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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第8章:秋光のキャンパス、束の間の休息

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蒼天の運動会(スポーツフェスティバル)

運動会当日の朝、空は吸い込まれるようなコバルトブルーに染まっていた。グラウンドには万国旗が賑やかにはためき、スピーカーから流れるマーチが、生徒たちの高揚感をさらに煽っている。


午前中の第一の山場は、私が出場する『障害物競走』だった。一般生徒も多く参加する種目だが、テニス部選抜として無様な姿は見せられない。


「位置について、用意……パンッ!」


乾いたピストル音と共に飛び出す。最初の障害は「網くぐり」だ。砂だらけになりながら低姿勢で這い進み、続く平均台をテニスで鍛えたバランス感覚で一気に駆け抜ける。ここまでは順調。だが、最大の難関は最後に待っていた。


(……パン食い!)


ゆらゆらと紐に吊るされたあんパンが、秋風に煽られて意地悪に揺れている。手を使うのは厳禁だ。

(誰にも見られませんように……!)

そう願いながら、私は大きく口を開けてパンに飛びついた。しかし、あと数センチというところでパンが逃げる。無意識に顔を歪ませ、必死に空を仰ぐ。その時、観客席の端から聞き慣れた笑い声が聞こえた。


「みゆ、もっと右だ! 顎を使え!」

「あはは! みゆ、今の顔最高よ! 激写したからね!」


同じクラスの美咲と、莉奈だった。二人は身を乗り出して、楽しそうにスマホのシャッターを切っている。

「もう、最悪……っ!」

私はようやくパンを仕留めると、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、口にパンを咥えたままゴールへと駆け抜けた。


続いて行われたのは、男子の目玉種目の一つ『騎馬戦』だ。

別のクラスである陽太の出番になり、私は美咲たちと一緒に観客席の最前列へ移動した。

陽太はクラスの騎馬の「前足」を務めている。夏を越えて逞しくなった彼の肩は、上に乗る小柄なクラスメイトをがっしりと支えていた。


「陽太くんのクラス、あそこじゃない? 相手、結構大きいよ……」

莉奈が心配そうに指をさす。

陽太の騎馬は、猛然と敵陣へと突っ込んでいった。相手の騎馬と激しくぶつかり合い、砂埃が舞う。陽太は歯を食いしばって踏ん張り、膝への負担を逃がしながらも、一歩も引かない力強さを見せていた。


「落とすぞ、集中しろ!」

陽太の鋭い声が聞こえる。

普段の優しい彼からは想像もつかないような、闘争心剥き出しの表情。その眼差しは、テニスコートで見せるものと同じか、それ以上に激しく燃えていた。


(……あんな顔、するんだ)


荒々しく砂を蹴り、仲間を支える陽太の背中。入学当初の頼りなかった影はどこにもない。

相手の帽子を奪い取った瞬間、陽太は小さくガッツポーズを作り、自陣の仲間たちと雄叫びを上げた。

砂埃の中で汗を流し、凛々しく笑う彼の姿から、私は目が離せなくなっていた。胸の奥がぎゅっとなって、午前中の日差しよりも熱い何かが込み上げてくる。


「ちょっと、みゆ? 河村くんに見惚れすぎて口開いてるわよ」

美咲に肩を小突かれ、私は慌てて顔を伏せた。

「……そんなんじゃないよ。ただ、怪我しないか心配だっただけ」

言い訳をしながらも、ドクドクと高鳴る鼓動はしばらく収まりそうになかった。



午前中の喧騒が一段落し、校内はお弁当の匂いと解放感に包まれた。

私たちは、旧校舎の裏手に広がる中庭へと向かった。そこには樹齢数百年はあろうかという巨大な楠が、秋の強い陽射しを遮って涼しい木陰を作っている。


「ここなら日焼けも気にならないわね」

美咲がレジャーシートを広げると、待機していたテニス部のメンバーが次々と集まってきた。


「お待たせ。実行委員の仕事、一段落させてきたぞ」

湊兄さんが現れると、その後ろから男子部部長の大野健斗先輩、選抜メンバーの渡辺先輩たち3年生も顔を出した。さらに女子テニス部の高城部長も、鈴木先輩や木村先輩を連れて合流する。


楠の下は、いつの間にか総勢20名近いテニス部の大所帯で埋め尽くされた。2年生の岡田先輩や、ムードメーカーの伊藤先輩、1年生の莉奈や奈緒も和気あいあいとシートに座る。


