星和祭・最終日:祭りの終焉
星和祭、ついに最終日。
今朝の水瀬家のキッチンは、いつにも増して芳醇で、どこか背筋が伸びるような緊張感のある香りに包まれていた。
「みゆ、湊。今日は最終日でしょう? 頑張ったご褒美に、お昼はお姉ちゃんが特製のお弁当を作ったわ。お友達も誘って、みんなで食べなさい」
エプロン姿の雫お姉ちゃんが、風呂敷で丁寧に包まれた大きな三段重ねの重箱を三つ、キッチンカウンターに並べた。深紅の漆を思わせる重箱が朝日に照らされ、そこだけが別の世界の調度品のような重厚感を放っている。
「えっ、三つも!? お姉ちゃん、朝早くから大変だったんじゃ……」
「ふふ、いいのよ。みゆがこの一週間、一生懸命お弁当の練習をしていたのを見ていたら、私も腕が鳴っちゃって。昨日あなたが作った『肉巻き』に刺激を受けたのかもしれないわね」
お姉ちゃんはそう言って、私の指先に残った絆創膏を愛おしそうに見つめた。
湊兄さんは、重箱の山を冷静に眺めながらも、その口角をわずかに上げた。
「……姉さんの料理なら、クラスの連中も泣いて喜ぶだろう。実行委員の仕事の合間に、俺が責任を持って運んでおく」
その時、静かな朝の空気を切り裂くように、玄関のチャイムが勢いよく、リズム良く鳴り響いた。
「おーい! みゆ、湊さん! 準備できたかー!?」
窓の外から聞こえてきたのは、突き抜けるように明るい陽太の声だった。
玄関を開けると、そこには既にテニス部の青いジャージを羽織り、朝日を背負ってやる気に満ち溢れた陽太が立っていた。
「よお、みゆ! 最終日の朝くらい、隣同士一緒に景気良く行こうぜ!」
「陽太! おはよう。早いね、まだ開門まで時間あるのに」
「おう、今日は一般公開日だろ? 焼きそばの仕込みが昨日までの倍なんだ。瑛太ももう学校に向かってるらしいぜ。……あ、湊さん、おはようございます!」
後ろから現れた湊兄さんの冷ややかな視線に、陽太は一瞬だけ「うっ」と背筋を伸ばしたが、すぐに「これ、うちの母さんから。差し入れです!」と実家の手作り梅干しが入った瓶を差し出した。
「……朝陽さんからか、有り難く受け取っておこう。陽太、今日はクラスの『行列対策』に、実行委員として極めて厳しいチェックを入れるつもりだ。覚悟しておけ」
「へへっ、望むところですよ! 湊さんを唸らせるくらいの爆速オペレーション、見せてやりますから!」
湊兄さんの牽制を笑い飛ばす陽太の底抜けた明るさに、私の心も自然と軽くなる。
雫お姉ちゃんに「いってらっしゃい」と優しく見送られ、私たちは秋の気配が混じる爽やかな風の中、家を出た。
校門の前には、既に一般公開日を待ちわびる近隣の人々や他校の生徒たちで、昨日以上の長蛇の列ができている。
「いいか、みゆ。今日は外の人間が入る。何かあればすぐに俺か、周囲の男子を頼れ。……お前のクラスには、意外と骨のある奴もいるようだからな」
湊兄さんの言葉に、私は「うん!」と力強く頷いた。陽太も「俺も隙を見てB組に顔出すからな! 変な奴がいたら焼きそばのコテで追い払ってやるよ!」と拳を握る。
それぞれの「戦場」へ向かう高揚感と共に、星和祭、最後の一日が始まった。
教室の扉を潜るとすでにみんな準備を終えているようだった。
「みゆ、泣いても笑っても今日が最後よ! 昨日の1.5倍の来客を想定して動くわよ!」
美咲が開店前のミーティングで拳を振り上げる。B組の教室——喫茶『クロノス』は、早川くんが朝一番に搬入してくれた予備のコーヒー豆とミルクの山で、もはや隙間もないほどだ。
「早川くん、体調は大丈夫? 三日間ずっとフル稼働だけど……」
私が声をかけると、早川くんはタオルの端で額の汗を拭い、ミルの状態を確認しながら短く答えた。
「……問題ない。最終日に味が落ちるなんて、ランナーがゴール前で失速するのと同じだ。最後まで完璧な粉を供給する」
