有明の疾風
「これより、星和学院vs筑紫学園の試合を開始します。男子ダブルス2、コートに入ってください」
「試合開始!」
審判のコールがスタジアムに響き渡ると同時に、有明の空気が一変した。 コートの向こう側に立つのは、筑紫学園の2年生ペア。九州の荒波で揉まれた彼らは、一回り大きな体躯から威圧感を放っている。
「一年生コンビか、運がなかったな。挨拶代わりに、九州の『洗礼』を浴びせてやるよ!」
相手の挑発的な言葉にも、陽太は眉ひとつ動かさない。その瞳は、ただ静かに相手の足元とラケットの面を捉えていた。
最初のゲーム。田中くんのサーブから始まったが、相手の超攻撃的なリターンに苦戦を強いられる。筑紫学園の持ち味は、重戦車のようなパワーテニスだ。強烈なトップスピンが田中くんの足元を襲う。
「瑛太、走れ!」
「分かってる!」
田中くんが吠えた。彼は陽太から贈られた「一番負けたくないライバル」という言葉を、その脚力に変えていた。左右に振られる厳しい打球。誰もがエースを確信した瞬間、瑛太くんの驚異的なスプリントが、ボールを掬い上げる。
「……拾うね、あの子」
観客席から驚きの声が漏れる。田中くんが泥臭く繋いだ一球。チャンスボールが相手の頭上に上がる。
(来る――!)
私はフェンスを握りしめた。筑紫の選手が渾身の力でスマッシュを叩き込む。その瞬間、ネット際で静止していた陽太が、爆発的な加速でサイドへ跳んだ。
「――そこだ」
陽太は、相手がスマッシュを放つ直前の「肩の開き」から、コースを完璧に読み切っていた。 乾いた打球音が響く。陽太のボレーは、相手の予測を完全に外した逆サイドの隅、いわゆる「アングルの死角」に突き刺さった。
「15-0!」
沈黙。そして、どよめき。 今のはただの偶然ではない。陽太は、田中くんが背後ですべてを拾ってくれると確信しているからこそ、極限まで前へ詰め、相手の心理を逆手に取ったポーチに出られたのだ。
「陽太、ナイス!」
「瑛太、ナイスカバーだ。……次も、お前の脚を信じて動くよ」
二人が拳を合わせる。その背中は、もはや湊兄さんの影を追うだけの一年生ではなかった。 互いをライバルと認め、背中を預け合う「星和の双翼」。
試合は、ここから加速していく。 陽太の「予測の先」を行く洞察力と、田中くんの「予測を覆す」脚力。 二人の若き才能が、有明の舞台でこれまでにない化学反応を起こし始めていた。
「……嘘だろ、あの一年生ペア!」
観客席からどよめきが広がる。序盤のパワープレーを凌ぎきられ、逆に翻弄され始めた筑紫学園の表情に焦りが色が浮かぶ。
「おい、遊びは終わりだ! 力で押し潰せ!」
筑紫のペアがギアを上げた。九州の雄としてのプライドが、彼らのラケットに凄まじい熱量を宿らせる。放たれる打球はどれも重く、コートに突き刺さるような爆ぜる音を立てた。
だが、陽太の瞳はますます冷徹さを増していく。
(……見えてきた。相手の『思考』の通り道が)
陽太は、山で天音司から叩き込まれた「心理の誘導」を、実戦という極限状態で研ぎ澄ませていた。あえて一歩分だけ逆サイドに重心をかけ、相手に「抜ける」と思わせる隙を見せる。相手がその誘い文句に乗ってダウン・ザ・ラインに強打を放った瞬間、陽太の体はすでにその弾道上にあった。
「――読み通りだ」
鋭いボレーが相手の足元を抉る。相手は予測を裏切られた衝撃に、ラケットを合わせるのが精一杯だった。
「瑛太、仕留めろ!」
「おうっ!」
陽太が作った完璧な「隙」。そこに、ベースラインで虎視眈々と狙っていた田中くんが突っ込んでくる。彼の自慢の脚力が、前への推進力へと変換される。
バチィィィン!
