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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第10章:全国の強豪たち

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嵐の前の静寂

有明での激闘を終え、星和学院の男女テニス部が宿舎のロビーに足を踏み入れたとき、そこには見慣れた顔が待っていた。


窓際のソファで手元の資料に目を落としていた少年が、私たちの足音に気づいて顔を上げる。帝都大附属の主将、北条 蓮さんだ。湊兄さんと並び称される実力者であり、今の3年生世代では、鳳凰院の不知火焔に次ぐナンバー2とも目されている。


「北条さん……!」


陽太が真っ先に歩み寄り、姿勢を正した。一年生の陽太にとって、蓮さんは湊兄さんと同じく尊敬する「兄貴分」のような存在だ。


「陽太か。一回戦の突破、まずは順当といったところだな」


蓮さんは資料を閉じ、穏やかな動作で立ち上がった。その視線は陽太を通り越し、後ろに控える女子部の面々、とりわけ私――みゆを捉えて柔らかく緩む。水瀬家とも親交が深い蓮さんは、私にとっては幼い頃から知っている優しいお兄さんでもある。


「北条さん、わざわざ僕たちの宿舎まで……どうしたんですか?」


陽太の問いに、蓮さんは少し真面目な顔つきになって告げた。


「女子部の二回戦の相手が気になってな。……西園寺女子中等部。お前たちに、少し話しておこうと思って来たんだ」


その名が出た瞬間、高城部長の顔色が目に見えて変わった。隣にいた美咲が、不思議そうに小首をかしげる。


「西園寺女子……? 先輩、有名な学校なんですか?」


美咲の問いに、高城部長は唇を噛み、重い声で答えた。


「有名どころじゃないわ、美咲。去年の全国覇者よ。それも、創部以来一度も王座を譲ったことがない、女子テニス界の絶対的な『女王』……」


「……女王」


美咲が言葉を呑み込む。蓮さんは落ち着いた口調で、さらに具体的な状況を付け加えた。


「シングルス1に君臨する鳳仙ほうせんみやび。彼女はすでに複数の世界的メーカーから注目されている、文字通りの『天才』だ。男子の頂点に不知火焔がいるように、女子の頂点には彼女がいる」


「不知火さんと、並ぶくらいの……」


私の言葉に、蓮さんは静かに頷く。


「鳳仙雅にとって、この大会はあくまで通過点に過ぎない。彼女が見据えているのは国内のタイトルではなく、世界のグランドスラムだ。今の星和……特に、ようやく形になり始めたばかりの一年生ダブルスでは、まともに打ち合うことすら難しいかもしれない」


蓮さんの視線が、再び私を捉える。それは突き放すようなものではなく、これから戦う私への純粋な心配が含まれているように感じた。


「北条さん、それは……」


陽太が何か言いかけようとしたが、蓮さんはそれを穏やかに制した。


「陽太。過信も、過度な恐れも必要ない。ただ、鳳仙は君たちが今まで戦ってきた『中学生』の基準にはいないということだけ覚えておけ。……相手のレベルを正しく知っておくことが、明日、自分たちのテニスを失わないための唯一の手段だ」


蓮さんはそれだけ言い残すと、陽太の肩を軽く叩き、私に一度だけ小さく手を振って宿舎を後にした。


残されたロビーには、重苦しい沈黙が降り積もる。

「鳳仙、雅……」

私が小さく溢したその名は、これから私たちが挑む絶壁の高さを物語っていた。


蓮さんが去った後のロビーには、冷や水を浴びせられたような沈黙が続いていた。

やがて、顧問の坂上先生に促されるようにして、私たちは重い足取りで食堂へと向かった。


テーブルに並んだ豪華な食事も、今の私たちにはどこか色褪せて見える。

箸を動かしながらも、美咲が堪えきれずに高城部長へ問いかけた。


「……部長。さっき蓮さんが言ってた『鳳仙雅』って、具体的にどれくらいヤバイ人なんですか? プロ契約って言ったって、まだ私たちと同じ中学生ですよね?」


美咲の言葉に、高城部長は箸を置き、遠くを見るような目で語り始めた。


「……彼女は、私たちとは住む世界が違うのよ。昨年の全国大会、鳳仙雅は全試合を通じて、相手にたったの一ゲームも許さなかった。すべて『6-0』のストレート勝ち。それも、各校のエースを子供扱いして、よ」


「一ゲームも……?」

美咲の顔から血の気が引いていく。


「それだけじゃないわ。彼女のサーブは、女子中等部の平均を遥かに超える時速180kmに迫ると言われている。さらに、相手の得意なショットをあえて打たせ、それを完璧なカウンターで粉砕することで、相手の心までも焼き尽くすの。……ついた異名は『煉獄の処刑人』。彼女に挑んで、テニスを辞めてしまった有望な選手は何人もいるわ」


