黄昏の河川敷、新たなる開眼
賑やかなクリスマス会が終演を迎え、部員たちが満足気な笑顔で片付けを終えて解散した頃、冬の陽はすっかり傾き、空は茜色から群青色へとグラデーションを描き始めていた。
みゆが向かったのは、澄んだ冬の風が吹き抜ける河川敷のテニスコート。
コートにはすでに、二人の影があった。兄の湊と、従兄の蓮だ。
「遅くなってごめん、二人とも!」
「いや、丁度いい時間だ。クリスマス会は楽しめたか?」
ラケットバッグを下ろす放課後の私服姿のみゆを、湊が柔らかい眼差しで迎える。蓮もコートの脇でボールをポンポンと弾ませながら、ニッと口元を緩めた。
「午前中の美咲との勝負、俺たちも見ていた。超回転の『上振れ分を逃がす』処理、実戦で見事にやってのけたな」
「うん! 美咲の複雑な回転もバッチリ抑えられたよ。……だけど、最後の最後に美咲に一本取られちゃって」
みゆはコートに入り、美咲に見事に決められたあの最後のポイントの状況を丁寧に二人に説明した。
——バウンドする前にダイレクトで叩き込む速攻ボレーや、ネット際での超超超ライジング。
波紋の変化と伸びが増幅する過程がスキップされ、球速と展開を極限まで早められると、迫るエネルギーを計算してラケット面をミリ単位で調整する「一瞬の間」が奪われてしまうこと。
「なるほどな。テンポを極限まで引き上げられ、考える時間を物理的に潰されるわけか」
湊兄さんは顎に手を当て、深く頷いた。蓮さんも納得したように息を吐く。
「確かに、どれだけ精密な計算と角度調整ができたとしても、処理するためのコンマ数秒を消されたら波紋は発動できない。まさに波紋の天敵だな」
「うん。……この冬休み中に、絶対にこの欠点を克服したいの。でも、どうすればその『一瞬の間』を作れるのか、それとも間を作らずに処理する方法があるのか……」
みゆは腕を組み、コートの脇で深考に入った。
思考の海へと潜り込んでいく妹の姿を見て、湊兄さんは静かにラケットを握り直した。
「蓮、みゆが答えを探している間、少し付き合え」
「フッ、望むところだ。お前の重い球、受けてやるよ」
二人はコートの両端に分かれ、ラリーを始めた。
パンっ! パンっ! と、夕闇が迫る空に重厚な打球音が響き渡る。
湊の放つ無駄のない直線的で重いストロークと、蓮の繰り出す不規則で力強い超回転。トップレベルの二人が繰り出すラリーは、ただのウォーミングアップであっても息を呑むような緊張感とスピード感に満ちていた。
——パンっ!
(展開の早さに追いつくには……? 一瞬の計算時間をゼロにする……? でも、直感だけで角度を合わせたら絶対に誤差が出る……)
——バシィッ!
(じゃあ、相手に速攻ボレーを打たせないくらい深いコースに打ち込み続ける? いや、それじゃ相手のプレイを制限するだけで、ボレーで突っ込まれた時の根本的な解決にはならない……)
二人が交わす激しいラリーの打球音を背景に聴きながら、みゆは一人、己の内側にある波紋の感覚と研ぎ澄まされた動体視力のイメージを必死に組み替え続けていた。
──パンッ! パンッ!
黄昏時の冷たい空気に、湊兄さんと蓮さんの激しい打球音が規則正しく重なる。二人の領域で展開されるスピード感あふれるラリー。その圧倒的なテンポを網膜に焼き付けながら、みゆの動体視力は打球の軌道だけでなく、打ち合う二人の一挙一動を凝視していた。
(……待って。打球の回転やスピードを解析した『後』に、私は何を見ていた……?)
目の前で蓮さんが膝を深く折り込み、ネット際へ詰める動作を見せる。湊兄さんの打撃姿勢、視線の向き、軸足のタメ。
ハッとして、みゆの思考を覆っていた霧が一気に晴れ渡った。
(そうか……! 相手の球の回転やコースを見極めた瞬間に、視線を相手の『姿』へ移動させればいいんだ!)
相手がライジングや速攻ボレーを狙って前へ踏み込んでくるなら──突っ込んでくる相手の頭上を抜くロブ。
逆に、バウンドを待つ姿勢を見せたり、押し込まれて後退する様子があるなら──進化させた波紋。
「……手がかりが掴めたかも! 兄さん、蓮さん!」
みゆの声に二人がラリーを止め、コート脇へ歩み寄る。みゆは目を輝かせながら思いついた仮説を伝えた。
「相手の球種を見極めた直後、視線を相手の姿勢や足元に移して次の動向を予測するの。前に出てくるならロブ、後ろで待つなら波紋で押す……これなら速攻ボレーに対応できるはず!」
みゆの言葉を聞き、蓮さんがうーんと思案するように首をひねった。
「理屈はわかるが……ボールの回転を見切った後に相手の全身を見て、さらに判断するんだろ? 常人じゃ到底追いつかない並列処理だぞ。……よし、試してみるか」
「うん! お願いします!」
みゆはコート深くに陣取り、ラケットを強く構えた。
蓮さんがコートに入り、猛烈な超回転ストロークを放ってくる。みゆは迫るボールの回転量を瞬時に計算──上振れ量二割。そして一瞬だけ視線をボールから外し、ネット際の蓮さんの足元へと向けた。
(あ……前に詰めてくる……!)
蓮さんの動向を捉えた直後、みゆは慌ててボールへと視線を戻し、ラケットを擦り上げようとした。
——だが。
バシィィン……ッ!
「キャッ……!?」
手元で捉えたはずのボールは、明当は外れ、無残にもフレームを叩いてコート外へと弾け飛んだ。
「ボールから完全に目を切ったな、みゆ」
湊兄さんが静かに指摘する。みゆは息を荒くしながら、自分の手元と弾んだボールを交互に見つめ、悔しそうに唇を噛んだ。
(ダメだ……! ボールを見極めた後に相手の姿を見ようとすると、視線が泳いじゃう。一度目を切ると、再度ボールに意識を戻した時にはもう打点がズレてて、波紋の角度調整どころじゃない……!)
頭の中で描いた理屈と、実際の体の反応の間に横たわる巨大な壁。
蓮さんがラケットを肩に担ぎながら、苦笑交じりに言った。
「だから言ったろ? 『見極めた後に相手を見る』んじゃ遅いし、目を切ったら球は打てない。ボールの回転とコースを見極めながら、それと『同時』に視野の端で相手の姿勢や視線まで捉える……完全に並列で処理しなきゃ成立しないんだ」
「同時に……見る……」
「そうだ。片方を切り捨てるんじゃない。両方を同時に網膜と頭に叩き込むんだ。……まあ、言うのは簡単だが難易度は跳ね上がるぞ」
蓮さんの言葉が、胸に重く突き刺さる。
手がかりは掴めた。けれど、それを実践するには自分の動体視力と処理能力を、もう一段上の次元へと引き上げなければならない。
「……うん。でも、やるべきことがハッキリ分かったよ」
みゆは落ちたボールを拾い上げると、夕闇が迫るコートの中で力強くラケットを構え直した。
「もう一球……お願いします!」
冬の冷たい風を押し返すように、みゆの瞳には新たなる課題へと挑む強い情熱が燃え上がっていた。




