ベンチのぬくもりと、秘密の任務
他のコートから甲高い打球音と元気な掛け声が響き渡る中、私はタオルで汗を拭いながらコート脇のベンチに腰を下ろしていた。第3試合の激闘の余韻で、火照った身体が冬の澄んだ空気に心地よく冷やされていく。
(第7試合の出番まで、少し休憩しよう……)
まぶたを閉じて呼吸を整えていると、不意に右頬へキチッと冷たい衝撃が走った。
「ひゃっ!?」
冷たさに肩を跳ね上がらせて目を開けると、そこにはスポーツドリンクのペットボトルを手に、いたずらっぽくニシシと笑う陽太の姿があった。
「みゆ、おつかれさん」
「もぅ……陽太! 不意打ちはズルいよ!」
私が頬をふくらませて抗議すると、陽太は「ごめんごめん」と笑いながらドリンクを差し出してきた。少し文句を言いながらもボトルを受け取ると、冷えたスポドリが火照った喉にしみわたっていく。
「ふふ、冷たくて美味しい……差し入れ、ありがとう陽太!」
「どういたしまして。……それにしても、みゆでもパートナーを庇いながらの試合はきつかったか?」
ベンチの隣に腰を下ろした陽太が、労わるような優しい視線を送ってくる。私はドリンクのボトルを抱え直し、深くうなずいた。
「そうだね……一人でプレイするのとは全然違ったよ。浅井さんの癖を相手に利用されているって分かってから、どう動けば浅井さんの負担を減らせるか、ずっと頭をフル回転させてて……。でもね、すごく勉強になったんだ!」
「へえ、さすがみゆだな。負けてもただじゃ起きない」
「ふふん、当たり前でしょ!……あ、それより陽太、頼んでたことってどんな感じ?」
「ああ、それならバッチリだぞ」
陽太は腰に下げたポーチからデジタルカメラを見せながら、頼もしく頷いてみせた。
実は今回の合同交流戦、私は陽太や佐藤くんたちにお願いして、各コートの試合展開を映像として記録してもらっていたのだ。去年の西園寺合宿の時、こころさんたちが残してくれた貴重なプレイデータや分析資料が、どれだけ私たちの力になったか身にしみて分かっていたから。
(今日ここに来てくれた修徳館と紫苑女子にとっても、この映像データは春に向けた素晴らしい財産になるはず……!)
全8コートを同時に撮影するのは難しいため、陽太たちの判断で注目のカードや重要になりそうな試合を中心に撮影してもらっていた。
「陽太たちがいてくれて本当に助かるよ。頼りにしてるね!」
「まかせとけって。健二たちとも上手く連携取れてるからな」
そんな風に陽太と仲良く話し込んでいた時のことだった。
「ちょっといいかしら」
凛とした美しい声に振り向くと、そこには紫苑女子のジャージを羽織った部長の井尻舞さんが立っていた。紫苑女子の「ダブルス総帥」と呼ばれる井尻さんは、陽太の顔をじーっと見つめ、どこかで見覚えがあるような、首をかしげる仕草を浮かべている。
「……? どこかでお会いしたような気がするのだけれど……水瀬さん、そちらの方は……もしかして、彼氏さん?」
「っ……!? は、はいっ……!」
思わぬ角度からの質問に、私は一瞬で顔が熱くなるのを感じながらも、小さくコクリと頷いた。隣の陽太も少し気まずそうに頭をかいている。
「実は、今回の3校合同交流戦の記録係をお願いしているんです。試合の映像をデータとして残しておけば、今日参加してくれた修徳館さんや紫苑女子の皆さんにとっても、春に向けた有益な情報として役立ててもらえると思って……!」
「まあ……! 記録係……」
私の説明を聞いた井尻さんは、ハッとしたように目を輝かせ、深く納得した様子で打頷いた。
「なるほど、そういうことでしたのね! 3校全体の成長まで考えて撮影してくださっているなんて、本当に素敵な心遣いだわ。……ねえ水瀬さん、それなら我が紫苑女子からも、手が空いている子を何人か撮影の手伝いに協力させてもらってもいいかしら? 男子生徒さんたちだけに負担をかけさせるのも申し訳ないですし」
「えっ! 本当ですか!? 紫苑女子の皆さんが手伝ってくれたらすごく助かります!」
「ええ、喜んで! それじゃあ、さっそく手の空いている部員を集めてくるわね」
井尻さんは優しく微笑むと、部員たちのいるエリアへと軽やかに歩み去っていった。
「すごいな、みゆ。紫苑女子の部長さん直々に協力してくれるなんて」
「うん! これでさらにたくさんのコートの試合が記録できるよ! 陽太、ありがとうね。私、このことを美咲に報告してくる!」
「おう、行ってらっしゃい。次の試合も頑張れよ!」
陽太の力強い見送りの言葉に背中を押され、私は笑顔で大きく手を振りながら、本部席で運営を仕切っている美咲のもとへと駆け出していったのだった。




