第10話:失敗から学ぶ最弱種
陽光がきらめく草原を駆けまわるハムマル。
朱色の毛並みが、光を受けて炎のように揺れる。
──念願の自由。
その言葉が心の奥で弾ける。
走っては転がり
前へ後へ左へ右へと
ぴょんぴょん跳ね回り
ころんと前転したり
横へころころ転がったり
草原に弧を描く朱色の軌跡は──まるで小さな流星のようだった。
転がった勢いのまま、
ハムマルは草の上に大の字でぱたんと寝転んだ。
青空が広がり、太陽が目の端に映る。
毛並みがふわふわと揺れる。
初めて生で聞く蜂の羽音に耳を澄ます。
──“ブゥゥゥン……”
だが、ふと気になる。
(そういえば、どこから……?)
草原はどこまでも続き、森も林も遥か彼方。
こんな場所で蜂の羽音がするのは不思議だった。
それでも、楽しさが警戒心より勝っていて、
ハムマルは寝転んだまま空を眺め、耳をぴくぴく動かす。
しかし──
羽音はどんどん大きくなり、
空気が震えるほどの重さを帯び始め、
それが“普通の蜂”の大きさではないことを否応なく教える。
そして、ハムマルは激闘に勝ったこと、
レベルアップしたこと、進化したことで、
慎重さを──いつの間にか、どこかに置き忘れていた。
◇
真っ青な空の中、
頭上5メートルほど、
──影がひとつ浮かんでいた。
巨大な蜂が、ゆっくりと円を描くように舞っている。
羽ばたきで空気が震え、耳の奥を刺すような羽音が響く。
──“ブゥゥゥン……! ブゥゥゥン……!”
その姿は、陽光を受けてくっきりと浮かび上がる。
鮮やかな黄色の頭部──
三角形に尖った複眼が艶を帯び、触角が風を切る。
艶のない黒い胸部──
そこから伸びる6本の足と、薄く透ける4枚の羽。
黄色と黒が交互に走る腹部──
先端には、鋭い棘が鈍い光を帯びる。
その大きさは、
(俺と同じぐらいか……?)
ハムマルは、遅れてその事実に気づいた。
朱色の毛並みがざわりと逆立ち──全身が膨らむ。
その巨大蜂の顔には、表情というものが一切なかった。
ただ、複眼が無機質に光を散らすだけ。
(まるで感情のない機械のよう……)
(虫は大きいだけで……こんなに気味悪いんだ……)
その瞬間──
“デデーン”という重い効果音が脳裏に響き、
視界の端に小さな半透明のダイアログが開く。
──『状態:普通/[蜂のアイコン]』
「キュッ!」
ハムマルは、驚いて思わず声を出す。
(な、なに!?)
(蜂なのは見れば分かるよ!)
すると──巨大蜂が上空から、僅かに寄っては戻る動きを繰り返し始めた。
(こいつもか……)
ハムマルは、心で小さく呟く。
(フェイントで……)
(スキルを無駄撃ちさせようと)
そして──
ふと、別の重さが心に圧し掛かる。
(もしかして、俺の同族──ハムモンたちは)
(蜂にすら戦術で負けてるのかな……?)
不憫さが胸に広がり、
ハムマルは首をすぼめ、目を細めた。
常春の地の風が頬を撫でるが──その温かさは、不穏な気づきを消してはくれなかった。
迫っては退くを繰り返す空の影は──
獲物を無感情に見下ろし、草の海に荒々しい波を立てる。
その、何度目かのフェイントの直後、
巨大蜂の腹部がわずかに沈み、棘が突き出され──
ハムマルの瞳がそれを捉える。
(来る──!)
ハムマルは四肢で地面を蹴り、滑るように横へ跳んだ。
──棘が風を裂き、すぐ横を通り抜ける。
(よしっ! 見切れた!)
(さっきのホーンラビットの時にも思ったけど──)
(ウルフと戦った時より、明らかに身体が軽い!)
敏捷のステータスは、もはや倍。その差がハッキリと現れていた。
さらに、ハムマルは巨大蜂に飛び掛かり、
意識の奥で“第2コアスキル『炎化身』”を解き放つ。
──“メテオフレア!”
全身から噴き出す炎が、真紅の奔流となって広がる。
進化前よりも激しく、明るく、熱い。
その炎は、艶やかな毛並みのように揺れながら流れる。
──炎化身の姿は、まるでハムマル自身を三倍に拡大した“炎のハムスター”。
耳や足のような突起もあり、その先端は暗い赤の炎に変わる。
揺らめく炎の中に浮かぶ目のような紋様は、キリッと少し釣り目になり闘いの意志を宿していた。
(“1500度”は、たしか鉄も溶けだす温度!)
