コートを離れた攻略法
### 第29章:誓いのコートと、聖なる夜の軌跡
翌朝、冬特有のピンと張り詰めた冷気がコートを包み込んでいた。
河川敷で掴みかけた『ボールと相手を同時に視界へ捉える』という感覚。けれど、頭で理解することと身体で体現することの間にある壁は高く、明確な打開策を見出せないまま新しい朝を迎えていた。
(ボールの回転軸を凝視しすぎると相手の姿がボヤける……。逆に視野を広げすぎると、今度は波紋の角度を調整するミリ単位の精度が狂う……)
コート脇でラケットのガットを確かめながら思考の渦に潜り込んでいると、後方から聞き慣れた足音が近づいてきた。
「みゆ、おはよう!」
ハッとして振り向くと、そこには少し疲れた表情を見せつつも、温かい笑顔を浮かべた陽太が立っていた。葬儀を終え、今朝無事に戻ってきたのだ。
「陽太……! おはよう、無事に戻ってこれたんだね」
「うん、さっき家に着いたよ。昨日は写真とメッセージ、ありがとうな。すごく楽しそうなクリスマス会で、ちょっと羨ましかったよ」
「そうだね、来年は一緒に過ごそうね」
「あはは、サンキュー。……で、みゆ。何か悩み事か? 遠目で見ても、すごく眉間にシワが寄ってたぞ」
陽太の鋭い指摘に苦笑しながら、私は昨日から抱えている課題──ボールを焦点でしっかり捉えながら、周辺視野で相手の膝の向きや視線、軸足のタメまでを『同時並行』で解析する難しさについて打ち明けた。
「そっか……ボールと相手の動作の並列処理か。ただでさえみゆの波紋は精密なコントロールが必要なのに、さらに情報量を増やすのは並大抵のことじゃないな」
「うん……。でも、これができないと、美咲みたいなライジングボレーや速攻で攻めてくる相手に主導権を握られちゃうの」
「よし、じゃあ午前の練習、俺が打ち合いに付き合うよ。まずはその感覚、何度も試してみよう」
陽太がラケットをバッグから取り出し、頼もしくコートへ足を踏み入れる。
午前中の部活動がスタートした。
陽太とラリーを交わしながら、私は必死に試行錯誤を繰り返す。
──パンッ!
(ボールの回転……縦回転強め! 陽太の足元は……っ、ダメだ、視線を散らすとボールの軌道が一瞬ブレる!)
──バシィッ!
打球は狙いよりも浅くなり、ネットの白帯を掠めた。
「焦るな、みゆ! 一度に全部見ようとしないで、まずは目の『使い方』を意識してみろ!」
コートの向こうから陽太の声が飛ぶ。
陽太は湊兄さんとの厳しい特訓に耐え抜いてきた努力家だ。私の波紋の凄みも、その特徴を誰よりも理解してくれている。陽太が放つ愚直で重みのあるストロークを相手にしながら、私は何度も何度も、自分の視界と脳の処理能力を限界まで引き上げようと食らいつき続けた。
午前中の練習が終わり、昼休み休憩をした後、陽太はテニスコートの脇で湊兄さんと向き合っていた。
「みゆを一度、テニスから離れさせる……?」
陽太の提案に、湊兄さんは不審そうに眉をひそめた。
「どういう意味だ、陽太。みゆは今、波紋の課題克服に向けて極限まで集中を高めているところだぞ」
「急に変なことを言ってすみません。でも、コートの上でボールと相手を根詰めて追いかけ続けるだけじゃ、視野の使い方を次の段階へ押し進めるのは難しいかもって思ったんです。……実は、ボールと相手を同時に視界に収めるための手がかりを思いついたんです」
「手がかり……?」
湊兄さんが問いかけると、陽太は頷き、私と蓮さんをコート脇のベンチへと呼び寄せた。四人が集まったところで、陽太はポケットからスマホを取り出し、画面を示しながら切り出した。
「みゆ、落としものパズルゲーム……『ぷよぷよ』みたいな対戦ゲームってやったことあるか?」
「え……? ぷよぷよ? うん、昔ちょっとだけなら……」
急なゲームの話に、みゆは不思議そうに目を丸くする。隣で聞いていた蓮さんも「なんだ急に、ゲームの攻略法でも教える気か?」と呆れ顔だ。
「この手のゲームって、画面の中に自分のフィールドと対戦相手のフィールドが並んで表示されてるろ? でも初心者や慣れてない人は、プレイ中、自分の画面しか目に入らないんだ。相手がどんな連鎖を準備してるか見る余裕なんて全くない」
