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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第11章:凍てつく空気に灯る火種

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三人の挑戦者と理性のナッツ

期末試験の喧騒が嘘のように静まり返った水瀬家のリビング。窓の外では冬の星座が冷たく輝き、明後日に迫った「運命の日」を静かにカウントダウンしていた。


私はキッチンで明日の仕込みを終えると、二階にある湊兄さんの部屋のドアを叩いた。試験が終わってもなお、湊兄さんの部屋からは規則正しいペンの音と、張り詰めた思考の気配が漂っている。


「兄さん、ちょっといいかな。明後日、蓮さんが来た後のスケジュールを確認したくて」


湊兄さんはペンを置くと、デスクの上に広げられた自作のタイムスケジュール表を私に見せた。そこには、分刻みで書き込まれたメニューが並んでいたが、私はその内容を見て思わず声を上げた。


「……兄さん、これじゃあテニスの割合が多すぎない? 蓮さんは今回、星和学院の受験のためにうちに滞在するんだよね? 試験本番まであと少しなのに、こんなにコートにいたら勉強する時間がなくなっちゃうよ」


私の指摘に、湊兄さんは眼鏡のブリッジを押し上げ、フッと短く息を吐いた。


「……そうだったな。あいつはテニスだけじゃない。受験生として、この星和の門を叩こうとしている男だった」


湊兄さんはすでに内部進学が確定しているため、適度な学習で問題ない立場だ。けれど、外部から難関の星和に挑む蓮さんにとっては、一分一秒が惜しいはずだ。湊兄さんは手元のスケジュール表に、迷いのない手つきで修正を加えていく。午後の練習時間が大幅に削られ、そこに『受験対策・集中学習』という文字が大きく書き込まれた。


「よし、午後の三時間は完全に勉強に充てよう。あいつの学力なら、この静かな環境で集中すれば相当な密度になるはずだ。……みゆ、その間、お前には三人の『脳』を動かすための差し入れを頼みたい。糖分補給と、集中力を切らさないための軽いものだ。勉強中のあいつらに、最高の栄養を届けてやってくれ」


「わかった。お姉ちゃんに教わった、脳に効くナッツやフルーツの軽食なら任せて。凛ちゃんみたいな完璧なクッキーはまだ修行中だけど……心を込めて作るね」


私が頷くと、湊兄さんの瞳に、普段の冷静な彼からは想像もできないような熱い光が宿った。


「テニスでは、俺が陽太を徹底的に鍛え上げる。あいつはまだ自分のリミッターを外せていない。蓮という劇薬を投入して、陽太をどこまで化けさせられるか……。勉強の時間以外は、一歩も引かせないつもりだ。俺もあいつらを叩き直すのが、今から楽しみで仕方ない」


湊兄さんがこれほどまでに「教育者」として、あるいは「ライバル」として張り切る姿を見るのは初めてかもしれない。

湊、陽太、そして北条蓮。

三人が一つ屋根の下に揃うまで、あと二日。


「……最高の冬にしようね、兄さん」


「そうだな。地獄のような、最高の冬にな」


不敵に笑う湊兄さんの背後で、冬の風が窓をガタガタと揺らした。


蓮さんがやってくる前日の夜。

水瀬家の隣にある河村家では、一人の少年が「世界の終わり」でも迎えるかのような形相で、開いたままの参考書と睨めっこしていた。


私は冷え込む夜風に肩をすくめながら、お裾分けの温かい生姜湯を持って陽太の部屋を訪ねた。


「陽太、生きてる?」


「……みゆか。悪い、今、動悸が止まらねぇんだ。明日からあの北条蓮と同じ屋根の下で、飯食って、勉強して、テニスするんだろ? 有明で会った時だって、あの圧倒的な威圧感に気圧されたっていうのに……」


陽太は机に突っ伏し、髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

帝都附属の主将にして「氷の貴公子」――。その異名の通り、冷静沈着で隙のない蓮さんの姿が、今の陽太には巨大な壁のように思い出されているらしい。


「大丈夫だよ、陽太。蓮さんは厳しいことも言うけど、それは私たちが立ち止まらないように、あえて現実を突きつけてくれてるんだって、兄さんも言ってたじゃない」


「わかってるけどよ……。あいつ、帝都じゃ神様みたいな存在なんだぜ? そんな凄い人に、俺のこの情けない英語の解答用紙を見られると思うと……」


「まずは明日、ちゃんと挨拶すること。ね?」


私が差し出した生姜湯を一口飲み、陽太は少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。



そして、運命の翌朝。

星和学院を包む空気は、これまでにないほど澄み渡り、鋭い冷気を帯びていた。

午前9時ちょうど。水瀬家の玄関に、静かだが重みのあるチャイムの音が響いた。


「……来たわね」


キッチンの掃除をしていた雫お姉ちゃんが、エプロンを外して玄関へ向かう。二階からは、すでに準備を整えた湊兄さんが階段を下りてくる足音が聞こえた。遅れて、隣の家から全力疾走してきた陽太が、息を切らしながら合流する。


お姉ちゃんがドアを開けると、そこには冬の柔らかな日差しを背に受けた、凛とした佇まいの少年が立っていた。

大きなラケットバッグを背負い、反対の手には受験参考書が詰まった重そうなボストンバッグ。


「本日よりお世話になります。準備を整えてきました」


蓮さんは雫お姉ちゃんに対して丁寧な敬語で一礼したあと、顔を上げ、私たちの顔を順番に、射抜くような鋭い視線で見渡した。その瞳は、有明の時と変わらず氷のように静かで、一切の揺らぎがない。