その横顔には、陸上部のエース候補らしいストイックな決意が滲んでいた。
午前9時。星和祭最終日の始まりを告げるチャイムが校内に鳴り響くと同時に、正面玄関のロックが解除された。堰を切ったように流れ込んでくる外来客の波。その圧倒的なエネルギーが、廊下を通じて喫茶『クロノス』の扉まで押し寄せてくる。
「開店よ! 全員、持ち場について!」
責任者としての厳しい顔つきを見せる美咲の号令で、クラスメイトたちに緊張が走る。
店内は、早川くんが朝一番で調整したミルの「ヴィーン」という規則的な回転音と、深い焙煎豆の香りに満たされていた。入り口では、クラスで一番の大柄な男子・伊集院が、その体格を活かして優雅かつ毅然とした態度で列を整理している。
「いらっしゃいませ。時の迷宮へようこそ」
私は、ロング丈のスカートの裾を捌きながら、最初のお客様を席へと案内した。
昨日までの「校内向け」の営業とは、客層も空気感も全く違う。他校の制服を着たグループ、子供連れの家族、そして地元の年配の方々。多様な視線にさらされる中で、私は意識して背筋を伸ばし、指先まで「メイド」としての所作を徹底した。
「みゆ、3番テーブルにオムライス二つとブレンド! 5番はスコーンセットよ!」
「了解、美咲! すぐに運ぶね」
厨房と客席を往復するたび、クラシックなメイド服のフリルが激しく揺れる。早川くんは一言も発さず、マシンの前で驚異的な集中力を発揮し、次々と完璧なカップを仕上げていく。その光景は、文化祭の出し物というより、さながら一流のカフェの厨房のようだった。
騒々しい混雑が一段落し、午前11時を回った頃。
それまでざわついていた入り口付近が、潮が引くように一瞬で静まり返った。
「……あら。ここだけ、流れている時間が違うみたいね」
凛としていて、それでいて鈴の音のように透き通った声。
入り口に立っていたのは、落ち着いたネイビーのワンピースを品良く着こなし、白パールのネックレスを揺らした雫お姉ちゃんだった。その隣には、実行委員の腕章を巻き、少しだけ自慢げな、けれど妹を案じる複雑な表情を浮かべた湊兄さんが寄り添っている。
一般客の男性たちが、お姉ちゃんの圧倒的な気品と美しさに思わず道を空け、店内の空気は一瞬にして「水瀬家のリビング」のような、静謐で高貴なものへと塗り替えられた。
「お姉ちゃん! ……いらっしゃいませ、雫様。時の迷宮へようこそ」
私は慌ててメイドの所作に戻り、深く、優雅にお辞儀をした。
「ふふ、みゆ。その格好、本当に似合っているわ。家でドタバタ特訓していた子が、こんなに立派なメイドさんになるなんてね。湊から話は聞いていたけれど、想像以上だわ」
お姉ちゃんを窓際の特等席へと案内すると、私は今日一番の集中力でコーヒーを淹れた。お姉ちゃんのアドバイス通り、お湯の温度と蒸らし時間に全神経を注ぐ。
トレイを運ぶ私の指先は少しだけ震えていたけれど、カップを置く瞬間には、不思議と凪のような落ち着きを取り戻していた。
「お待たせいたしました。特製クロノス・ブレンドです」
お姉ちゃんはまず、立ち上る香りを深く吸い込み、一口ゆっくりと含んだ。
「……美味しい。雑味がなくて、とても澄んだ味がするわ。みゆ、合格点よ。あなたの努力が、ちゃんとこの一杯に溶け込んでいるわね」
お姉ちゃんに「合格点」をもらい、私が安堵の胸をなで下ろしたその時だった。
アンティーク調の重厚な扉が、ガシャンと嫌な音を立てて乱暴に開け放たれた。
「おいおい、ここが噂のメイド喫茶か? 案外ショボいな。なぁ、もっとサービスいい店かと思ったぜ」
ガムを噛み、改造した制服をだらしなく着崩した他校の男子数人組が、土足で踏み込んできた。リーダー格の金髪の男が、周囲のお客様が怯えるのも構わず下品な笑い声を上げる。