「はい、差し入れの冷たい麦茶。みんな飲みなさい」

高城部長からボトルを受け取ると、部長は私の横に腰を下ろして優しく目を細めた。

「みゆ、午前中の障害物競走、頑張ってたわね。パンに飛びつく時のあの『攻め』の姿勢、今度のシングルスでも活かせそうよ」

「うぅ……高城部長まで見てたんですか。恥ずかしい……」

私が顔を覆うと、部長は楽しそうに笑った。


「さて、お楽しみのお弁当タイムだ! 陽太、例のやつ、期待してるぞ」

田中くんが自分の巨大なおにぎりを頬張りながら催促する。

「分かってるよ。はい、これ。母さん特製の『スタミナ唐揚げ』だ」

陽太がタッパーを開けると、醤油とニンニクの香ばしい匂いが一気に広がった。


「おおっ、美味そうじゃん! 陽太、一個くれよ」

2年生の岡田先輩が手を伸ばすと、陽太は「あ、はい!」と慌てて差し出す。

「じゃあ、私はこれ。お姉ちゃんが焼いてくれた出し巻き卵。……陽太、約束のおかず交換ね」

私が少し照れながらお弁当箱を出すと、隣で莉奈がニヤニヤしながら私の肩を突いた。


「へえー、みゆ。わざわざ陽太くんのために『お姉ちゃんの卵焼き』を取り置いてたんだ?」

「莉奈、変な言い方しないでよ! 約束したから、ちゃんと持ってきただけ!」


ここで美咲がニヤリと笑って「爆弾」を投下した。

「ねえ、高城部長。この二人、さっきから新婚さんみたいじゃないですか? 合宿の帰りのバスでも、手を繋いで寝てたくらい仲良しなんですよ」


「っ!? ぶふっ……!」

陽太が麦茶を吹き出しそうになり、私は奈緒に渡されたティッシュで慌てて口を拭った。

「美咲! 部長の前で何を……!」

私が赤くなって抗議するが、高城部長は興味深そうに目を輝かせた。


「あら、それはぜひ拝見したいわね。湊くん、あなたは知っていたの?」

「……。写真の存在は、今さっき美咲から聞いた。陽太、あとで本部に来い。……いや、まずはその唐揚げを一個よこせ」

湊兄さんの声が、今まで聞いたことがないくらい低く響く。

「ひえっ……! 湊さん、目が笑ってないです! 唐揚げ、一番デカいの差し上げますから!」


「ははは! 湊も大変だな、妹が心配で」

大野部長が笑う。湊兄さんは「……いや、こいつらの恋愛なら、俺は応援している方だ」と無表情に呟いたが、その手はやはり少し震えていた。


賑やかな笑い声が、楠の大きな葉を揺らす風に溶けていく。

砂埃にまみれて全力で競い合う時間も、こうして仲間と笑いながらお弁当を分かち合う時間も。そのすべてが、今しか味わえない大切な宝物のように感じられた。



お昼休みの喧騒が冷めやらぬ中、午後のプログラムが再開された。その幕開けを飾るのが、3年生有志による『借り物競走』だ。


「……位置について、用意、ドン!」


ピストルの音と共に、湊兄さんと大野部長がトラックを駆け出した。テニス部の現エースと現部長の並走に、全校生徒から黄色い声援が飛ぶ。二人はコース途中に置かれた箱から、迷いなく紙を抜き取った。


「……何だ、これ」

湊兄さんが紙を見た瞬間、その端正な顔がわずかに強張った。一方の大野部長は、紙を見るなり不敵に笑い、真っ先に本部席へと向かって全力疾走を始めた。


「大野、早いな! お題は何だ?」

実況の放送が響く中、大野部長がガシッと腕を掴んだのは、テニス部顧問の坂上先生だった。元国体選手という威厳を放つ坂上先生は、突然のことに目を丸くしている。

「俺のお題は『尊敬する人』です! テニスでも人間性でも、坂上先生以外に考えられません!」

大野部長が真っ直ぐな瞳で宣言すると、厳格な坂上先生も「……ふん、現金な奴だ」と言いながら、どこか嬉しそうに頷いた。判定員から「正解!」の声が上がると、会場は温かな拍手に包まれた。


一方、兄さんはまだコースの途中で立ち尽くしたまま、迷うように観客席へ視線を泳がせていた。

「おい、湊! 何をモタモタしてるんだ!」

大野部長がゴールから急かす。兄さんは意を決したように、私たちがいる1年生のテニス部エリアへと向かって猛然と走り出してきた。


(えっ、こっちに来る……!?)