田中くんの渾身のフォアハンドが、相手の守備を文字通り打ち砕いた。
「4-0! 星和学院、リード!」
「すごい……」
私は言葉を失っていた。陽太は、自分の『読み』をただ使うだけじゃない。あえて相手に『読ませる』ことで、相手の打球を自分たちの都合の良い場所へ集めている。 それは、かつて湊兄さんや選抜合宿で陽太と対峙した天音さんが見せていた、コート上の支配者の戦い方だった。
「……河村くん、あんなに凄かったかな」
美咲が呆然と呟く。
「合宿で何があったのかは知らないけど……今の彼は、相手の心を折るテニスをしてるわ」
高城部長が冷静に状況を分析していた。
そう、陽太のプレーは残酷なほどに合理的だった。筑紫学園のペアがどれほど声を張り上げ、パワーで打開しようとしても、そのすべては陽太の手のひらの上で転がされているに過ぎない。
相手のボレーがネットにかかり、崩れ落ちる。その絶望的な表情とは対照的に、陽太は汗を拭いながら、どこか遠くを見据えていた。彼が見ているのは、目の前の敵ではない。有明の頂点、そしてその先にいるライバルたちの背中だ。
「……みゆ」
田中くんとチェンジコートですれ違う際、陽太がふと応援席の私に視線を向けた。 その瞳は、熱く燃え上がりながらも、透き通るような琥珀色の輝きを放っている。
「これが、俺たちの進む道だ」
言葉にはならない確かな決意が、私の中の不安を完全に消し去った。 陽太、あなたはもう、誰の助けもいらない「一人の男」として立っているんだね。
「ゲームカウント、5-0! 星和学院、マッチポイント!」
審判のコールが響き、スタジアムの熱気は最高潮に達した。 陽太と田中くん、二人の一年生は、肩で息をしながらもその瞳に一点の曇りもない。
陽太は深く息を吐き、最後の一球を投じるためにベースラインに立つ。 観客席から見守る私の視界には、冬の光を浴びて躍動する二人の姿が鮮明に映っていた。
「瑛太、最後……練習していた『あれ』やってみろよ」
「……知ってたのかよ。失敗しても笑うなよ、これでも血の滲むような練習をしてきたんだ!」
陽太が放ったトスは、真っ直ぐに太陽を射抜いた。
バシィィィッ!
陽太の放った鋭いスライスサーブ。筑紫学園の選手が必死に食らいつき、高く浮いたチャンスボールがネット上空に上がる。 その瞬間、田中くんが爆発的な踏み込みでコートの中央へと躍り出た。
田中くんが空中で大きく弓なりに身体を反らせる。彼が秘密裏に、そして誰よりもひたむきに練習し続けてきた新技。 ラケットがボールの頂点を捉えた瞬間、手首の鋭いスナップで強烈な縦回転が加えられた。
「――いっけぇぇぇ!!」
放たれたのは、トップスピンのかかったスマッシュ。 打球はコートのサービスライン付近で一度急激に沈み込み、バウンドした直後、生き物のように角度を変え相手の股下を通り過ぎ、2度目のバウンドで高く跳ね上がった。
「……っ!?」
相手選手は一歩も動けない。打球に反応することができない、予想外の軌道。
「ゲームセット! 6-0、星和学院! 河村・田中ペアの勝利!」
静寂が訪れ、一拍おいて地鳴りのような歓声がスタジアムを揺らした。 コートの中央で、陽太と田中くんは力強く拳を合わせる。それは信頼するパートナーとして、そして最高のライバルとして認め合った二人の、誇らしい姿だった。
陽太がふと顔を上げ、応援席の私を見上げた。 逆光の中で、彼が小さく頷く。 『待たせたな、みゆ。次は、お前の番だ』
その強い眼差しを受け止め、私はゆっくりと立ち上がった。
「……うん。見てて、陽太」
その後、男子団体は怒涛の勢いで勝利を重ねた。 大野部長、渡辺先輩が着実に勝利を収め、最後は湊兄さんがシングルス1で圧倒的な実力を見せつけ、筑紫学園を5-0で退けた。
「男子部、一回戦突破おめでとう!」
私が控室の廊下で声をかけると、湊兄さんが立ち止まり、私の頭を軽く撫でた。
「みゆ。陽太たちは最高の仕事をした。次は、お前たちの番だ」
湊兄さんの視線の先には、すでにアップを始めている女子部のコートがあった。 一回戦の勝利に沸く男子部の熱気が、私の体に乗り移ったような感覚。不安はもう、一欠片も残っていない。
「うん。……行ってくるね、兄さん、陽太」
私は自分の水色の瞳に、勝利への決意を宿らせた。 長い髪を束ね直し、ラケットバッグを肩にかける。 陽太と田中くんが切り拓いてくれたこの勝利の道。
「男子部、一回戦突破! 女子部、後に続くよ!」
美咲の力強い掛け声と共に、私は自分たちの戦場へと足を踏み出した。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
全国大会1試合目です。
すみません。 陽太たち以外の試合もありますが、省略しました。




