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第28話 忙中に癒し有りて。

マウリシオ視点。

 『花園』が失われ、『花の騎士』の任を解かれれば、これまで蓄積された記憶は喪失するものだと思っていた。


 が、そうはならなかった。

 恐らくそうしてしまうと、今後に問題があると女神さまがお認め下さったのだろう。


 何せ、王宮に勤めていた人員の過半数が暴徒に殺されてしまった。

 おまけに火をかけた者が居て、歴史的な資料がいくつも焼失してしまった。


 そうなれば、私の持つ記憶が、重要な資料となるのは当然といえる。


 なぜなら、『花の騎士』は王家からしか出ない。

 当然、国政にも関与する者が多いのだ。


 その記憶を整理し、必要な部分を書き出し、あるいは口述筆記しては資料として再整理する。

 ただでさえ摂政としての業務でそれなりに忙しいところに、この膨大な記憶を記述する作業が入ってしまったので、私の生活は多忙を極める形になってしまった。


 思わず、私利を以てグレシア嬢を書記役の一人に抜擢するほどに。


 今のグレシア嬢はマスフィルド子爵令嬢にして聖女補佐官だが、聖女アリシア様が持てる異能が変化してしまい、コントロールの修行をしなおしている現状では、補佐官の仕事は多くない、というちゃんとした理由もあるのだけれどね。


 今の私は『花の騎士』ではなく、ただの先王の弟にして摂政殿下、だ。

 聖女様からは、「任を解かれた時点で結婚もできますし、恐らく不稔という事もございません」と、知らされてはいる。


 実際、男としての欲が復活した事も、自分では把握している。

 かつて、『花の騎士』としての宣誓を行ってより、そのような衝動自体がなかったというのに。


 ただ、それ自体は納得している。

 なにせ、十年からの月日を『花園』で過ごし、半ば人でなくなる道を歩んでいたはずの姉、ロミレイアに血の通いが戻った、という話も手紙で聞いている。


 月々の血の通いがあることが、女が子を成す為の条件であることは知っている。

 それを聞いた時の、アルゲンティア王の顔が見たかった。


 流石に調査の必要があるし、現状で正規の聖域を持たぬ今の我が国に、姉や神女様を長期間置いておくのは宜しくないとかで、アルゲンティア王は姉をも伴って自国に早々に戻っている。


 調査自体も、我が国で行うのは現状人手不足で不可能だからな、頼るしかない。

 そうしたら、アルゲンティア王は自国だけでなく、プレニアと国境を接していたホーレリアとレーヴィテラからも人員を集めてきた。


 トーリア国から人は出ていないのかと思ったら、あの国は西回り航路の確認を優先して不参加、だそうだ。そしてファンダニアは、自国の人員不足を上げて辞退したと。


 コーデリアの話は持ってこなかったが、恐らくトーリア国同様、西回り航路の可能性を調査中ではないかという噂は上がってきた。


 旧ユーレラ国の跡地は、相変わらず屍の転がる荒野だという。

 死体漁りの人間もおらず、ただ野獣や鴉が屍を食い荒らすのみだとか。


「野獣にはあの毒の影響はないのだな」

 執務中にふと思い出して呟く。


「薬を操るものも、薬の元になる植物もなくなってしまいましたし……

 そもそも、あの薬は理性を減衰させるのが主効果です。元から本能で生きている獣には無意味ですわ」

 聖女としての力は喪ったものの、薬学の知識は健在だというグレシア嬢が、打てば響くように答えをくれる。


 そうか、つまり、この世界では『ヒト』にしか効かぬ薬であった、ということか。


「眠っている間に先輩方や女神さまが教えてくださったのですけど、この世界の人はもともと少し気性の荒い種族であったそうなのです。

 教育と文化の発展で、その資質を陽気で開明的なものに変化させていったのが今の世界の民なのですって」

「それも記録に残しておくべきか……」

「ファンダニアの神殿にはその記録もあるそうですよ。

 ただ、我が国ではそういった資質を強く残していた人は……もう残っておりませんから」


 ああ、そうか。

 あの薬に変質する事なく、被害者側になった民は、気性の難を乗り越え取り払った民だったのか。


 確かに、我が記憶でも、荒っぽい性格の人間は徐々に数を減らしている、そういう印象はある。

 それでも、半数近くの民がまだその気質を残してはいたのか。


「それに、荒い気性の方も、全く居なくなってはいけなかったのです。

 世界のすべてが安全になったわけではないのですから」

 今は比較的落ち着いていますけど、と、グレシア嬢が続ける顔を、ついぼんやりと眺めてしまう。


 愛らしい紫の瞳、艶やかな黒い髪、少し丸みのある、優しい頬のライン。

 そう、今ははっきりと自覚している。彼女が、愛おしい。彼女の心身が、欲しいと。



「……とはいえ、穏やかながらに勇猛さも兼ね揃えたエドレイド公爵家のような例もございます。状況はそう悲観するものでもありますまい」

 そこに声を掛けてきたのは宰相殿だ。


 無粋な、と一瞬思ってしまったが、公務中である以上、私の思考の方が宜しくないな。


「まあ宰相閣下、お腰の加減はもうよろしいんですの?」

「お気遣いありがとうございます。聖女様の練習台に立候補致しましてね、おかげで、随分と調子が良いのですよ。

 私の体調はさておき、申し訳ないのですが書類の追加でございますよ、摂政殿下」


 宰相殿はそう述べると、二束ほどの書類を私の机に載せた。


「宰相殿が伝書係をするほどの人手不足、ですか……」

 思わず本音が漏れる。

 かつては国の規模に応じた人数が居た事務官たちは、あの騒乱で大半が殺されてしまった。

 生き残ったのは、その日非番だったもののうち、エドレイド公爵家やコルウェン侯爵家に逃げ込めた僅かな人数だけだ。


 市井の民も減ってしまったから、その人数でもどうにか仕事は動いてはいるが……

 これも、他国の手を借りる案件とせねばならない日が、いずれ来るのだろうな。


「書類を運ぶくらい、何のこともないのですよ。座りっぱなしは腰に良くないですからね」

 宰相殿は機嫌よさそうにそう述べると戻っていった。


 確かに座りっぱなしはよくないな。

 グレシア嬢を誘って、気分転換に散歩でもした方がいいだろうか。


「確かにそうですね。では今の書類の山が終わりましたら、少し外を歩きましょうか?」

「是非、そうしよう。腰はともかく、少し肩が凝ってきた」

 グレシア嬢から、そんな言葉が出たので、即了承する。


 そう、今は、このくらいしかできそうにない。

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