水色の覚醒
男子部の圧倒的な初陣を見届けた私たちは、入れ替わるように女子団体の試合が行われるサブアリーナへと移動を開始した。 メインスタジアムとはまた違う、独特の張り詰めた緊張感が通路に満ちている。
「……すごい人。これが全国なんだね、みゆ」
隣を歩く美咲が、少しだけ緊張した面持ちで呟いた。同じ一年生として、これまで数々の修羅場を共にしてきたけれど、やはり有明の空気は特別だ。
「うん。でも、やることは変わらないよ。練習してきたことを信じよう」
私はラケットバッグのストラップをぎゅっと握りしめた。私の瞳に映るのは、まだ見ぬ強敵たちへの恐怖ではなく、陽太たちが残していった勝利の熱気だ。
やがて、女子部専用の待機所に到着すると、顧問の坂上先生が厳しい表情でボードを掲げた。
「女子の一回戦、相手は越前女子だ。北陸の守護神として知られ、守備の堅さは全国でも指折りだ。水瀬が地区大会決勝で見せた『先読み』に対しても、徹底した対策を練ってきているという情報もある。――オーダーを発表する」
坂上先生の声が響く。
ダブルス2:水瀬 みゆ(1年) / 松本 美咲(1年)
ダブルス1:小林 芽衣(2年) / 佐藤 春花(2年)
シングルス3:伊藤 綾(2年)
シングルス2:鈴木 唯(3年)
シングルス1:高城 紗良(3年)
「水瀬、松本。お前たち1年生ペアが切り込み隊長だ。勢いを作ってこい」
名前を呼ばれ、美咲と顔を見合わせた。 1年生同士のダブルス2。チームの流れを左右する重要なポジションだ。
「よしっ、やるよ、みゆ! 1年生コンビの力、見せつけに行こう!」
美咲が不敵に笑い、私の背中をバシッと叩く。その勢いに、私の心の中にあった小さな不安が吹き飛んだ。
「木村、お前はサポートに回れ。全員でこの一戦を獲りに行くぞ!」
「はい!」
三年生の木村先輩の力強い返事が響く。 女子部のメンバー全員が円陣を組み、一つに重なる。
「星和――ファイト!!」
結び直した水色の髪が、気合と共に揺れる。 私の瞳は、すでにコートの向こう側、勝利へと続くわずかな隙間を見つめていた。
いよいよ、私たちの全国大会が始まる。
「女子ダブルス2、試合開始!」
有明のサブアリーナに、審判の鋭い声が響き渡った。 コートの向こう側に立つ越前女子のペアは、私たちの顔を見るなり、薄く冷ややかな笑みを浮かべた。
「星和の『水瀬みゆ』……あんたの『目』がどれほど正確か、試してあげるわ」
試合開始早々、私は言いようのない違和感に襲われた。 私の持ち味は、相手の筋肉の動きやラケットの角度から、打球の軌道を瞬時に弾き出す「先読み」だ。けれど、彼女たちの動きにはその「予兆」がない。
(……おかしい。打つ直前までコースが決まっていない?)