「……みゆ、1ヶ月ぶりだな。しばらく世話になる」


私に対しては、幼い頃からの距離感のまま、短く、けれどどこか気遣いを感じさせるトーンで言葉をかけた。そして次に、直立不動で固まっている陽太に視線を移すと、わずかに目を細めた。


「陽太。有明でのお前の粘りは認めているが、今のままでは星和のレベルには程遠い。この冬、どれだけ自分を追い込めるか……手加減はしないつもりだ」


「あ……っ、はい! よろしくお願いしますッ!」


陽太はまるで軍人のような返声をした。その隣で、湊兄さんが不敵な笑みを浮かべて一歩前へ出る。


「ようこそ、蓮。歓迎する。……だが、ここでは俺が組んだ特別メニューに従ってもらう。星和の合格通知を掴むまで、一歩も引かせないからな」


「望むところだ、湊。お前を越えるためにここに来たんだ。妥協など最初から考えていない」


同い年のライバルとして、火花が散るような、けれど互いへの深い敬意が根底にある視線の交差。

静かな水瀬家の廊下に、三人の少年の放つ熱量が充満していく。


私はその光景を少し後ろから見守りながら、これから始まる「嵐のような日々」を予感して、エプロンの紐をぎゅっと結び直した。



「……よし。味付けは完璧、なはず」


お姉ちゃんが教習所関連の書類を抱えてバタバタと出かけていくのを見送った後、私は一人キッチンに立ち、初めて「三人分」の昼食を仕上げていた。メニューは、お姉ちゃん直伝の「鶏胸肉の低温ソテー・特製おろしポン酢がけ」。


「お待たせしました。お昼、できたよ」


リビングに声をかけると、午前中の過酷なロードワークを終えた三人が戻ってきた。湊兄さんと陽太は額の汗を拭いながら席に着くが、蓮さんは一連の動作が驚くほど洗練されている。椅子を引く音すら立てず、背筋を真っ直ぐに伸ばして座るその佇まいは、まさに「氷の貴公子」の異名に相応しい。


「……いただきます」


蓮さんが箸を取る。私は心臓が跳ねるのを感じながら、その手元を見守った。

彼は一口、鶏肉を口に運ぶと、静かに咀嚼した。その涼やかな瞳が、ふっと私の方を向く。


「……火の通りが適切だ。繊維が壊れていない。みゆ、腕を上げたな」


「本当? よかった……!」


蓮さんの淡々とした、けれど確かな評価に胸をなでおろす。隣で陽太が「うめぇ! 噛まなくても溶けるみたいだ!」といつもの調子でかっ込んでいるのとは対照的に、蓮さんの食事の所作は無駄がなく、見惚れるほどに美しい。


「ふん、まあ及第点だな」

湊兄さんが、私を見て不敵に笑った。

「だがな蓮。こいつ、二ヶ月前まではキッチン界の『破壊神』だったんだぞ。卵を握りつぶして殻ごと粉砕したり、塩の分量を間違えて俺を腎臓病の一歩手前まで追い込んだりな」


「兄さん、もう! その話はしないでってば!」


「はは、あの『漆黒の卵焼き』と『ベリーレアな生焼けハンバーグ』を食わされた身にもなってくれ。麦茶を一本丸ごと完飲しなきゃ喉が焼け死ぬところだったんだ。……まあ、だが」


湊兄さんは一度言葉を切ると、少しだけ表情を柔らかくして私を見た。

「あの惨状から二ヶ月、投げ出さずによくやった。今のお前の料理なら、蓮や陽太の胃袋を任せても安心だ。……お疲れさま、みゆ」


「……ありがとう、兄さん」


厳しい特訓の日々を思い出して、鼻の奥が少しツンとした。失敗続きで「忍耐」を覚えなさいとお姉ちゃんに諭された日々も、今ではこの「美味しい」という言葉に繋がっている。



食後の休憩も束の間、リビングの空気は一変した。

テーブルの上から食器が消え、代わりに積み上げられたのは、星和学院の過去問と分厚い参考書の山。


「……さて。地獄の勉強会の始まりだ」


湊兄さんの宣告と共に、三人のペンが走り始める。

内部進学が決まっている湊兄さんも、蓮さんの前では決して手を抜かない。そして何より、蓮さんの集中力は異常だった。眼鏡もかけず、ただ静かに、けれど氷のような冷徹さで難解な構文を読み解いていく。


「……くっ、この並び替え、どこに罠があるんだ……」


一方の陽太は、蓮さんの放つ圧倒的な「静」のプレッシャーに冷や汗を流していた。


一時間後。私は「脳の疲労回復」に効くナッツの蜂蜜漬けと、ビターチョコレートを添えた差し入れを持って部屋に入った。


「……少し休まない? 脳の栄養、持ってきたよ」


蓮さんがふっとペンを止める。

「助かる。集中力が切れかかっていたところだ。……みゆ、お前の差し入れは、この殺伐とした空間に唯一残された理性的判断だな」


真顔で、しかもさらりとそんな台詞を口にする蓮さんに、私は少し照れくさくなって視線を泳がせた。


「……よし、休憩は五分だ。蓮、次は数学の難問演習に入るぞ。陽太、お前は冬休みの宿題からだ、みゆは昨日の内にかなり進めていたぞ」


湊兄さんの容赦ない指示が飛ぶ。

蓮さんは再び鋭い視線を問題集へと戻し、陽太は悲鳴のような溜息をつきながら単語帳にかじりついた。


テニスだけでなく、学業においても一歩も引かない三人の「怪物」たち。

私は空になったトレイを抱え、彼らの背中を見守りながら、これから始まる冬休みの凄まじさを、肌に刺さるような緊張感と共に実感していた。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。



北条蓮合流です。

本格的な練習は次からになります。


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