熱気あふれる2年Bクラスと高等部のコート
2月14日、バレンタインデー当日の朝。
私は気合を入れて早起きしたものの、階下に下りたときには既に湊兄さんの姿はなかった。部活の朝練があるため、いつもよりずっと早く家を出てしまったらしい。
(ううっ、せっかく準備したのに、渡すタイミングを逃しちゃった……)
湊兄さん用に作ったチョコは、例によって無意識のうちに陽太の分と同じくらいの大きめのサイズになってしまっている。持っていくのもかさばるため、帰ってから渡すことにして一度冷蔵庫へとそっと保管した。
自分のカバンに陽太用の本命チョコと、みんなに配る大量の義理チョコを詰め込み、家を出る。
そして、いつもの約束の場所――陽太の家の前で待ち合わせた。
「陽太、おはよう!」
「おはよう、みゆ。今日、一段と寒いな」
白く吐く息の中で微笑む陽太の姿に、心臓がトクトクと跳ねる。私はカバンから丁寧にリボンをかけた箱を取り出し、少し照れくささを隠しながら両手で差し出した。
「あのね、陽太……これ、バレンタインのチョコ! 今年は凛ちゃんの手助けなしで自分で作ったから、去年より少し見た目とか質は落ちちゃうかもしれないけど……良かったら食べてね」
前置きをして渡すと、陽太は一瞬目を見開き、それからすごく嬉しそうに目元をほころばせた。
「ありがとう、みゆ。質が落ちるなんてそんなことないって。みゆが一生懸命作ってくれただけで、めちゃくちゃ嬉しいし、大事に食べるな」
宝物のように大切そうに受け取ってくれる陽太の言葉に、胸がトクン跳ねるのを感じた。
* * *
一緒に登校して到着した2年Bクラスの教室は、朝からどこかソワソワとした明るい熱気に包まれていた。
教室のほうに目を向けると、クラスの女子数名が固まっている一角がある。そこにいたのは、我が男子テニス部の部長である佐藤健二くんだ。
佐藤くんは、少し照れくさそうにしながらも、何人かの女子から次々と本命チョコらしき包みを受け取っていた。
「おっ、佐藤、モテモテじゃねえか!」
「うらやましいな、おい!」
周りの男子たちが冷やかす声が飛び交う中、佐藤くんは「お、おう……ありがとな!」と真っ赤になりながらも嬉しそうに受け取っている。普段の頼もしいテニス部部長とはまた違う、少しタジタジした姿が微笑ましい。
そんな賑やかな雰囲気に負けじと、教室の前方では別の盛り上がりが起きていた。
「はい、男子のみんなお疲れ様〜! いつもの感謝を込めて、はいどうぞ!」
「う오っ、松本からチョコ!? まじで!?」
美咲がデパートで買い揃えて綺麗に小分けラッピングした市販の高級チョコを、クラスの男子たちへ景気よく配っていたのだ。義理チョコとはわかっていても、美咲のような人気者から貰えた男子たちは「やったー!」と大喜びで顔を綻ばせている。
「ふふっ、美咲ちゃんは相変わらず太っ腹だね。私たちも配ろっか、みゆちゃん!」
隣で凛ちゃんがくすりと笑い、声をかけてくれた。私も小さめのキューブ型にカットして可愛く包んだ大量の義理チョコを取り出し、凛ちゃんと一緒にクラスの男子部員たちへとお裾分けをして回った。
「佐々木のと水瀬のチョコだ! ありがとな!」
男子たちが受け取る中、凛ちゃんが渡した手作りクッキーの完成度の高さに、周囲から「うわ、これ店で売ってるやつじゃん!」「プロレベルだろ!」と驚嘆の声が上がる。本当に凛ちゃんのお菓子作りは、売り物にできるくらい綺麗で見事な出来栄えだった。
こうして教室中に甘い香りと笑顔が広がる中、バレンタインの朝は賑やかに過ぎていくのだった。
* * *
放課後、中等部の部活動が始まる少し前。私は少し足を伸ばして高等部のテニス部コートへと向かっていた。
