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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第9章:氷の審判と、琥珀の解答

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繋がる手、届ける想い

11月の夜風は、数日前までの秋の余韻を完全に消し去ったかのように鋭く、肌を刺した。家の前を歩く私の吐息は白く染まり、夜の静寂に吸い込まれていく。


「ほら、これ。陽太くんに届けてあげて」


出発の際、お姉ちゃんから手渡されたのは、ずっしりと重みのある紙袋だった。中には、彼女が得意とする焼きたてのアップルパイが入っている。

「二週間も山に籠もって泥だらけになってたんだから、脳に糖分が必要でしょ。……今日、行くこと伝えてないんでしょ? 驚かせるなら、美味しい手土産があった方がいいじゃない」

姉の茶目っ気たっぷりの言葉を思い出し、私はトートバッグの中で温もりを保つパイと、二週間分の授業をまとめた分厚いファイルを、もう一度抱え直した。


河村家の前に着くと、二階にある陽太の部屋から明かりが漏れているのが見えた。

連絡はしていない。今日、学校で少しだけ言葉を交わしたけれど、あまりに変わった彼の雰囲気に、どこか遠慮してしまった自分がいた。

「……本当に、受け取ってくれるかな」

昼間のコートで見せた、あの圧倒的な強さと鋭い眼光。私の知っている「陽太」が、一気に遠くへ行ってしまったような、誇らしさと少しの不安。それを確かめるための、独りよがりかもしれない訪問。心臓の鼓動が、コートの厚みを超えて響く。


迷いを振り切るようにインターホンを押すと、家の中から軽やかな、聞き慣れた足音が近づいてきた。


「はーい、どちらさま? ……あら! まあ、みゆちゃんじゃない!」


ドアを開けてくれたのは、陽太のお母さんである河村かわむら朝陽あさひさんだった。ふんわりとしたクリーム色のカーディガンを羽織り、陽太によく似た穏やかな瞳を驚きに丸めて私を迎えてくれる。


「こんばんは、朝陽さん。夜分にすみません……。あの、陽太に学校のノートを届けに来たんですけど、今、大丈夫でしょうか?」

「もちろんよ! まあ、陽太ったら何も聞いてないわよ? さっきまで『明日までに課題が終わらない……』って、頭を抱えて唸っていたんだから」


朝陽さんはクスクスと笑いながら、「さあ、外は寒いでしょう、入りなさい」と私の手を取り、暖かい玄関へと招き入れてくれた。家の中は、いつも通り優しいお香の香りと生活の匂いがして、私の強張っていた肩をふっと解いてくれる。


「これ……お姉ちゃんからの差し入れです。アップルパイを焼いたからって」

「まあ、雫ちゃんのお手製? 嬉しいわ、さっそくお茶の準備をしなきゃ。陽太にも、何か元気になる魔法が必要だと思っていたところなの。二週間も山に籠もって逞しくなったのはいいけれど、ペンを持つよりラケットを持つ方が楽だなんて嘆いていたのよ」


朝陽さんは私の持っている分厚いファイルを見て、優しく微笑んだ。

「二週間分のノート……大変だったでしょう。みゆちゃんが、あの子のいなかった時間をこうして繋いでくれていたのね。いつも、陽太を支えてくれて本当にありがとう」


朝陽さんの言葉は、どこまでも温かく、私の胸の奥に深く染み渡った。

「私の方こそ……陽太の頑張る姿に、いつも勇気をもらっているんです。だから……」

「ふふ、そんなに顔を赤くしなくても大丈夫よ。……さあ、内緒で上に行っちゃいなさい。陽太、きっと腰を抜かすほど喜ぶわよ」


朝陽さんは楽しそうに指を唇に当て、「内緒ね」とウインクをした。

私は朝陽さんに促され、懐かしい階段を一段ずつ上っていった。一段上るごとに、バッグの中のファイルが重みを増すような気がする。


陽太の部屋の前で立ち止まる。ドアの向こうからは、消しゴムで必死に何かを消すような音と、小さなため息が聞こえてきた。

私は大きく一つ深呼吸をして、少し震える指先で、そっとノックをした。


「……はい、どうぞ。開いてるよ」


中から聞こえてきたのは、どこか投げやりで、疲れ切ったような陽太の声だった。私がそっとドアを開けると、そこには机に突っ伏して、シャーペンを握ったまま動かなくなっている陽太の姿があった。