ざわめく周囲。兄さんは一直線に私の前で立ち止まると、無言で、でもどこか必死な力強さで私の腕を掴んだ。

「えっ、兄さん……!?」

「……来い、みゆ。走るぞ」

有無を言わさない気迫に押され、私はトラックへと引きずり出された。全校生徒の視線が、驚きと好奇心と共に私たちに集まる。


「お、おい湊! お前のお題は何なんだよ!」

大野部長の問いかけに、湊兄さんは判定員の前にたどり着くと、照れ隠しでクシャクシャになった紙をぶっきらぼうに差し出した。


判定員がその紙を、面白がるようにマイクで読み上げる。

「……お題は、『大切な人』です!」


「「「「おおおおおーーーっ!!!」」」」


地鳴りのような歓声がグラウンドを揺らした。

「さすが湊先輩! 妹愛が重すぎる!」

「やっぱり水瀬兄妹はガチだったんだな……」

周囲の茶化すような声に、私は一瞬で耳まで真っ赤になった。でも——それ以上に、胸の奥が熱く、痛いくらいに締め付けられた。


(兄さん……。私たちが、本当の兄妹じゃないって知ってても……そう思ってくれるの?)


私は、湊兄さんと血が繋がっていないことを知っている。だからこそ、この「借り物」に選ばれた意味が、ただの家族愛以上の重みを持って私に突き刺さった。


「おい湊、お前……! 『大切な人』で妹を連れてくるなんて、お前らしいけどよ、恥ずかしくないのか?」

大野部長が肩を叩きながら笑うと、兄さんはそっぽを向いたまま、いつもの何倍も冷徹なトーンで言い放った。


「……何がおかしい。家族が大切なのは当たり前だろう。文句あるか」


その「当たり前」という言葉が、兄さんなりの精一杯の建前であり、拒絶であり、そして私への深い愛情なのだと分かってしまった。私は赤面したまま、兄さんのシャツの袖をぎゅっと握りしめる。恥ずかしいけれど、嬉しくて、このまま時が止まればいいのにとさえ思ってしまった。


「……早く戻るぞ、みゆ。砂埃が酷い。……それと陽太、お前、そんなところで何呆けてるんだ。早く次の準備しろ」


湊兄さんは私の手を離すと、遠くで複雑そうな顔をして立ち尽くしていた陽太に鋭い言葉を投げ、足早にテントへと戻っていった。



「……位置について、用意!」


パンッ! という乾いたピストルの音が、秋の高く澄んだ空に吸い込まれていく。

グラウンドを囲む全校生徒の絶叫に近い歓声が、地響きのように足元から伝わってきた。運動会、最終種目。クラスの威信をかけた「クラス選別・男女混合リレー」の決勝戦。


私と陽太は、それぞれ別のクラスの第3走者として、バトンゾーンに立っていた。


「みゆ、来るよ! 頼んだわよ!」

第2走者の美咲が、髪を振り乱して突っ込んでくる。

「任せて!」

バトンを受け取ると同時に、私は地を蹴った。だが、その一瞬先――。


「陽太、いけぇ!」

隣のレーンで陽太が凄まじい反応速度でバトンを奪取し、弾丸のような加速を見せた。


(速い……! 陽太、あんなに……!)


テニスのサイドステップで鍛えた私の脚力も、今の陽太には及ばない。逞しくなった彼の身体は、一完歩ごとに私をじりじりと引き離していく。陽太のストライドが砂を蹴り、風を切り裂く音が聞こえる。昼休みに「お姉ちゃんの卵焼き」を食べて笑っていた彼とは別人のような、圧倒的な熱量。


「陽太! 逃げ切って!」

「水瀬さんも負けるな!」

テニス部の仲間たちの声援が入り乱れる。私は必死に食らいついたが、陽太はトップでアンカー(野球部の角南くん)へとバトンを繋いだ。私はその数秒後、クラスのアンカーである陸上部の早川くんへ、決死の想いでバトンを託した。


しかし、真の波乱はここからだった。

さらに数メートル遅れてバトンを受けたレーンから、会場全体がどよめくほどの猛追が始まったのだ。テニス部No.1の俊足を誇る、田中瑛太くんだ。


「悪いな、お二人さん! ここからは俺の独壇場だ!」

田中くんが、獲物を狙う猛獣のような爆発的な加速を見せる。まさに「韋駄天」。早川くんが角南くんを抜いた数秒後、角南くんを鮮やかに抜き去り、さらに私たちのクラスの早川くんに肉薄していく。


(速い……! さすが田中くん……!)


