷口を穏やかに包んでいく。
だが──
(……あの状況では私が残るべき……)
(逃げられたのに……私以外全員)
傷にかざしたセレアの白い指先が、微かに震えていた。
(私ならいくらでもあった──コレを足止めする方法)
(いつも知識をひけらかしておいて……肝心な時には回らない頭……)
セレア、バルド、ヒナタの三人で賑やかに食卓を囲んでは、
自分の知識披露の途中で、二人が心地よさそうに寝落ちしていく──そんな穏やかな日々の光景が、脳裏を掠めていた。
地を這うランスホーネットの光のランスが掻き消えた。
ヒナタは隣のコロンへ、短く視線で合図を送った。
すかさずコロンが追加の『火弾』を数発叩きつける。
爆ぜる熱気と共に地表で焼き立てられ、ただ無様に身悶えを繰り返すランスホーネット。
(よし、MP切れっと──じゃあねっ!)
転がる腹部をしっかりと踏みつけ固定すると、自慢の“反りのある片刃の剣”を高く掲げ、細い首のつけ根へ振り下ろした。
──“ガッ!”
重く鈍い打撃音が響き、巨大な複眼から生気が途絶える。
一瞬遅れて、ころりと頭部が青草の上へ転がっていく。
(……硬っ……!)
斬り抜けた腕に残るしぶとい手応えに、ヒナタは苦々しく眉を歪めた。
だが──あの恐ろしい荒野のモンスターを打ち倒したという事実に、三人から安堵の息が漏れる。
「……やれたな!」
「それほどではないと言われている、単体なら」
「ホントにその通りだったね~」
単体ならば脅威度は低い──頭の片隅にあった知識。
それを今まさに証明してみせた実感が、三人の胸を絞めつけていた緊張の糸を、少しだけ緩めた。
──草を揺らし、新たな不快な羽音が、風に乗って耳腔を突いた。
「きたきた~!」
「あいつらのスキルは、触れたものを簡単に削っていく──」
「じゃあ、私はエンチャントと回復に専念」
治療を終えたバルドは、両手の装備を見るからに重そうな重装に変え──
一人、ずしりと前へ歩み出た。
セレアの手元から溢れる青い光が、水属性のエンチャントとなってバルドの武具を静かに包み込んでいく。
姿を現した二匹目のランスホーネットは、様子見もなく『光棘』を伸長させた。
──“ガッ!”、“ガギィ!”
「っし! これならいける!」
青い光膜を纏った剣と盾、そして重鎧が、光棘の激しい刺突に耐え切る。
すると、バルドの右側からヒナタが軽やかに跳躍した。
ランスホーネットが僅かに視線を向けたその瞬間、反対側の死角から飛び出したコロンが『火弾』を放つ。
羽を失い、地表で無様に身悶えする敵を見据え──
スキルの輝きが途切れる刹那、バルドが幅広の大剣を豪快に叩き込み、首を遠くへ跳ね飛ばした。
「見た目より硬くない~?」
「うーむ? よく分からんな……」
「さっすが! 戦士系上位の重戦士!」
「ふっふっふ!」
誇らしげに胸を張るバルドへ、ヒナタが笑顔を向ける。
「そういうヒナタも、剣士系上位の舞剣士だろ」
「まあね~」
明るく応えるヒナタ。
しかし──
その心の中は、軽やかな口調と表情とは裏腹に、どんよりとした暗雲に覆われていた。
(……私が残るべきだった……)
(さっきはバルドの勢いに押し切られて──)
脳裏に、あの不快な影が容赦なく近づいてきた瞬間の記憶が鮮明によみがえる。
(あの程度の高さなら、スキルを使えば余裕で届いた……)
(私が一気に飛び出して羽を叩いておけば、他のみんなは逃げられたのに……)
(なんのための素早さ特化の舞剣士だよって……)
両手の“無飾りの脇差”を握りしめると──
“ギリッ”と柄が軋む短い摩擦音が、掌中に跳ねた。




