初春の便りと、世界の第一線
ホテルの朝食バイキングで温かいスープやパンをしっかりとお腹に納めた私たちは、うっすらと雪が残る街並みを歩いて自宅へと向かった。昨夜のパニックや恥ずかしさも美味しい朝食のおかげかすっかり吹き飛び、新年の清々しい空気が心地よく胸に満ちていく。
「ふぅ、やっぱり朝の空気は気持ちいいね! 雪も止んでよかったぁ」
「ああ。路面もそこまで凍結してなくて助かったよ。転んだら大変だからな」
「ええ。でも油断は禁物よ、みゆ。日陰はまだ滑りやすいから気をつけて歩きなさいね」
「はーい!」
そんな軽やかで賑やかな会話を交わしながら我が家の敷地前に辿り着いた、まさにその時だった。
ガラガラ……と、すぐお隣──河村家の玄関扉が開く音が響く。
「……あ、やっぱり雪残ってるじゃん。兄貴、足元気をつけろよ」
「分かってるって。お前こそ転ぶなよ、陽太」
家の中から出てきたのは、陽太と、背が高くどこか大人びた雰囲気のお兄さんの光さん。続いて、陽太のお母さんの朝陽さんと、お父さんの陽一さんが暖かそうなコートを羽織って姿を現した。どうやら、これから家族全員で初詣に向かうところらしい。
「あ、陽太! 朝陽さん!」
私が声をかけると、河村家のみんなが一斉にこちらを振り返り、パッと表情を明るくした。
「みゆちゃん! それに湊くんに雫ちゃんも、おはよう! あら、みんなでお出かけだったの?」
朝陽さんが優しく手を振りながら近づいてくる。お隣同士で昔からよく知っている陽一おじさんと光さんも、親しみのこもった笑顔でこちらへ歩み寄ってきた。
「おはようございます、朝陽さん。実は昨夜から初詣に行っていて、今ちょうど帰ってきたところなんです」
湊兄さんが水瀬家を代表して前に出て、しっかりと礼儀正しく挨拶する。私とお姉ちゃんもそれに倣って笑顔で頭を下げた。
「あけましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いします!」
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね」
私とお姉ちゃんの挨拶に、朝陽さんも陽一おじさんも嬉しそうに頷いてくれた。
「あけましておめでとう、みゆちゃん、湊くん、雫ちゃん。相変わらずみゆちゃんは元気が良くていいな。今年も陽太と仲良くしてやってくれよ」
豪快で温かみのある声で声をかけてくれた陽一おじさんに続いて、光さんもポケットに手を突っ込みながら軽く手を振る。
「みんな、あけましておめでとう。俺は受験直前で追い込み中なんだけど、今日は息抜きに初詣に連れ出されたんだ。湊も雫さんも相変わらず仲がいいな」
「光くん、あけましておめでとうございます。受験勉強大変そうだけど、体調に気をつけて頑張ってね」
「ありがとう、雫さん。そう言ってもらえると励みになるよ」
「兄貴、今日はお参りでしっかり合格祈願してこないとだな!」
陽太が嬉しそうに光さんの肘を突くと、光さんは苦笑しながらも「分かってるよ」と陽太の頭をポンと叩いた。
「それじゃあ、気をつけていってらっしゃい!」
「ああ、行ってくるよ! 水瀬家のみんなも良い正月をな!」
河村家のみんなと笑顔で手を振り合い、初詣へと向かう背中を見送った後、私たちはようやく我が家の玄関へと足を進めた。
扉を開ける前に、私はふと思い立って玄関脇のポストのふたを開けてみる。中には束になった新聞と、色とりどりの年賀状がぎっしりと届いていた。
「年賀状たくさん届いてる! 私が持っていくね」
「ありがとう、みゆ。転ばないように足元気をつけてね」
「もう大丈夫だってば、お姉ちゃん!」
冷えた空気が漂うポストから束を取り出し、私たちは暖かい家の中へと入った。暖房を入れてリビングがじんわりと温まるのを待ちながら、コタツの周りに腰を下ろす。
私が年賀状を仕分けていくと、友人や学校の関係者に混ざって、湊兄さん宛ての大切な親族からの年賀状が数枚届いているのに気づいた。
「あ、兄さん! 兄さん宛てのおじいちゃんたちから年賀状届いてるよ」
「えっ、本当か?」
私は束の中から丁寧に抜き取った何枚かの年賀状を、湊兄さんに手渡した。