しかし、トップを奪われた早川くんも黙ってはいない。

「田中くん、行かせないよ!」

陸上のスペシャリストとしての意地。無駄のないしなやかなフォームで、猛追する田中くんと並びかけ、抜き返す。


最終ストレート。

驚異的なスピードで食らいつく田中くんと、冷静に突き放そうとする早川くん。二人の距離は、ゴール手前でついにゼロになった。


「いけぇぇぇ!!」


ゴールテープの向こう側、実行委員の腕章を巻いた湊兄さんが、真剣な眼差しで見つめる中。

最後は胸の差。

早川くんがわずかに先にゴールテープを切り、私たちのクラスの優勝が決まった。


「やったぁぁぁ!」

私は美咲と抱き合って飛び跳ねた。

ふと見ると、惜しくも2位でゴールした田中くんが、膝に手をついて悔しそうに笑っている。そこへ、真っ先にアンカーへとバトンを届けた陽太が歩み寄り、二人はがっちりと拳を合わせた。


「瑛太、お前マジで速すぎだろ。あんなスピードで追われたら心臓が持たないぞ」

「はは、陽太が作ったリードを削るのが最高に楽しかったぜ。……でも早川、あいつはやっぱり化け物だな」


夕日に照らされた彼らの笑顔は、クラスの垣根を超えた清々しさに満ちていた。

走り抜けたトラックに残ったのは、心地よい疲労感と、部活仲間としての深い絆。


「お疲れ、みんな。いい走りだったぞ」

いつの間にか近づいてきた湊兄さんが、少しだけ誇らしげに、私たちの頭を順番にぽんぽんと叩いた。


閉会式が終わり、あんなに騒がしかったグラウンドからは人影が消え、後片付けの物音だけが遠くに響いている。

夕日に染まったオレンジ色のトラックには、私たちが全力で駆け抜けた足跡が砂に混じって残っていた。


「……みゆ」


ふいに背後から声をかけられ、振り返ると、そこには制服に着替えた陽太が立っていた。手には自分のタッパー。陽太の顔には、まだリレーの興奮が微かに残っている。


「陽太。お疲れ様、リレー、すごかったね。全然追いつけなかったよ」

「そっちこそ、最後はクラス優勝だろ? おめでとう。早川、マジで速かったな」


陽太は私の隣に並ぶと、ふぅ、と長い息を吐いて校舎の影を見上げた。

「……なんかさ。今日一日、別のクラスで競い合ってて思ったんだけど。俺、やっぱりみゆと並んで走ってる時が一番、力が湧いてくるわ」


「え……?」

不意の言葉に、心臓が跳ねる。陽太は少し照れくさそうに頭を掻きながら続けた。


「テニスの練習も、リレーも同じだ。隣にお前がいるから、俺はもっと速くなりたいって思える。……今日の借り物競走で、湊さんがお前を連れて行った時もさ。正直、めちゃくちゃ悔しかったけど、それ以上に『俺も、あそこに堂々と立てるくらい強くならなきゃな』って思ったんだ」


夕日に照らされた陽太の横顔は、昼間の騎馬戦の時と同じくらい、真っ直ぐで力強かった。

私は胸の奥が熱くなるのを感じながら、自分のカバンの中から、陽太から返された空のタッパーをギュッと握りしめた。


「私も、同じだよ。陽太がどんどん先に行っちゃうから、置いていかれないように必死なんだから。……ねえ、陽太。今日の夕飯、お姉ちゃんに絶対出し巻き卵の作り方教わるね。次のお弁当は、私が全部作ったやつを交換するから」


「……おう。楽しみにしてる」


陽太が柔らかく笑う。その笑顔は、幼馴染の時のままで、でも確実に、一人の男の子としての頼もしさを帯びていた。


「おい、お二人さん。いつまで浸ってるんだ。撤収作業、まだ終わってないぞ」


校舎の窓から、実行委員の腕章を外した湊兄さんが顔を出して呆れたように叫んだ。その後ろでは、美咲や田中くん、莉奈たちがニヤニヤしながらこちらを覗いている。


「あ、兄さん! 今行くよ!」

「湊さん、すみません!」


私たちは顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出した。

祭りのあとの静寂の中に、私たちの新しい約束が静かに溶けていく。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


運動会の種目いろいろ詰め込みました。

そして伏線も。。。


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