白銀の打球、クリスマス・リベンジ
12月25日、クリスマス当日の朝。
冬晴れの澄み渡る空の下、中等部専用コートには早朝から白い吐息と快音が飛び交っていた。午前中に集中して練習をこなし、午後からは部室で恒例のクリスマス会が控えている。イベント前の独特な高揚感が漂う中でも、いざコートに足を踏み入れれば、空気は一瞬で引き締まった。
「よし、全員揃ったわね! 午後のクリスマス会を思いっきり楽しむためにも、午前中の練習は集中していくわよ!」
「「「はいっ!」」」
美咲の号令がコートに響き渡り、全員で声を揃えて返事をする。ウォーミングアップとランニングを終えると、さっそく1年生たちの基礎練習が始まった。
Aコートでは、穂花ちゃんと結衣ちゃんのダブルスペアがショートクロスを使った変形ラリーに取り組んでいた。
「穂花、打点が下がってる! もっと前で捉えて!」
「了解っ! 結衣ちゃん、ナイス配球! 次、ストレートいくよ!」
穂花ちゃんが持ち前の明るく大きな声でコートを活気づけ、鋭いボレーを叩き込む。そのすぐ後ろで、結衣ちゃんが乱れのない丁寧なフットワークでバックカバーに入り、深くコントロールされたロブで相手の頭上を抜いて見せた。対対角への配球の精度は日々増しており、二人の呼吸はぴったりだ。
Bコートの奥では、ひかりちゃんが一人黙々と球出しのボールを打ち込んでいた。みゆから学んだ波紋の感覚を身体に染み込ませるため、打球の威力を受け流す練習に没頭している。
(相手の力を利用して、自分の軸をブレさせない……)
パンっ、と乾いた音が響く。向かってくる重い球速に対して一切力むことなく、ラケット面を柔らかく合わせて綺麗に手元で回転を吸収してみせる。無駄な軌道のブレが消え、吸い付くように相手コートの深みへと返っていく球筋は、着実に「波紋」が身体の一部となっている証だった。
さらにCコートでは、美樹ちゃんと佳奈ちゃんがストレートのラリーを黙々と続けていた。
「美樹ちゃん、深さすごく良いよ! そのまま続けよう!」
「うん! 佳奈ちゃんのボール、すごく軌道が安定してて打ちやすい!」
美樹ちゃんは足元にしっかりと深く腰を落とし、地道な反復練習で培ったブレないフォームで一球一球を丁寧に返していく。対する佳奈ちゃんも、決して無理な強打に頼らず、相手の足元へ一定のペースで球を集め続ける。派手さこそないものの、二人が作るラリーはミスが驚くほど少なく、確かな練習量がコート上に現れていた。
そしてDコートでは、舞が全身泥だらけになりながら、ボールに食らいついていた。
「くっ……まだまだ……! 落ちない、届く……!」
コーチ役の上級者が容赦なく振る左右振りのボールに対し、舞ちゃんは膝を打ち付けながらも死に物狂いで足を動かす。フォームが崩れかけても、絶対にボールを諦めない強い眼差し。打球がネットにかかるたび「もう一球お願いします!」と大声を張り上げ、歯を食いしばってコートを駆け回っていた。
「舞ちゃん、いまの踏み込みすごく良かった! 体幹ブレてなかったよ!」
後輩たちの動きに鋭く視線を配りながら、莉奈が弾むような声でエールを飛ばす。莉奈自身もフットワークの確認を怠らない。軽快なステップでコート上を自在に跳ね回り、クロスへ鋭い打球を何本も叩き込んでいた。
コート脇のベンチでは、奈緒がバインダーにクリップしたシートへ細かくペンを走らせていた。
「美咲、1年生の足の運びだけど、穂花と舞は後半になると少し前傾姿勢が崩れて右膝が開くわね。後半のメニューに入る前に、少し体幹と軸足を意識させた方がいいわ」
「助かるわ、奈緒。相変わらず目のつけ所が的確ね」
顧問の坂上先生からも絶大な信頼を寄せられている奈緒の分析力は、部員たちの弱点や疲労度を瞬時に見抜く。彼女の存在があるからこそ、美咲も安心してコート上でのプレイに集中できていた。
「みゆ、調子はどう?」
記録の手を止め、奈緒が視線を上げて尋ねる。
「うん! 体もすごく軽いし、感覚も研ぎ澄まされてる感じがする!」
「ふふ、昨日のイブで充電バッチリだったのかな〜?」