「そんなの……どうやって勝てばいいんですか……」


佐藤先輩が、絞り出すような声で言った。今日の試合でS3を落とした悔しさが、強大な敵の存在によって、より深い不安へと変わっていくのが手に取るようにわかった。


「……でも」


不意に、隣に座っていた陽太が口を開いた。

「鳳仙雅がどれだけ怪物でも、彼女がカバーできるのはシングルスの1本だけだ。団体戦は5本勝負。……みゆたちのダブルスが勝って、星和の総合力で挑めば、可能性があるはずだ」


陽太は私を見つめ、力強く頷いた。


「北条さんは、わざわざ絶望を教えに来た。それは、絶望した後にどう立ち上がるかを見ているんだと思います。……みゆ、今日のあの感覚、もう一度思い出して」


陽太の言葉に、私の瞳が微かに揺れた。

今日の試合で掴んだ、あの静かな支配。

相手の動きが波紋のように見え、自分がコートの一部になったような感覚。


「……うん。鳳仙雅が煉獄の処刑人なら……私は、その火さえも鎮めて飲み込む、静かな水になりたい」


私の言葉に、高城部長が驚いたように顔を上げた。

不安に支配されていた食堂の空気が、わずかに熱を帯び始める。


「……そうね。私たちは星和学院。一人で戦っているわけじゃない。一人が負けても、次が繋ぐ。……鳳仙雅まで回さずに勝つ。あるいは、彼女が出てくる前に王手をかける。道はそれだけじゃないわ!」


部長の力強い宣言に、女子部メンバーの瞳に再び火が灯った。

「煉獄」という名の絶望を前にして、私たちは初めて「チーム」として、本当の牙を剥こうとしていた。


夕食後、明日への対策会議を終えた私たちは各自の部屋へ戻ることになった。けれど、胸の奥で燻る高揚感と緊張が私を眠りへと誘ってはくれない。私は火照った頬を冷ますため、一人で宿舎の屋上庭園へと向かった。


夜気は鋭く、結び直した髪を冷たく揺らす。

「……夜風に当たりすぎるな。明日のパフォーマンスに響くぞ」


背後から届いた低く落ち着いた声に、私は肩を跳ねさせた。

「兄さん……」


そこに立っていたのは、練習着の上にチームジャージを羽織った湊兄さんだった。湊兄さんは私の隣まで歩いてくると、柵に手を預けて遠くの夜景に視線を投げた。


「蓮の話に、毒されたか」

「……少し、ね。鳳仙雅っていう存在が、あまりに遠すぎて」


私が小さく溢すと、湊兄さんは表情を変えないまま、けれど静かに言葉を続けた。

「蓮がわざわざ釘を刺しに来たのは、お前たちを怯えさせるためじゃない。鳳仙雅という本丸に至るまでに、西園寺の『兵力』に削り殺される未来を危惧したからだ」


「……どういうこと?」


「西園寺女子が最強なのは、鳳仙一人がいるからではない。彼女を出すまでもなく、他のメンバーで勝負を完結させてしまう層の厚さにある。……お前がシングルスで出ようがダブルスで出ようが、役割は一つだ。相手の『必勝の計算』を狂わせ、盤面をかき乱してこい」


湊兄さんは一度言葉を切り、私を真っ直ぐに射抜くように見つめた。


「女王の余裕が崩れ、焦りが生じた時、鳳仙雅という『煉獄』は初めて姿を現す。彼女を引きずり出すことさえできないまま敗れるか、その喉元にまで牙を届かせるか。……すべては、お前のテニスに懸かっている」


湊兄さんの言葉が、霧がかった私の頭に光を差し込む。

鳳仙雅に怯えるのではなく、彼女をコートへ引きずり出すための「ノイズ」になること。


「兄さん……。私、やってみる。今日の試合で感じた、あの感覚。西園寺の精密なテニスにこそ、私のリズムを叩き込んで、女王の計算を狂わせてやるんだから」


「……その意気だ。お前の瞳が捉える景色は、もう以前のそれとは違うはずだ」


湊兄さんはそう言うと、私の頭を一度だけ無造作に、けれどどこか励ますように撫でた。

かつて自信を持てず、湊兄さんの背中に隠れていた私ではない。今は、自分の足で立ち、自分の視界で勝利への道筋を探している。


「……ありがと、兄さん。もう、迷わないよ」


見上げた夜空には、秋の星座が冷たく、けれど強く輝いていた。

明日の二回戦。私たちは西園寺女子という巨大な壁に、星和の誇りを懸けて挑む。

絶望の先にある、わずかな光を掴み取るために。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


女子二回戦の相手がきまりました。

先に男子の二回戦の試合に移ります。

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