真紅のハムマル型の火球は、巨大蜂の身体をすっぽりと包み込む。
──“ボウウゥォォォ……”
灼熱の世界に、空気が焼ける音が鳴り響いた。
しかし、巨大蜂は炎に吞み込まれながらも、
僅かに身をよじり、掴みかかろうとするハムマルを羽で弾き飛ばした。
“ぼむっ”と、軽い衝撃音と共に地面に落ち、
ハムマルは、そのまま“ぽーんっ”と跳ね上がる。
──スキルで体重が空気のように軽くなるスキルの特性は、
利点も多いが、簡単に飛ばされるという弱点も併せ持っていた。
(わーーーっ! しまったーー!)
(飛んで逃げられたら、スキルが! MPが無駄になる!!)
焦りが胸を走る。
だが、巨大蜂の薄い羽には、すでに炎が纏わりついていた。
一瞬で燃え上がる虫の羽。
──“ドサッ!”
地上に落ちた巨大蜂は、ノソノソと這うだけの存在となる。
ハムマルはシャカシャカと四肢を動かし──
異様な身軽さでぬるぬる滑るように進み、一気に距離を詰める。
巨大蜂の背後から飛び掛かると、焼け焦げた羽の付け根へガブッと噛みつき、その体躯を四肢でがっちり挟み込む。
(背後を取れば、毒針も問題ない!)
巨大蜂は必死にもがくが、
(ぜんぜん平気──ウルフの方が激しかったし)
(筋力も倍以上になってるしね!)
だが──
身体が軽いという弱点は、ここでも顔を出す。
巨大蜂は苦し紛れにゴロゴロと転がり始め、ハムマルも巻き込まれて地面を転がされる。
(あああああ──)
視界がぐるぐると回り、
草と土が焦げる匂いが渦を巻く。
(……こっちも、それほどでもない!)
(空を飛ぶやつだから、体重が軽いっぽいね!)
そして──
10秒ほどで転がりは止まり──
<経験値30を獲得しました>
(!?)
ハムマルは戦いに勝ったものの、
そのアナウンスに一抹の不安を感じ、ぴたりと硬直した。
黒焦げの地面に横たわる巨大蜂の骸は、
黄色だった部分が、
ゆっくりとオレンジへ、
そして真紅へ、
最後には炭のような黒へと変色していった。
──“第2コアスキル”の『メテオフレア』は20秒で終わった。
その熱は『赤熱回復』により、HPをじわじわ回復させた。
(ステータス!)
──『HP:50/54』『MP:46/160』
(おっ、HPがかなり回復してる)
(メテオフレアの熱は、2秒毎に1ずつ回復かな?)
(そして──MPは130引く90で40になってるはずだけど)
(少し多いから、さっき遊んでた間に自然回復してたのかな……?)
ハムマルは巨大蜂の死骸にそっと前足を伸ばす。
──骸は淡い光に包まれ、ひとつの魔石へと変わった。
そして、両前足を合わせ短く“黙とう”する。
(頂きます)
魔石を食べると──
“蜂蜜たっぷりのフレンチトースト”を初めて食べた時のような、
とろける甘さと美味しさが広がった。
(あま~い……)
だが、ハムマルは純粋に喜ぶことはできなかった。
(ステータス……)
──『MP:76/160』
(やっぱり……30だけ……)
(魔石のMP回復量は、経験値と同じ量なんだ)
(つまり……“炎化身”を使う相手じゃなかったってこと……)
ハムマルはその場にうずくまり、
(……なぜ……)
(勝てば必ず100回復できるって、思い込んじゃったんだろう……)
(…………)
(じっとしてよう……自然回復するかも……)
草の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、目を伏せた。
それでも──
(進化前は、炎尾にまったく威力がなくて──)
(つい、炎化身に頼ってしまったけど……炎尾を主力にしないとだね)
(火力も3倍になってるみたいだし、それに──)
──ウルフの顔面に炎尾を叩きつけたとき──前足で炎尾を押し付けたとき──その感触を思い出す。
(炎尾は、ただの炎じゃなく……実体があるんじゃないかな?)
閉じた瞼の裏では、炎尾が描く新たな軌跡が幾重にも交錯していた。
(もしかしたら、攻撃だけじゃなく、移動にも使えるかも?)
冷めゆく大地の熱、
草を撫でる風の音、
その一時の静寂の中──
次なる戦略の芽が確かに息吹き始めていた。




