継承される意志
有明の森に、11月の乾いた風が吹き抜ける。
西園寺女子に敗れ、私たちの全国への挑戦は幕を閉じた。
会場の喧騒から少し離れた、木々に囲まれた静かな広場。そこには、赤く腫らした目を必死に擦りながら、言葉もなく集まる女子部全員の姿があった。つい先ほどまでコートで戦っていた熱気は、冷ややかな秋の夕風に奪われ、敗北という現実が重くのしかかっていた。
「……みんな、顔を上げなさい」
高城部長の、凛とした声が響く。
部長自身、女王・鳳仙雅との激闘でユニフォームは泥に汚れ、膝には痛々しい擦り傷があった。それでも、その背筋は一本の矢のように真っ直ぐに伸びている。
「負けて悔しくないはずがないわ。でも、自分たちを卑下することだけは許さない」
部長は、俯き、震える拳を膝に置く小林芽衣先輩の前に立った。
「部長……すみませんでした……。私がもっと、粘れていれば……」
「謝らないで、芽衣。あんたが最後まで足を止めなかったから、私は主将としてコートに立つ勇気をもらったの。……いい? みんな、思い出して」
部長は視線を上げ、部員全員を見渡した。その瞳には、懐かしむような、それでいて誇らしげな光が宿っていた。
「去年は県大会で敗退して、地区大会にすら行けなかったのよ。それが今年は、全国の舞台で2回戦まで勝ち進んで、あの女王・西園寺を相手にここまで戦えた。これ以上ない、最高の成果じゃない」
部長の言葉に、部員たちの間に小さなどよめきと、それから深い納得が広がった。かつては夢のまた夢だった場所。そこに今、自分たちは立っていたのだと、冷たい風の中で再確認する。
「私たちは、星和女子部の歴史を一つ塗り替えたわ。それはここにいる全員の努力の結果よ。自分たちを、誇りに思いなさい」
部長の優しい微笑みに、張り詰めていた空気がふわりと解け、あちこちから堪えていた涙が溢れ出した。3年生たちの目にも、やり遂げたという充足感が滲んでいる。
そして、部長はゆっくりと、私の方へ歩み寄ってきた。
部長の真っ直ぐな眼差しに、私は思わず呼吸を止めた。
「そして、みゆ。あんたはこの全国大会で、星和の新しい可能性を見せてくれたわ」
部長の真っ直ぐな言葉に、鼓動が速くなる。
周囲にいる先輩たちが、私を温かく、それでいて一人の「戦友」を見るような眼差しで見守っていた。
「女王の一角、白河こころを相手に0-5からの大逆転。あれは単なる幸運じゃない。あんたの水色の瞳が、相手の隙を突き、最後まで勝利を信じ抜いた結果よ。……あの一戦があったから、西園寺女子という巨大な壁が、初めて揺らいだ。私たちの心も、あそこで折れずに済んだの」
部長は私の両肩に、土と汗で汚れた、けれど驚くほど力強い手を置いた。
「これからの星和女子部は、あんたがエースよ。水瀬みゆという絶対的な柱を中心に、チームを再建しなさい。……いい? 才能があるだけじゃダメ。誰よりも努力し、誰よりも勝利に飢える。部員全員が『あんたにボールを繋げば大丈夫』と確信できる……そんなエースになりなさい、水瀬湊の真似はしなくてもいい、あなた自身のテニスで未来を掴み取りなさい」
「……っ、はい!!」
私は溢れそうになる涙を堪え、震える声で精一杯応えた。
エース。その言葉の響きは、甘美なものではなかった。
先輩たちが積み上げてきた歴史、今日流した涙、そして届かなかった想い――そのすべてを背負ってコートに立つという、重く、険しい覚悟が必要なのだと悟った。
「あんたなら、できるわ。私が保証する。……来年は、西園寺の首を獲ってきなさい」
部長がふっと悪戯っぽく、けれど信頼を込めて笑った。
その瞬間、私の胸の中にあった「負けて悲しい」という感情は、「次は絶対に勝つ」という鋭い闘志へと塗り替えられていった。
紗良部長は、私への激励を終えると、最後に隣で静かに涙を拭っていた二年生、佐藤春花先輩の前に立った。
「春花。……次の部長は、あんたに託すわよ」
「……私、ですか?」
春花先輩が驚きで肩を揺らした。春花先輩は、華やかなプレーこそ少ないけれど、誰よりも早くコートに来て準備をし、後輩たちの悩みにも親身に寄り添う、チームの「良心」のような人だ。
「ええ。これからの星和には、あんたのその細やかな気遣いと、チームを陰で支える献身さが必要なの。エースのみゆが何の憂いもなく暴れ回れる場所を、あんたの優しさで守ってあげて。……できるわね?」
部長の問いかけに、春花先輩は少しだけ俯いた。でも、次に顔を上げたとき、その瞳には二年生としての、そして次代を担うリーダーとしての強い光が宿っていた。
「……はい! 紗良部長……。私、至らないところばかりですけど……みゆと一緒に、最高のチームを作ります。先輩たちの想い、絶対に無駄にはしません!」
「いい返事よ」
部長は満足そうに微笑み、パンと一度、力強く手を叩いて全員の顔を見渡した。
「さあ、星和女子部のミーティングはここまで! 湿っぽい空気は、この風に流してしまいなさい。……あら、あそこで待っているのは?」
部長の視線の先、広場の入り口に二人の人影が見えた。私たちの戦いをずっと特等席で見守ってくれていた、心強い味方だった。
「高城さん、本当にお疲れ様。素晴らしい試合だったわ」
落ち着いた声とともに歩み寄ってきたのは、生徒会長の佐々木梓さんだった。その後ろから、我慢できないといった様子で凛ちゃんが飛び出してくる。
「みゆちゃん!!」
凛ちゃんは私の両手をぎゅっと握りしめ、目を輝かせながら声を弾ませた。
「すごかった、本当にかっこよかったよ! 0-5からあんなに追い上げるなんて……私、心臓が止まるかと思ったんだから! 最後の最後まで諦めないみゆちゃんを見て、応援席のみんなもボロ泣きだったんだよ!」
「凛ちゃん……ありがとう。応援、ちゃんと届いてたよ」
彼女の裏表のない称賛に、張り詰めていた心のトゲが溶けていくのを感じた。
梓さんは紗良部長の前に立つと、深く、敬意を込めて一礼した。
「生徒会としても、女子テニス部の今回の躍進には感謝しています。去年までの苦しい時期を知っているからこそ、この全国2回戦進出という結果が、どれほど価値のあるものか……。高城さん、あなたが守り抜いた星和の誇り、確かに受け取りました」
「……生徒会長にそう言っていただけると、報われます」
高城部長は少し照れくさそうに、けれど晴れやかな顔で応えた。
「さあ、みんな。会長も来てくれたことだし、最後は笑顔で帰りましょう」
部長は再び、センターコートの方向を指差した。
「私たちの挑戦はここで一区切りだけど、星和学院の戦いはまだ終わっていないわ。明日は男子の準決勝……。自分たちの悔しさを全部、水瀬くんたちの応援にぶつけましょう! 彼らが頂点に立つ姿を、私たちの目に焼き付けるのよ!」
「「「はいっ!!!」」」
女子部、そして応援してくれた仲間たちの声が、十一月の澄んだ空に吸い込まれていく。
託された「エース」という称号と、明日戦う彼らへの想いを胸に。
私は冷たい夜風の中、茜色から群青色へと変わる空を見上げ、明日という日を強く見据えた。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
エースと部長の引き継ぎです。