すかさず莉奈がニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべ、みゆの肩をちょんとつつく。
「ちょっと、莉奈ったら……! 今は部活!」
「はいはい! でも、今日のみゆはいつも以上に気合が入ってるのが伝わってくるよ」
莉奈の言葉に偽りはなかった。みゆの胸の中では、静かで力強い闘志が確かに燃え上がっている。
後輩たちはそれぞれの課題に向き合い、着実に実力を伸ばしている。同級生たちもそれぞれの強みで部を支え、高め合っている。そして——ネットの向こう側には、美咲が立っていた。
「よし、それじゃあ2年のメインマッチに入るわよ!」
美咲がラケットを手に、ゆっくりとコート中央へと歩み出る。その凛とした存在感に引き寄せられるように、1年生たちも練習の手を休め、息を呑んで視線を注いだ。
「みゆ、準備はいい?」
「うん、美咲……! いつでもいいよ!」
冬休み前の校内マッチで波紋を破られて以来、みゆが待ち望んでいたリベンジの機会。冬の澄んだ空気を震わせるように、2人のエースによる緊迫の勝負が始まろうとしていた。
「……いくよ、みゆ!」
美咲がラケットを深く引き、放った一球。
かつての試行錯誤の日々が、頭の中で鮮烈に蘇っていた。
以前の対戦で、美咲は私の『波紋』を崩す糸口を見つけ出してみせた。回転軸を複雑に変え、受けて側にわずかな「誤差」を生じさせる攻め。さらには、波紋で増幅した球を上回る超回転をぶつけられ、エネルギーがぶつかりすぎて波紋を抑えきれず、私は思考の迷宮にハマり込んで敗北した。
湊兄さんや蓮さんとの厳しい練習の中で、私は自分だけの解にたどり着いたのだ。
(波紋を殺して『素直な球』で返すんじゃない……。湊兄さんのパワーをそのまま真似するのでもない!)
美咲の放った強烈な回転球が、冬の冷えた空気を切り裂いて手前で大きく跳ね上がる。変化のついた、打点を見極めにくい軌道。美咲は真剣な眼差しで、詰めのステップを踏み込んでいた。
(持ち前の動体視力で回転量と球速を見極める……私の波紋のキャパシティからの上振れ量は、約二割……!)
私は焦ることなく、どっしりと軸足をコートに定めた。
迫りくる打球の回転軸を眼裏でスローモーションのように解析し、キャパシティから溢れ出る二割分の過剰なエネルギーを感じ取る。
(溢れる分は——ラケットの面を、ほんの数ミリだけ逃がす!)
波紋の感覚で包み込むと同時に、しなやかな手首の柔軟性を生かして、インパクトの瞬間にラケット面を絶妙な角度でミリ単位で逃がした。
——パシュッ!
手に伝わったのは、一切のブレがない極上の手応え。
美咲が仕掛けた複雑な回転も、力任せのエネルギーも、すべて「上振れ分を角度で逃がす」私の新しい波紋によって完全に無効化され、倍以上の威力と重みを纏って押し返された。
「なっ……!?」
美咲の目が驚愕に見開かれる。
かつて波紋を崩したはずの球種が、何事もなかったかのように、完璧な精度と桁違いの球威で己の足元へ鋭く突き刺さってきたのだから当然だ。
滑るように低く跳ねたボールに美咲は必死で食らいつこうと身体を伸ばしたが、ラケットは虚空を切り、ボールはベースライン際で激しく跳ね飛んだ。
「ポイント……水瀬! 15-0!」
審判を務める奈緒の声が、どこか上擦っていた。コート脇で記録を取る奈緒の手が止まり、バインダーの上で目を見開いている。
「嘘……あの複雑な回転軸の変化を……完全にいなした……!?」
「すごい……みゆ先輩、格段にレベルが上がってる……!」
1年生のひかりちゃんや結衣ちゃんからも、息を呑むような歓声が漏れる。
「まだまだ……いくよ、美咲!」
私は静かな闘志を瞳に宿し、再びラケットを構え直した。
それからのラリーは、完全に私の独壇場だった。
美咲は焦りを隠せないまま、コース隠し、スライス、ドロップ、そして持ち得る限りの超回転を交えた変化球を次々と繰り出してきた。かつて私を翻弄し、追いつめた変幻自在の攻め。
けれど、今の私にはすべてが見えていた。
(次も上振れ量は一割半……角度で逃がして、ストレートへ!)
——バシィッ!
「キャパシティ内……そのまま波紋で倍返し!」
——ドッ……パンッ!!