「お疲れ様、陽太。……かなり苦戦してるみたいだね」


「えっ……!? み、みゆ!?」


跳ねるように椅子から立ち上がった陽太は、信じられないものを見たという顔で目を見開いた。あまりの驚きに、椅子がガタガタと大きな音を立てる。


「ど、どうして!?……連絡もなしに、急に……!」

「驚かせようと思って。……それと、これ。約束してた二週間分のノート。あとお姉ちゃんからの差し入れのアップルパイだよ」


私がトートバッグから分厚いクリアファイルを取り出すと、陽太は呆然とそれを見つめた後、机の上の消しゴムのカスを慌てて手で払い落とした。


「……助かった。正直、もう泣きそうだったんだ。山の上の特訓より、この分数の計算の方がよっぽど手強いな」


陽太は照れくさそうに笑いながら、自分の隣にある丸椅子を引いてくれた。私はその隣に腰を下ろし、ファイルを広げる。クラスは違っても、同じ学年の授業内容は変わらない。私が授業中に必死にペンを走らせた努力の結晶だ。


「これ、数学。先生が『ここが出るぞ』って言ってたところは赤線引いておいたから。あと、英語の単語テストの範囲は……」

「……みゆ」


説明を続けようとした私の言葉を、陽太が小さな声で遮った。ふと顔を上げると、陽太が少し顔を赤くして、じっと私を見つめていた。


「ノート、本当にありがとう。……でも、その、いきなり来てくれるなんて思わなかったから……さっき一緒に帰ったばっかりなのに、また心臓がバクバクしてる」


「私だって……驚かせたかったけど、本当はちょっと緊張してたんだよ」


陽太は少しの間、迷うように指を動かしていたけれど、やがて勇気を出したように私の手をそっと握った。さっき帰り道で繋いだ時と同じ、少しざらつきが増した陽太の手。でも、その握り方は、私の知っている優しい陽太のままだった。


「……山にいた二週間、すごく長かった。夜、星を見ながら、みゆは今頃何してるかなとか、俺のこと忘れてないかなとか、そんなことばっかり考えてたんだ」

「忘れるわけないじゃない。……私も、休み時間に廊下で陽太の姿を探しちゃったりしてたんだから」


私の言葉に、陽太は嬉しそうに、でもどこか切なそうに目を細めた。

「……おかえり、陽太」

「ただいま、みゆ」


見つめ合うと、お互いの顔がどんどん熱くなっていくのが分かる。陽太は握った手に少しだけ力を込めると、恥ずかしさを堪えるように、私の肩にコツンと自分の額を預けてきた。


「……あと一分。いや、あと三分だけ、こうしてていい? こうしてると、本当に隣に戻ってこれたんだなって安心するから」

「……うん。いいよ」


肩に触れる陽太の体温。一生懸命に戦ってきた彼を、心から「お疲れ様」と包み込みたい気持ちで胸がいっぱいになる。


「……あ、でもアップルパイ、冷めないうちに食べよう? お姉ちゃんが『冷めたら魔法が解ける』って言ってたよ」

「あはは、何それ。……じゃあ、一緒に食べようか。みゆのノートを見ながらなら、この課題も倒せる気がするよ」


陽太のいつもの少年らしい笑顔が戻り、私たちはノートを真ん中に置いて、甘いアップルパイを分け合った。

夜が更けていく。窓の外には11月の冷たい月。でも、机を並べて笑い合う二人の間には、温かな春の風が吹いていた。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


陽太の母親...今まで出していなかったなぁと思い、初登場しました。

陽太が水瀬家に招待されることは多かったけど、河村家にいく描写がなかったですね。


次から全国大会編へ進みます。


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