陽太の言葉に、みゆはハッとしたように身を乗り出した。
「対して上級者は、自分の画面で連鎖を組みながら、常に周辺視野で相手の画面の動きも捉えてる。相手が攻めてくるタイミングに合わせて、相殺するか致死量を送り込むかを並列処理で判断してるんだ」
「……なるほどな」
腕を組んでいた湊の瞳に、鋭い光が宿る。陽太はまっすぐにみゆの目を見つめて言葉を続けた。
「もちろん、二次元の画面と三次元のコートじゃ距離感も奥行きも違う。でも、焦点でメインの作業を処理しつつ、周辺視野で相手の状況を分散して捉え、脳内で同時に並列処理するっていう『脳と目の使い方』の本質は、まったく同じなんじゃないかと思うんだ」
「ゲームの画面を使って、周辺視野のトレーニングをするってことか……! 面白い発想だな、陽太」
蓮が感心したように口元を緩める。湊も深く頷き、陽太のアイデアを認めた。
「コートの上で打球のプレッシャーを受けながらだと、どうしても目の前のボールに意識が固着してしまう。一度コートを離れてゲームという別の媒体で『2つの領域を同時に観測する感覚』を脳に学習させるのは、理に叶っている」
「みゆ、やってみるか?」
陽太から投げかけられた視線に、みゆは少し戸惑いながらも、しっかりと頷いた。
「うん……! 正直、ゲームで本当に上手くいくか自信はないけど……でも、陽太が私のために考えてくれた手がかりだもん。絶対に試してみたい!」
練習を終えた後、みゆと陽太は陽太の自宅へと向かった。部屋に到着すると、陽太はさっそくテレビにゲーム機をセッティングし、画面に対戦型のパズルゲームを映し出した。
「よし、準備完了だ。ルールは簡単で、自分の画面でパズルを消しながら、相手の画面の状況も常に把握すること。みゆ、まずは一度やってみよう」
「うん……! よろしくお願いします!」
コントローラーを両手でしっかりと握り締め、みゆは画面の前に座り直した。
カウントダウンとともにゲームがスタートする。上から落ちてくる色とりどりのブロック。みゆは落ちてくる位置を見極め、連鎖を作ろうと素早くコントローラーのボタンを叩いた。
——だが。
「あ……っ!」
自分の画面に集中するあまり、気がついた時には陽太の画面で大連鎖が組み上がっており、大量の妨害ブロックがみゆのフィールドへ一気に降ってきた。あっという間に画面が埋まり、ゲームオーバーの寂しい効果音が部屋に響く。
「やっぱり、自分のエリアにしか意識がいかない……! 相手の画面を見る余裕が全然ないよ」
「最初はみんなそうなるよ。じゃあ次は、意識的にチラチラ相手の画面を見るようにしてみて」
「うん、もう一回!」
気を取り直して二戦目が始まる。今度は陽太のアドバイス通り、自分のブロックを操作しながら、合間を縫って陽太の画面へと視線を交互に移動させた。
自分の画面、陽太の画面、また自分の画面——。
しかし、視線を移動させるたびに操作が一瞬遅れ、落ちてくるブロックの配置ミスを連発してしまう。さらに、視線を戻した時には自分のフィールドの状況を一から把握し直すことになり、結局判断が遅れて再び大量の妨害ブロックに押し潰されてしまった。
「うう……交互に見ようとすると、どっちの状況も頭の中で途切れちゃう……。これじゃコートの上でボールと相手交互に目を切った時と全く同じだ……」
コントローラーを抱えて悔しそうに肩を落とすみゆだったが、その瞳にははっきりとした納得の色が浮かんでいた。
「でも……! 陽太の言う通りだね。焦点を一個に絞って移動させるんじゃなくて、全体の画面を一枚の絵みたいに捉えて、視野の端で相手の動きを感じ取らなきゃいけないんだ。視線の動かし方の基本、コートの上と完全に繋がってる……!」
「気づいたか。視線を『動かす』んじゃなくて、視界を『広げたまま保つ』感覚なんだ」
陽太が優しく微笑みながら頷く。
「よし、感覚は掴めた! 陽太、もう一回お願い! 視界を広げる練習、何度もやってみる!」
「おう、何回でも付き合うよ!」
コートからテレビ画面へと舞台を変え、みゆの新たな特訓が始まった。両画面を同時に捉える『広い視界』を手に入れるため、コントローラーを握るみゆの眼差しは、夕闇の迫る部屋の中で真剣そのものに輝いていた。