私は動揺を抑え、努めて冷静に歩み寄った。
「いらっしゃいませ。恐れ入りますが、他のお客様のご迷惑になりますので……」
「あ? なんだよ、メイドの分際で俺に説教か?」
金髪の男は私の言葉を遮ると、ニヤつきながら私の腕を強引に掴み、自分の方へ引き寄せた。
「いいじゃん、可愛い顔して。なぁ、俺らと外で面白いことしようぜ。な?」
「……離してください。営業中ですので……っ」
掴まれた腕に力がこもる。湊兄さんが椅子を蹴らんばかりに立ち上がろうとした瞬間、雫お姉ちゃんがその腕を制した。
(……待ちなさい、湊。まだよ。あの子たちの絆を見せてもらいましょう)
お姉ちゃんの瞳は、絶対零度の光を宿していた。その時、B組の面々が電光石火の動きを見せた。
「――迷宮のルールを守れない不作法な客は、退場がお決まりよ!」
まず動いたのは美咲だった。彼女は重たいトレイを盾のように構え、鋭い視線で不良たちの退路を塞ぐように毅然と言い放つ。その凛とした一喝に男が怯んだ隙を見逃さなかった。
「……触るなと言っている」
カウンターの中から、早川くんが陸上部仕込みの爆発的な踏み込みで間転を詰めた。彼は私と男の間に割って入ると、私を背後へ隠すようにして男の手を鋭く払いのける。普段の物静かな彼からは想像もつかないほどの冷徹な気迫に、男がたじろぐ。
「おっと、そこまでだ。暴れるなら僕が相手になろう」
逃げようとした男の肩を、背後から巨大な壁のような圧迫感で掴んだのは、大柄な伊集院だった。彼は圧倒的な体格差を利用し、暴れるリーダー格の男の腕を背後で完璧にロックして取り押さえた。
「なっ、離せ! このデカブツ……!」
「無駄だよ。大人しくしていてもらおうか」
その隙に、店内にいたクラスメイト数名が、阿吽の呼吸で教室を飛び出していった。
「先生呼んでくる!」「俺は生徒会長を!」
彼らの迅速な行動により、店内は「騒動」から「制圧」へと一気に空気が変わる。
伊集院による確実な拘束、早川くんの献身的な守護、そして美咲による毅然とした牽制。
三人の騎士の完璧な連携に、不良グループの仲間たちは完全に戦意を喪失した。
その一部始終を、雫お姉ちゃんは優雅に椅子に座ったまま、静かにスマホをポケットに収めたのを私は見逃さなかった。
お姉ちゃんの口元に浮かんだ、一瞬の、けれどゾッとするほど美しい微笑。
駆けつけた教師たちと生徒会長によって不良グループが連行されると、店内に安堵の溜息と、騎士たちへの小さな拍手が沸き起こった。混乱は瞬く間に収束し、交代のシフトメンバーが到着したところで、私たちはようやく一息つくことができた。
「みんな、本当にありがとう。……特に伊集院くん、早川くん、美咲。三人がいなかったら、どうなっていたか……」
私がまだ少し震える声でお礼を言うと、雫お姉ちゃんが優雅に立ち上がり、三人の前へと歩み寄った。
「伊集院くんに早川くん、そして美咲さん。みゆを、そしてこの大切な場所を守ってくれて、本当にありがとう。お礼と言っては何だけど、今日は私が腕によりをかけてお弁当を作ってきたの。広い席が空いたし、みんなで一緒に食べましょう?」
お姉ちゃんの圧倒的なオーラと微笑みに、三人は一瞬気圧された。
「……僕は当然のことをしたまでです」と伊集院が恭しく頭を下げ、早川くんは「……俺は、その。豆の香りを汚されたくなかっただけです」と耳を赤くして視線を逸らす。美咲だけは「やったー! 雫様のお弁当なんて、一生の宝物にします!」と目を輝かせていた。
窓際の大きなテーブルに、お姉ちゃんが朝から準備してくれた三段重ねの重箱が三つ、広げられた。
「わあ……! すごい、料亭の御膳みたい……!」
蓋が開けられた瞬間、美咲の歓声が上がった。
彩り豊かな野菜の炊き合わせ、艶やかな手毬寿司、そして私が今朝特訓を受けた『肉巻き』をさらに洗練させたような一品。どれもが食べるのがもったいないほど美しく、芳醇な香りを放っている。
