新体制と不動のエース
有明の激闘から数日。
星和学院の校門をくぐると、そこにはいつもと変わらない、けれどどこか誇らしげな静寂が漂っていた。
「全国準優勝」——校舎の壁に掲げられた大きな横断幕が、夕日に照らされて誇らしく揺れている。
放課後。私たちレギュラー陣は、生徒会室へと呼び出された。
「……みんな、本当によくやったわね」
生徒会長の佐々木 梓さんが、重厚なデスクの後ろで、柔らかく、けれど威厳のある微笑みを浮かべて私たちを迎え入れた。
「男子の準優勝、そして女子の二回戦での執念。特に水瀬湊くん……不知火くんとの三時間に及ぶ死闘は、『伝説』として語り継がれるわね。悔しいでしょうけれど、あなたは間違いなく、この学園の誇りよ」
梓さんは一度、湊兄さんに深く頷き、それから視線を陽太と私の方へ向けた。
「でも、これは通過点に過ぎないわ。女王・西園寺女子、そして鳳凰院。あなたたちが有明で見たあの景色こそが、次なる目標。星和の時代を、ただの『一時の夢』で終わらせない。期待しているわよ、次世代の主役たち」
梓さんの真っ直ぐな言葉を胸に、私たちは夕暮れのテニスコートへと向かった。そこには、引退を迎える三年生と、明日から部を背負う下級生たちが整列していた。
コートの中央、現部長の大野先輩が、湊兄さんたち三年生を背に従えて前に出た。私は女子テニス部の列に並び、少し離れた場所からその厳粛な光景を見つめていた。女子部もまた、高城部長から次期主将への引き継ぎを終えたばかり。今は、学園全体を熱狂させた男子部の「代替わり」を、部員全員が固唾を呑んで見守っている。
「今日で、俺たち三年生は引退する。……早速だが、次期体制を発表する」
大野先輩の鋭い視線が、二年生の列へ向けられた。
「次期部長は、佐久間良。お前の精密なコントロールと冷静な判断力は、これからの星和に不可欠だ。チームの舵取り、任せたぞ」
「はい! 大野部長! 全力で務めさせていただきます!」
佐久間先輩が、緊張した面持ちで、けれど力強く答えた。続けて部長補佐に岡田先輩が指名され、二年生たちが力強く星和の看板を引き継いでいく。
けれど、場の空気が一段と張り詰めたのはその後だった。
大野先輩が一歩下がり、隣にいた湊兄さんへと視線を送る。兄さんはゆっくりと頷き、一年生の列にいる陽太の前へと歩み寄った。
「……河村陽太」
「……っ、はい」
陽太が、背筋を伸ばして兄の瞳を正面から見据えた。
「お前はまだ一年生だ。だが、有明でお前が見せた『熱』は、もう誰にも止められない。部長の佐久間、補佐の岡田を支え、自らのプレーで勝利を引き寄せろ。……今日からお前が、星和学院の『不動のエース』だ」
湊兄さんの言葉に、コート全体が静まり返った。
「誰かの背中を追うのはもう終わりだ。お前が、新しい星和の『顔』になれ」
「…………はい!!」
陽太の喉が、くっ、と鳴った。
彼は震える手で自身の胸を叩き、湊兄さんに誓うように叫んだ。
「俺、絶対に湊さんを超えてみせます。佐久間部長たちと一緒に、星和を……本当の頂点へ連れて行きます!」
田中くんも横から拳を突き出し、不敵に笑っている。その様子を少し離れた場所から見ていた私は、陽太が背負ったものの大きさに、自分のことのように胸が熱くなった。
すると、湊兄さんは最後に、女子部の列にいる私の方を真っ直ぐに振り返った。
「みゆ。お前もだ」
湊兄さんの声が、夕暮れのコートに低く響く。
「西園寺の背中は、まだ遠い。だが、あの女王に一矢報いたお前の瞳は、もう負け犬のそれじゃない。……冬の間、しっかり牙を研いでおけ。女子部の未来は、お前のラケットに懸かっている」
