夜を彩る光
温水プールを出て着替えを済ませると、時計の針は17時を回っていた。全天候型の施設を一歩出ると、外の空気は昼間よりもぐっと冷え込み、冬の夜の訪れを知らせていた。冷たい雨はいつの間にか止み、濡れたアスファルトが夜の街灯を美しく反射している。
「あ、雨……上がってる!」
「本当だな。よし、夕食の予約時間まで少し時間がある。見せたい場所があるんだ」
湊兄さんに促されるまま歩みを進めたのは、商業施設の中庭にある広大な中央広場だった。
一歩足を踏み入れた瞬間、私の口から小さな感嘆の息が漏れた。
「わあ……っ……きれい……!」
広場全体を埋め尽くすように輝いていたのは、数万球のシャンパンゴールドとピュアホワイトのイルミネーションだった。濡れた樹木や石畳が光を乱反射させ、まるで光の海の中に迷い込んだかのような幻想的な光景が広がっている。広場の中央には、見上げるほど大きなクリスマスツリーが色とりどりの光を放ち、訪れた恋人たちや家族連れを優しく包み込んでいた。
「雨上がりのタイミングで来られて良かったな。地面が濡れてる分、光が反射して普段より何倍も綺麗に見える」
「うん……! 本当に、夢の中にいるみたい……」
うっとりと光の海を見つめていると、湊兄さんがそっと私の隣に並んだ。
「寒くないか、みゆ」
「ううん、大丈夫! ……ううん、ちょっとだけ手が冷たいかも」
少し悪戯っぽく微笑んで見せると、湊兄さんは一瞬驚いたように目を丸くしたあと、照れくさそうに片手を差し出してきた。
「……じゃあ、ほら。手、貸せ」
差し出された大きな手を、私は迷わずギュッと握り返す。コートのポケットの中に二人で滑り込ませた手からは、湊兄さんの温かい体温がダイレクトに伝わってきて、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「兄さん……今日一日、本当にありがとう。プラネタリウムも、クライミングも、プールも……それに、こんなに綺麗なイルミネーションまで」
「俺がみゆと過ごしたかったからやったことだ。お前がそうやって笑ってくれるなら、いくらでも準備する」
光の粒に照らされた湊兄さんの横顔は、いつになく優しく、そして一人の男の人として力強く見えた。
シャンパンゴールドの光に包まれた散歩道を、手を繋ぎながらゆっくりと歩く。周囲にはカップルや家族連れが多く、みんな楽しそうにツリーの前で写真を撮り合っていた。
「綺麗だね、兄さん……」
「ああ、そうだな」
幻想的な景色にうっとりしながら歩みを進めていると、ツリーの少し手前、一段と光が華やかに集まるエリアの人混みの中に、見覚えのある二人の姿が目に飛び込んできた。
(あれ……? あの後ろ姿って……)
シュッとした背の高い男子生徒と、その隣で少し控えめに笑いながら歩く小柄な女子生徒。
「兄さん、見て。あれって……蓮さんと、唯先輩じゃない……!?」
「ん? ……本当だ、蓮と鈴木だな」
二人の視線の先には、並んでイルミネーションを見上げる北条蓮と鈴木唯の姿があった。
どちらから誘ったのかは分からない。けれど、ずっと蓮さんに密かな想いを寄せていた唯先輩の表情は、光の粒を受けて今までにないほど柔らかく、幸せそうに輝いている。二人の間にある空気感は、どこか甘やかで温かい。
(唯先輩の想い、ちゃんと届いたんだ……良かった……!)