相手は、私が動くのを待っている。私が一歩でも右へ重心を移せば、その瞬間に左へ。私がネット前に詰めれば、その瞬間にロブを。 それは、私の「読み」を完全に逆手に取った、後出しジャンケンのようなテニスだった。
「……っ、あ……!」
私の逆を突く鋭いボレーが、コートの端を射抜く。 「15-40!」
序盤から一方的に攻め立てられ、瞬く間に第1ゲームを落としてしまった。応援席にいる陽太の視線を感じる。彼に格好いいところを見せたいという焦りが、さらに私の判断を鈍らせていく。
「みゆ、大丈夫、前を向いて!」
美咲の声が耳元で弾けた。彼女は、私の後ろで激しいストロークを打ち合いながら、必死に私を鼓舞し続けていた。
「相手はあんたの『読み』を潰しにきてる。だったら、読まなきゃいい! 私があんたの穴を埋めるから、もっと自分の感覚を信じなよ!」
「美咲……」
「あんたの『目』は、相手を追うためにあるんじゃないでしょ? 勝利を掴むためにあるんでしょ!」
美咲が力強く放ったストロークが、相手のラケットを弾く。その瞬間、私はハッとした。 私はいつの間にか、相手の対策に怯え、受動的な「予測」に縛られていたのだ。
私は一度、ラケットを構え直し、深く、深く呼吸をした。 ざわついていたスタジアムの音が遠のき、世界から色が消えていく。 その中心で、私の瞳だけが、一点の濁りもなく澄み渡っていく。
(……読まなくていい。ただ、感じるだけで)
陽太との特訓、陽太が天音さんとの試合で感じた「思考の誘導」。 相手の動きに反応するのではなく、私がこのコートの「流れ」を作るんだ。
第2ゲーム、私のサーブ。 私はあえて、相手が一番得意とするフォアハンド側に、緩やかなボールを打ち込んだ。
「甘いわよ!」
相手がここぞとばかりに踏み込み、渾身のクロスショットを放つ。
その瞬間、私の体はすでに宙を舞っていた。 予測ではない。相手が「そこに打たざるを得ない」状況を、私のサーブとポジショニングで作ったのだ。
「――逃がさない」
私の視界に、ボールの軌道が光の筋となって浮かび上がった。
「……嘘、追いつかれた!?」
越前女子のペアに動揺が走る。 私の澄んだ水色の瞳は、今やコート上のすべてを静かに透かし見ていた。相手の狙い、美咲の呼吸、そして有明の風の向きさえも。
「美咲、次はセンターに集めて。相手を中央に寄せてから、私が仕留める」
「オッケー、みゆ! 暴れてきな!」
美咲の放つ重いストロークが相手を翻弄し、思惑通り相手ペアをコートの中央へと釘付けにする。逃げ場を失い、苦し紛れに放たれたロブに対し、私は迷わず空中に跳んだ。
(読まされるんじゃない。私が、答えを書くんだ)
相手が次の一歩を踏み出す瞬間に、その逆を突く。糸を引くような正確なボレーが、オープンコートの隅へと突き刺さった。
「ゲームセット! 6-3、星和学院!」
まずは私たち一年生ペアが、貴重な先取点をチームにもたらした。 コートから引き上げる際、観客席の最前列で拳を握りしめている陽太と目が合った。彼は何も言わず、ただ深く、満足そうに頷いた。その琥珀色の瞳には、私への確かな敬意が宿っている。
しかし、全国の壁は高く、厚かった。 ダブルス1を二年生ペアの小林先輩・佐藤先輩が粘り勝ちで繋いだものの、シングルス3の伊藤先輩が、越前女子のエース・一ノ瀬さんと激突する。
「……強い」
応援席から見ていても分かる、圧倒的な球威と執念。伊藤先輩も食らいついたが、一ノ瀬さんの放つ強烈なフォアハンドの前に、ついに力尽きた。
「ゲームセット! 6-2、越前女子!」
これで対戦成績は2-1。一気に不穏な空気が漂う中、チームを救ったのは三年生の先輩たちだった。シングルス2の鈴木先輩が気迫のプレーで勝利をもぎ取り、最後は部長の高城先輩が、エースとしての格の違いを見せつけて試合を締めくくった。
「試合終了! 計4-1で星和学院の勝利!」
全勝とはいかなかった。けれど、この「1敗」が、私たちに全国大会の本当の厳しさを教えてくれた。
「みゆ、お疲れ。……あのボレー、凄かったな」
ベンチに戻ると、陽太がタオルを差し出しながら声をかけてくれた。
「……陽太たちの試合を見てたからだよ。田中くんと競い合って、高め合ってる姿を見て、私も……自分の限界を決めたくないって思ったの」
私の水色の瞳と、彼の琥珀色の瞳が交差する。 兄・湊のような圧倒的な天才ではないかもしれない。けれど、私たちは互いを最高のライバルとして認め合い、泥臭く進化し続けることができる。
「お疲れ様。さあ、今日は宿舎に戻って明日に備えるわよ!」
部長の高城先輩の号令に、私たちは心地よい疲労感と共に歩き出す。
夕暮れに染まり始めた有明の空。 勝利の喜びと、一敗の悔しさを胸に。 私たちは、さらなる波乱と誓いの時間が待つ宿舎へと向かった。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
全国大会初戦、男女ともに通過。
女子の試合もかなり端折ってます。