一枚目は、神崎悟さんと政子さん──湊兄さんの実のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんからのものだ。力強い達筆な文字で、湊兄さんの体を気遣う温かい言葉と、新年の健やかな暮らしを願うメッセージが記されていた。
「神崎のおじいちゃんとおばあちゃんからだ。『体に気をつけて、いつでも遊びに来なさい』って書いてある」
「お二人ともお元気そうで何よりね。こんどはみんなでご挨拶に行かないと」
お姉ちゃんが微笑みながら覗き込む。そして湊兄さんは、続いて手にした二枚の年賀状に目を落とした。
一枚は叔母の三上楓さんから。そしてもう一枚は──湊兄さんの母方のお祖母ちゃんである、三上薫子さんからの年賀状だった。
少し震えたような、けれど一つひとつの文字に深い愛情が込められた丁寧な筆跡。薫子おばあちゃんは今、病室で寝たきりの生活を送っているはずだ。自由の利かない手で、時間をかけて書いてくれたのだろう。
湊兄さんはは年賀状に書かれた「健やかな一年になりますように」という短い言葉を指でそっとなぞりながら呟く
「薫子おばあちゃん……病院から送ってくれたんだな」
「おばあちゃん、体調が大変ななかで書いてくださったのね……湊には本当に優しい方だわ」
「近いうちに、みんなでお見舞いに行かないとだね、兄さん」
「ああ、そうだな。おばあちゃんに元気な顔を見せに行こう」
湊兄さんは年賀状を大切そうに胸元へ寄せ、力強く頷いたのだった。
お年賀の言葉に心を温めながらコタツで過ごしていると、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴った。
「俺が出よう」
湊兄さんが立ち上がり玄関へ向かうと、威勢の良い声とともに陽太が姿を現した。初詣から帰ってきたばかりらしく、頬をほんのり赤く染めながらリビングへと入ってくる。
「お邪魔します!初詣から戻ったよ。お参り行ってきた帰りに、みゆにこれ渡そうと思ってさ!」
「陽太! お帰りなさい。なに、それ?」
「神社のお土産の焼き立て大福! 温かいうちにみんなで食べようと思ってさ」
「ふふ、ありがとう陽太! 早速お茶淹れるね!」
賑やかに大福を囲んでコタツに入り、新年の和やかな雰囲気が広がるなか──スマホでテニスの最新ニュースをチェックしていた湊兄さんが、ふと画面を見つめたまま手を止めた。
「……みゆ、ちょっとこれを見てみろ」
「え? なに……?」
湊兄さんの真剣な声に引き寄せられ、私と陽太、お姉ちゃんもスマホの画面を覗き込む。そこには、スポーツニュースのトップに躍り出た女子プロテニス界のニュースが大きく掲載されていた。
『──プロデビュー1年目の脅威! 期待の超新星・鳳仙雅が最年少最優秀記録を更新』
「あ……鳳仙さんだ……!」
画面に映し出されていたのは、凛とした強い眼差しを持つ女性、鳳仙雅さん。西園寺女学院の元エースで、かつて『煉獄の処刑人』の二つ名で全国を震撼させた人物だ。
「プロデビュー1年目で、通算52戦中44勝……!? 最年少で今年最も活躍した選手として大々的に特集されているな」
「52戦中44勝って……プロの世界でそんな勝率叩き出すなんて凄すぎるだろ……」
陽太が思わず生唾を呑み込む。
鳳仙さんとは全国大会で知り合って以来の縁だった。去年の冬、西園寺女学院の合宿に参加させてもらった時には直接指導を受ける機会もあり、私の実力を認めた上で「西園寺のレギュラーどもを叩き潰してやれ」と力強く発破をかけてくれた大先輩でもある。
「相変わらず異次元の活躍ね。鳳仙さんの指導を受けたみゆなら、彼女の凄みは一番よく分かっているんじゃないかしら?」
「うん……。あの圧倒的なスタミナと精度は、近くで見ているだけでも背筋が伸びる思いだったよ。正直、今まともに試合をしたって私が勝てる見込みなんて万に一つもない……」
画面の中の鳳仙さんの姿を尊敬を込めて見つめる。プロの第一線で怪物たちをなぎ倒していく彼女は、私にとって遠く高く輝く、かけがえのない目標のひとりだ。
「だからこそ、かっこいいな……。私、もっと強くならなきゃ。いつか同じコートに立って胸を張れるように!」
新年の始まりに届いた憧れの先輩の快進撃。恐れよりも強い熱量が胸の奥でメラメラと燃え上がり、私の瞳に新たな闘志の火が灯るのだった。