部活で一生懸命に蓮さんを支え、努力していた唯先輩の姿を知っているだけに、私は自分のことのように嬉しくなって、胸の奥がじんわりと温かくなった。
二人の邪魔をしないようにそっと見守ろうとしたその時、ふと振り返った蓮さんとバチッと目が合った。
「……ん? 湊に、みゆか?」
蓮さんが少し驚いたように目を見開き、隣の唯先輩に声をかける。唯先輩も振り返り、私たちに気づくと「あ! みゆちゃん、湊くん!」とぱあっと笑顔を咲かせた。
「こんなところで会うなんて奇遇だな。お前たちもイルミネーションか?」
歩み寄ってきた蓮さんが笑いかけてくる。唯先輩は少し照れくさそうに「二人とも、こんばんは」と手を振った。
「こんばんは、蓮さん、唯先輩! すごく奇遇ですね」
「おう。外は雨だったからどうなるかと思ったが、上がって良かったよな。……で、二人ともずいぶんと仲良くデート中か?」
蓮さんが悪戯っぽく視線を落とした先——そこは、私が湊兄さんのポケットの中でしっかりと手を繋いでいる部分だった。ハッとして慌てて手を離すと、顔が一気に熱くなるのが分かった。
「あ、ううん! これは手が冷たかったからで……っ」
「フッ、冗談だ。邪魔して悪かったな」
焦る私を見て蓮さんが楽しそうに笑い、湊兄さんは照れくさそうに「お前らこそ、お邪魔虫かと思ったぞ」と軽く肩をすくめた。
「ねぇねぇ、せっかくのイブだしさ、お互いに写真撮り合わない? 綺麗なツリーの前だし!」
唯先輩が提案してくれて、私たちはツリーの真下で互いのスマホを預け合い、写真を撮影することになった。
まずは蓮さんと唯先輩の二人。光のツリーを背景に並ぶ二人は本当にお似合いで、唯先輩の弾けるような笑顔が印象的だった。
続いて、私と湊兄さんの番。少し照れながらツリーの前に並ぶと、「もっと寄って寄って!」と唯先輩に促され、肩が触れ合う距離でレンズに笑顔を向けた。
「はい、チーズ! うん、すごく良く撮れたよ!」
スマホを受け取ると、写真の中の二人はいかにも特別で楽しそうな、最高の表情で写っていた。
「ありがとう、唯先輩!」
「ううん、こちらこそ! じゃあ、私たちはそろそろあっちのショップの方に行ってみるね」
「おう。じゃあな、湊、みゆ。また部活やテニスコートでな!」
「ああ、また部活で」
爽やかに手を振って人混みの中へと消えていく二人の背中を、私たちは温かい気持ちで見送った。
「そろそろいい時間だな。予約してある店に向かおうか」
「うん!」
蓮さんと唯先輩を見送ったあと、私たちは広場を後にして、施設の上層部にある落ち着いたレストランフロアへと向かった。
湊兄さんが案内してくれたのは、大きなガラス窓から街の夜景が一望できる、洗練されたフレンチレストランだった。案内されたのは、あらかじめ予約されていた窓際のペアシート。テーブルの上には小さなキャンドルが揺らめき、眼下には雨上がりの街が眩い宝石箱のように広がっている。
「わあ……! 夜景がすごく綺麗……!」
「喜んでもらえて良かった。イブのディナーだし、少し奮発したんだ」
メニューはクリスマス限定の特別コース。見た目も華やかな前菜から始まり、カボチャのポタージュ、メインディッシュの牛フィレ肉のステーキに至るまで、運ばれてくる料理のすべてがほっぺたが落ちそうなほど美味しかった。
「すごく美味しいね、兄さん!」
「おう。みゆが美味しそうに食べる姿を見るのが、今日一番のごちそうかもな」
「もう、そんなこと言って……っ」
向かい合ってグラスを傾け、今日一日の出来事を振り返りながら語り合う。朝の集合から、プラネタリウムの星空、ハラハラしたクライミング、温水プールでの思い出、そして広場での奇跡的な再会——。
食後のデザートプレートが運ばれてくると、そこには粉砂糖で『Merry Christmas』と可愛らしく描かれていた。
「みゆ、今日一日付き合ってくれてありがとうな」
「ううん、お礼を言うのは私の方だよ。兄さん、本当にたくさんの準備をしてくれて……すっごく楽しかったし、忘れられないクリスマスイブになったよ」
温かい紅茶を飲みながら、私はそっと湊兄さんの瞳を見つめた。
兄として自分を守ってくれる優しさと、一人の男の人として自分を愛おしんでくれる強い想い。そのどちらもが、私の胸を優しく満たしていく。
「まだまだイブは終わらないけど……とりあえず、大成功だな」
「ふふ、うん! 最高のイブだよ、兄さん!」
窓の外に広がる眩い夜景とキャンドルの灯りに照らされながら、二人の特別なディナータイムは、甘く穏やかな余韻を残して更けていった。