「早川くんも、伊集院くんも、遠慮なく食べてね。湊、あなたも黙っていないで勧めなさい」
お姉ちゃんに促され、湊兄さんは少し釈然としない表情で箸を配った。
「……座れ。実行委員としても、妹の窮地を救った者たちには礼を言わねばならん。特に早川くんだったか、君のの瞬発力は見事だったな」
湊兄さんなりの不器用な称賛に、早川くんは「……ありがとうございます」と小さく頷き、お姉ちゃんの料理を一口運んだ。
「……っ、美味しい……」
「本当ですね。この味の深み、まさに貴族の晩餐だ……」
寡黙な二人が驚きに目を見開く。美咲も「美味しい! 私、これならあと百杯は白米いけます!」と頬張っている。そんな賑やかな様子を、お姉ちゃんは満足げに眺めていた。
「姉さん。さっき、なぜ俺を出させなかったんですか」
湊兄さんが低い声で問いかけると、お姉ちゃんは穏やかに微笑みながら、湊兄さんの言葉を優しく、けれど絶対に逆らえない響きで遮った。
「あら、湊。……暴力や権威で解決するのは、最後の手段でしょう? それに……」
お姉ちゃんの指先が、テーブルの上に伏せられたスマホを軽く叩く。
「……あの子たちには、これから『自業自得』という言葉を身をもって学んでもらうから。私たちが直接手を下して、みゆの思い出を汚す必要なんてないわ」
その瞬間、私だけが背筋に氷を押し当てられたような戦慄を覚えた。
お姉ちゃんが「自業自得」と言ったとき、それはもう慈悲の余地がないことを意味している。スマホの中に保存された「証拠」が、あの男たちの学校生活、ひいては未来にどのような『清算』をもたらすのか。
「……ふふ、みゆ? 手が止まっているわよ。栄養をしっかり摂らないと、午後の営業が乗り切れないわよ?」
「えっ!? う、うん、すごく美味しいよ、お姉ちゃん!」
私は慌てて笑顔を作り、チーズの入ったカツを口に運んだ。
家族と友人に囲まれた、温かくて幸せな昼食会。けれどその平穏の裏には、水瀬家の長女としての、容赦のない「守護」が潜んでいた。
「……さあ、休憩終わり! 午後も気合入れていくわよ!」
美咲の明るい声に弾かれるように、私たちは再び立ち上がった。私はお姉ちゃんの深い愛情と、その裏にある底知れない恐ろしさを胸の端に抱えながら、最終日の後半戦へと向かった。
午後二時。お姉ちゃんたちが席を立ち、嵐のような昼食会が幕を閉じても、喫茶『クロノス』の勢いは衰えるどころか、さらに混雑を増していた。廊下には最後尾のプラカードを持つクラスメイトの声が響き、店内はコーヒーの香りとお客様の談笑で満たされている。
「みゆ、ぼーっとしない! 次は8番テーブルのセット二つよ!」
美咲の元気な声に引き戻され、私は再び「時の迷宮」のメイドへと意識を切り替えた。
トラブルを乗り越えたB組の連携は、午前中よりもさらに洗練されていた。伊集院くんは、その体格を活かして入口の交通整理を完璧にこなし、早川くんは一言も発さず、まるでお湯の温度と対話するように黙々とドリップを続けている。彼の淹れるコーヒーは、どんなに忙しくても一切の雑味がなく、凛とした味がした。
「いらっしゃいませ。お待たせいたしました」
私はロング丈のスカートを捌きながら、次々と運ばれてくる注文を捌いていく。不思議と足の重みは感じなかった。指先に残った絆創膏の数も、今ではクラスのみんなと走り抜けた三日間の証のように思えて、愛おしい。
ふと窓の外に目を向けると、模擬店エリアでは陽太たちが最後のラストスパートをかけているのが見えた。
「焼きそば、あと三十食で完売でーす!」
陽太の張りのある声が、風に乗ってここまで聞こえてくる。彼は今、どんな顔をしてコテを振るっているんだろう。私の作ったあのお弁当は、少しは彼の力になれただろうか。