コートの近くまで来ると、さっそくお目当ての人を見つける。私の従兄弟である蓮さんだ。
「蓮さん、お疲れ様です! 少しお時間いいですか?」
声をかけると、蓮さんはラケットを下ろして爽やかな笑みを浮かべながら近づいてきてくれた。
「みゆか。どうしたんだ、わざわざ高等部まで来て」
「あの、これ……バレンタインのチョコレートです。彼女さんの邪魔にならないように、本当に気持ち程度ですけど……どうぞ!」
私はカバンから小さくラッピングされたチョコレートを取り出し、差し出した。蓮さんは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに受け取って頭を軽くポンと撫でてくれた。
「ありがとう、みゆ! 部活終わったらいただく」
そのやり取りをすぐ隣で見ていた湊兄さんが、腕を組んで不服そうに鼻を鳴らした。
「みゆ、蓮だけもらってずるいぞ。俺の分はどこにあるんだ」
「ふふっ、兄さんの分はちゃんと家の冷蔵庫に保管してあるよ!本当は朝に渡そうと思ってたんだけど、朝練で先に出かけていたから渡しそびれちゃった、だから帰ってからのお楽しみってことで!」
私がそう言うと、湊兄さんは「なんだ、お預けかよ……」と不機嫌そうに頬を膨らませた。そんな湊兄さんの姿に、蓮さんはクスッと笑いながら茶化す。
「いいじゃないか、湊。お前モテモテだからな、もらった本命チョコが溢れているじゃないか」
「ノーコメントだ……。だいたい、こんな大量にもらっても、持って帰るだけで一苦労なんだよ」
愚痴をこぼしつつも、湊兄さんの足元には、すでにもらったチョコレートの箱でパンパンになった大きな紙袋がドンと置かれている。さすがは毎年すごいたくさんのチョコをもらう湊兄さんだ。相変わらずの人気っぷりだなと、私は内心で少し感心してしまう。
ちなみに、蓮さんも近くのベンチに目を向けると、同じように高等部の先輩である唯先輩から受け取ったのだろう、とても綺麗にラッピングされた本命チョコを大切そうに置いていた。
そんな賑やかなやり取りをしていると、ふと、テニス部のコートの端から一人の女子生徒が歩いて近づいてくるのが見えた。
「あれ……? 湊くん、ちょっといいかな」
声をかけてきたのは、湊兄さんと同じクラスで、幼馴染でもある綾瀬葵さんだった。
どうやら教室ではなかなか渡すタイミングや雰囲気が掴めず、この放課後のタイミングを見計らってここまでやってきたらしい。葵さんは少し頬を朱に染めながら、手に持った上品な箱を差し出している。
その箱のサイズや丁寧な包み方からして、どう見ても「本命チョコ」に違いなかった。
それを証拠に、普段は仏頂面をすることが多い湊兄さんも、葵さんの姿を見た瞬間だけはどこか嬉しそうな、照れくさいような表情を浮かべている。
(もしかして、兄さんも葵さんのことが……?)
二人の間に流れる甘酸っぱい空気を眺めながら、兄さんにも、ついにそんな春が来ているのだろうか。でも、私のこと好きだって言われているから本当のところどうなんだろう?知りたいような知りたくないような複雑な感情に包まれていた。
「あ、そろそろ中等部の部活が始まっちゃう……!」
腕時計を確認してハッとする。これ以上ここに長居すると、自分の部活に遅刻してしまう。
「蓮さん、兄さん、私はそろそろ中等部のコートに戻らなきゃいけないので、これで失礼します! チョコレート、美味しく食べてくださいね!」
「おっ、わざわざありがとな。気をつけて戻れよ!」
「部活頑張れよ、みゆ!」
蓮さんたちに元気よく挨拶を済ませ、私は慌ただしく高等部のコートを後にした。