美咲がどれだけ攻撃の手数を増やそうと、私はいち早く落下点へ入り、持ち前の先読みと動体視力で「溢れるエネルギー」を的確に計算。波紋を殺すことなく、角度の微調整ですべてを完封してみせた。
「くっ……弾けない……! 重い……っ!」
美咲が必死に打ち返そうとするものの、完全に威力を制御された私の打球は重く、鋭く、容赦なく美咲の陣地を侵食していく。美咲の表情から余裕が消え、完全に私がコート上の主導権を支配していた。
波紋の欠点を克服し、進化させた『水瀬みゆだけの完成形』。
親友であり、最大のライバルである美咲を相手に、私は圧倒的な強さを見せつけてコートに君臨していた。
しかし、美咲の瞳からは諦めの色が一切消えていなかった。汗で額に張りついた髪を払うこともせず、美咲は私の打撃モーションの微細な変化を死に物狂いで凝視している。
(このまま押し切る……!)
手応え十分の伸びやかなストロークを、美咲のバック奥深くへ叩き込んだ。完璧にいなして威力を乗せた、誰もが「決まった」と確信する一打。
——だが、美咲は引かなかった。
「……甘いっ!!」
美咲はバウンドして跳ね上がる球を待つのではなく、なんと猛然とネット際へダッシュし、手前で死に物狂いに跳躍したのだ。
「えっ……!?」
着弾する前に、ダイレクトで捉えるライジング・ボレー。私の波紋が最大の威力を発揮し、変化を増幅させる「バウンド」そのものを物理的にスキップする、命がけの超至近距離アタック。
——パァンッ!!
鋭い打撃音がコートに響き渡り、弾き返された球は私のベースライン際へ目にも留まらぬ速さで突き刺さった。
「ポイント……美咲! 40-30!」
審判の奈緒が驚きで声を詰まらせる。美咲は膝に手をつき、肩で激しく息をつきながら、勝ち誇ったようにニッと口元を緩めた。
「はぁ……はぁ……! 見たかみゆ! どんなに凄い球でも、コースさえ合わせれば関係ないでしょ!」
コート越しに突きつけられたあまりに見事な逆転の一手。私は一瞬目を丸くしたあと、胸の底から湧き上がる感動を抑えきれずに微笑んだ。
「……さすがだね、美咲! まさかあの威力の球にノーバウンドで突っ込んでくるなんて……本当にすごいよ」
「へへ、必死だっただけだけどね。……でも、少しは一石を投じられたでしょ?」
「うん、すごく。……実はね、今の美咲のプレイが、今の私の『もう一つの欠点』なんだ」
「え……?」
美咲が驚いたように目を瞬かせる。私は自分のラケットを見つめながら、素直に言葉を続けた。
「上振れ分を逃がして波紋で打ち返す技術は完成したけど、バウンド前の速攻ボレーや、ネット際での超超超ライジングで展開を早められると、角度を調整してエネルギーを計算する『一瞬の間』が奪われちゃうの。……だから、今の美咲のボレーはまさに私の天敵だよ」
私の告白に、美咲は思わず「あちゃー」と額に手を当てて苦笑した。
「なんだぁ……欠点、もう自分で完璧に認識してたんだ。一本取ってドヤ顔しようと思ったのに……」
「ふふっ、でも美咲のおかげで実戦での課題がはっきりしたよ。この冬休み中に、絶対にこの展開速度への対応も克服してみせるから!」
「もう、相変わらずストイックなんだから! でも……今日のところは私の根性の勝ちってことで、いいよね?」
「うん! 完全にお手上げ! 美咲の勝ちだよ!」
お互いに顔を見合わせ、声を合わせて弾けたように笑い合った。ネット越しにしっかりと握手を交わすと、観戦していた部員たちから大きな拍手が巻き起こる。
「『そこまで! 午前の練習はここまで!』」
顧問の坂上先生の声が響き、コート上に心地よい安堵感が広がる。
「よし、全員集合! これで今年の公式練習は全メニュー終了よ!」
美咲の号令で全員が整列し、一礼を交わす。汗を拭いながらラケットを仕舞う部員たちの顔には、厳しい練習をやり遂げた達成感と、これから始まるお楽しみへのワクワク感が溢れていた。
「さあみんな! クイック清掃を終えたら、部室へ移動してクリスマス会の準備に入るわよ!」
「「「はいっ!!」」」
1年生も2年生も、弾むような足取りでコートの整備を始める。最高のライバルと全力でぶつかり合い、自分の進化と新たな課題を見つけられた充実感。最高の打球感を胸に残したまま、私たちは冬空の下、賑やかにクリスマス会が待つ部室へと向かった。