「……みゆ、最後の一杯、お願いできる?」
美咲が差し出してきたオーダー票には、本日最後のお客様の名前が記されていた。
私は深呼吸をし、早川くんの隣に立つ。
「早川くん、最後の一杯。最高の粉をお願い」
「……ああ。任せろ」
早川くんが丁寧に挽いた豆の香りが、店内に最後の一花を添えるように広がった。私はお姉ちゃんに教わった通り、お湯をゆっくりと、円を描くように注ぐ。
この三日間で、私はどれだけのコーヒーを淹れただろう。失敗して落ち込んだ初日、みんなでピンチを救った二日目。そして、家族や友人に守られていることを実感した今日。
最後の一滴がサーバーに落ちた瞬間、私の胸の中に、言いようのない充足感と、少しの寂しさが込み上げてきた。
午後三時。
星和祭の終了を告げるチャイムが、校舎の隅々にまで、どこか惜しむような長い余韻を持って鳴り響いた。
「ただいまをもちまして、本年度の星和祭、全日程を終了いたします。外部のお客様は速やかにご退場ください。生徒の皆さんは、直ちに片付けを開始してください」
放送が入った瞬間、あれほど熱狂に包まれていた校舎が、一気に「日常」へと引き戻される。喫茶『クロノス』の入り口に最後まで並んでいたお客様たちに、私たちは深く頭を下げ、感謝を伝えた。
「ありがとうございました! またいつか……時の迷宮でお会いしましょう!」
美咲が最後のお客様を笑顔で見送ると、私たちはすぐに動き出した。
アンティーク調の壁紙を剥がし、丁寧に並べられたテーブルを元の学習机に戻していく。魔法が解けていくような寂しさを感じながらも、作業は驚くほど早かった。クラス全員が、三日間をやり遂げた充実感で一つになっていたからだ。
「……ふぅ。これで最後だな」
早川くんが、愛用していたコーヒーミルを丁寧に拭き上げ、カバンにしまった。彼は去り際、私の方を向き、少しだけ口角を上げて見せた。
「水瀬さん、今日は散々だったけど……最後にいい一杯が淹れられたな。伊集院も、あいつらをよく止めた。……じゃあな、後夜祭、楽しんでこいよ」
「早川くん……。ありがとう、本当に。また明日、学校でね!」
彼や伊集院くんが教室を後にする背中を見送りながら、私も更衣室へ向かった。三日間、私を「メイドのみゆ」にしてくれていた衣装を脱ぎ、いつもの紺色の制服に袖を通す。鏡に映る自分は、足元がフラフラするほどの疲労を抱えていたけれど、その瞳にはこれまでになかった強い光が宿っていた。
中庭からは、キャンプファイヤーの準備をする実行委員たちの威勢のいい声と、少しずつ大きくなるフォークダンスの音楽が聞こえてくる。
「みゆ、準備できた? 私はクラスの打ち上げがあるから、先に行くわね!」
美咲がウインクを投げて去っていく。私は一人、まだ少しコーヒーの香りが残る教室に残った。
窓の外を見下ろすと、オレンジ色の夕焼けが校庭を赤く染め上げている。テントを畳み、後片付けに追われている1年A組の場所を探すと、そこには仲間と笑いながら机を運んでいる陽太の姿があった。
「……よし」
私は小さく深呼吸をして、自分の頬を両手で叩いた。
指先に残った、もう数少なくなった絆創膏をそっとなぞる。
三日間の喧騒、お姉ちゃんの来訪、早川くんたちの勇気、そして美咲との奮闘。そのすべてが、これから始まる「二人だけの時間」への序章だったのだと、確信に似た予感があった。
私は期待と少しの緊張を胸に、約束の場所――夕暮れに沈む旧校舎裏のベンチへと、ゆっくりと歩き出した。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
三日目の様子でした。最後のイベントは次話へ持ち越しです。
こっそり新キャラ登場。
そしてお姉ちゃんの企み。
どのように今後関わってくるかお待ちください。