「……うん、兄さん。私、もう怖くないよ。必ず、次はもっと近くまで行ってみせる」
夕闇が降りてくるコート。
三年生たちが一人、また一人とコートを後にし、そこには新しい体制となった部員たちだけが残された。
有明の熱狂は、もう思い出。
でも、その悔しさと誇りを燃料にして、星和学院テニス部の新しい物語が、今この瞬間から動き始めたのだ。
部活動が終わり、すっかり夜の帳が下りた帰り道。
私たちは重いラケットバッグを揺らしながら、並んで自宅へと歩いていた。住宅街の街灯が、二人の影をアスファルトの上に長く伸ばしては消していく。
「……陽太、いい顔してたな」
湊兄さんがポツリと言った。その声には、一人の先輩としての安堵が混じっていた。
「うん。星和のエースを託されて、陽太の目、すごく真っ直ぐだった。……でも、兄さんは寂しくないの? あんなにハッキリ譲っちゃって」
湊兄さんはふと足を止め、冬の気配を含んだ夜空を見上げた。
「……星和の『顔』はあいつに託した。だがな、みゆ。俺や陽太、そして不知火 焔の戦いは、ここからが本番なんだ」
湊兄さんの瞳に、鋭い光が宿る。
「春にはU-17(アンダーセブンティーン)の世界大会がある。俺と陽太、そして不知火は、日本代表として世界と戦うことになる。国内での決着は、もっと広い舞台への入り口に過ぎなかったんだ」
「世界……。じゃあ、兄さんと不知火さんが、今度は同じチームで戦うのね」
「ああ。だからこそ、俺は止まっている暇はない。高等部への進学が決まった以上、これからは勉学と、世界で勝つためのテニスをより高い次元で両立させていく」
湊兄さんの言葉に、私は圧倒された。湊兄さんはもう、中学の準優勝という過去ではなく、数ヶ月先の「世界」を見据えている。
「三週間後には冬休みだ。雫姉さんが言っていた通り、蓮がうちに泊まり込みで来る。あいつは星和の高等部を受けるために、外部受験の追い込みに入るからな」
「……蓮さん。いよいよ、あの『託宣』が現実になるんだね」
お姉ちゃんから告げられた、ジュニア選抜候補の三人――湊、陽太、蓮を私の「食」で支えるという任務。三人が一つ屋根の下で牙を研ぐ、凄まじい冬が近づいている。
「ああ。だがその前に、来週は期末試験だぞ、みゆ」
湊兄さんが不意に、現実的なトーンで私の顔を覗き込んだ。
「……えっ」
「エースに任命されて浮かれるのはいいが、学業を疎かにするなよ。雫姉さんとの約束を忘れたか? テニスだけに集中していいのは、全国大会が終わるまでだ。明日からは、学生としての義務も果たせ。赤点でも取ってみろ、三人を支えるどころか、お前が真っ先に姉さんのおしおき対象になるぞ」
「わ、わかってるよ! 勉強だって、ちゃんとやるもん……!」
湊兄さんは少しだけ口角を上げると、再び歩き出した。
「冬休みまでの三週間で、しっかり自分のリズムを整えておけ。三人の怪物を支え、そしてお前自身もエースとして目覚める冬。……甘い考えは捨てておけよ」
自宅の明かりが見えてきた。
玄関のドアを開ければ、そこには厳しい、けれどどこか楽しみにしているお姉ちゃんが待っているはずだ。
全国への挑戦は終わった。
けれど、それはもっと過酷で、もっと輝かしい「世界」へと続くプロローグ。
私たちは冷たい夜風を突き抜け、それぞれの新たな戦場へと歩みを進めた。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
10章はこれにて完結です。
部活動での水瀬湊は引退しますが、彼はまだまだ活躍します。
11章は学園の様子に切り替わります。
期末試験。 今回はテニス漬けになっていたみゆも少し危ない様子になります。




