第12話:怒りの空中突撃
ハムマルの丸っこい三角の耳がぴくりと動く。
──“ブゥゥゥン……!”
また、あの羽音が、
草原の奥から、低く唸るように近づいてきた。
羽音の方へ視線を向けると、それは一直線に突き進んでくる。
空中で一度も静止せず、ただ勢いのまま向かってくる。
(──ちょっ!?)
ハムマルは四肢で地を蹴り、距離を取ろうと駆ける。
しかし、その視界の端に映るのは、
みるみる迫る“新たな巨大蜂”の怒りの形相だった。
──感情はないと思えた虫の顔も、顎をガチガチと打ち鳴らし激昂を露わにしていた。
(マーキングってやっぱりそういう……)
──腹部の先端に、黄色い光が走り、“光棘”が鋭く輝く。
(殺意がどんどん高くなって──)
そう思った刹那──
ハムマルに巨大蜂の影が覆い被さった。
(刺されるっ!)
ハムマルは横に跳び、転がるように躱そうとする。
だが、巨大蜂は腹部を丸め──身をねじり──光棘を横なぎに振るった。
黄色い光の軌跡が、
地を跳ね、わずかに空中の、
毛並みがふわふわ揺れるハムマルの横腹へ、
吸い込まれるように──
──“ザクゥッ!”
(!!!)
(ヤバ!──ヤバぃ!──ヤバいぃ!!)
鋭い痛みが、横腹を走る。
胴体の三分の一ほどの深さで斬り抜かれていた。
人間としての知覚が強く残るハムマルにとって、それは“致命傷”としか思えなかった。
さらに──
“デデーン”という重い効果音が脳裏に響き、視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
──『状態:毒/[蜂のアイコン]』
(!?!?)
致命傷の感覚、毒に蝕まれる恐怖、
ハムマルの頭の中が──真っ白に染まった。
◇
横腹を押さえ、
ふらつく体を支えながら、
ハムマルはゆっくりと空を見上げた。
頭上10メートルほどの、
爽やかな青空の真ん中に──不愉快な二つの影が浮かんでいる。
ひとつは、脇腹を斬った“光棘”を残したままの巨大蜂。
そして、その隣に──もう1匹。
陽光を背に、二つの影は軽やかに漂い、
まるで勝利を確信した強者のように、ハムマルを見下ろしていた。
(……痛ぃ……)
──致命傷の感覚──これから毒が回るだろうという狼狽。
(毒なんて……どうしたら……)
(くそぉっ……!)
空の青さと、
雲の白さが、
やけに遠く感じられ──耳が後ろにぺたんと倒れる。
(毒を食らわせて、弱るのを待ってるんだ……)
(悠々と……文字通り、高みの見物ってやつか……)
自分が“狩られる側”だと突きつけられ、
この世界の理ともいうべき“その事実”を──悔しさと共に、頭のどこかが受け入れ始める。
──頭上で優雅に円を描く黄と黒の影。
(…………)
しかし──
その揺るぎない余裕を見上げた瞬間、
力の抜けかけた身体の奥底から、“ドクン”と激しい熱が跳ね上がった。
(……そうやって……)
(余裕ぶってられると思うなよ……)
二匹の敵を映すハムマルの瞳。
そこにあるのは、もう哀しみや悔しさではなかった。
ぺたんとしていた耳がピンと立つ。
伏せた瞳に輝きが戻り、鼻元のふくらみがむくっと盛り上がる。
(ムカつく!!)
(俺の自由を奪うのなら──)
(相応の代償は払ってもらおう!!)
──その昂ぶりに呼応するように、身体が本能をむき出しにし始めた。
全身の毛が逆立ち、
目は細く釣り上がり、
口を大きく開いて歯をむき出しにする。
さらに後ろ足で立ち上がると、
前足は爪を立て、
虚空を猛烈に引っ掻きまくり、
草を散らしながら、右へ左へとステップを踏む。
──“ッシャー! ッシャー!”
その声は、怒りと本能が混ざった獣の叫びだった。
(そう! 身体も戦いたがって……?)
(まてまてまて!? なにしてんの俺! 傷がひらく──)
慌てて横腹を押さえ直す。
しかし、指先に触れるはずの血の温度が──どこにもない。
それどころか、傷そのものが存在しなかった。
(……ええぇ……)
(もしかして、思ったより傷浅かった……?)
驚きにつぶらな瞳をより丸くし、もう一度、慎重に横腹をなぞる。
斬られたと思った箇所には──
前から横、そして後ろへと、ぐるりと一筋の“跡”があった。
(くっついてる? そんなすぐに? 内臓は?)
ハムマルは慌ててステータスを確認すると、
──『HP:40/54』
(!?)
(どうなってるの? この身体……??)
──“可愛さと多細胞なのを除けば、ほぼスライム”、人類の研究者にそう言われる理由の一つだった。
ハムマルは深く息を吸い、
(まっ、まぁ……HPが残ってるなら)
(そのぶん長く戦える!)
空に浮かぶ影をもう一度見上げた。
意識の奥にある“第2コアスキル”のスイッチを、
ハムマルは拳で殴りつけるような勢いで押し込んだ。
──“メテオフレア!”
(毒も食らってるから、最後のあがきなのは変わらない!)
(ぶちかましてやる!!)
次の瞬間──全身から“1500度の炎”が噴き出し、
その輪郭はハムマルの形をした真紅の火球へと変貌する。
風が一気に熱を帯び、焙られた草の匂いが周囲に広がる。
(いや、その毒だって──)
(もしかすると、もしかするかもしれないっ)
その脳裏には、前世の有機化学の知識が浮かんでいた。
そして──
ハムマルは地を蹴った。
(さっきは、ジャンプしてからスキルだったけど──)
平時でも2メートル近く跳べる今の肉体、
そこに、スキルでの身体の軽さが加わり、
その跳躍は、まるで“ペットボトルロケット”のように空へ突き抜ける。
──“ボオォォッーー!!”
(順番はこうだったんだよ!!)
──赤い尾を引きながら、上空の敵へと一直線に向かった。




