黒炎の影、立ちはだかる壁
12月23日。冬休み2日目の朝。
「みゆ、悪い、今日は朝からちょっと用事があってな。一人で出かけてくる」
朝食を終えた後、湊兄さんがラケットバッグとは違う小さめのバッグを手に取ってそう告げた。
「用事? 練習は……?」
「午前中には終わる。午後からはまた練習に合流するから、みゆは予定通り部活に行ってくるといい」
「うん、分かった! 気をつけて行ってきてね」
何か考え事をしているような表情を見せつつも、湊兄さんは「じゃあな」と手を振って出かけていった。どこへ行くのか少し気になったけれど、私にも今日は大事な予定がある。女子テニス部の部活動だ。
冬の冷たい風を頬に受けながら、私はラケットケースを背負って星和学院中等部の校門をくぐった。
テニスコートへ着くと、すでに元気な打球音が響いていた。部室で共有した通り、期末テストの補習がある結衣ちゃんと、彼氏とクリスマス前デートの莉奈、そして午前中に少し抜ける予定のひかりちゃん以外は、みんな元気に揃っている。
「おはよう、みゆ!」
コートの入り口で、美咲が弾けるような笑顔で駆け寄ってきた。
「おはよう、美咲! みんなもう打ち始めてるんだね」
「うん! 先日みんなでスケジュール確認して、モチベーション上がってるみたいでさ。……それより、みゆ!」
美咲は周りの部員に聞こえないよう少し声を潜め、ニッとした悪戯っぽい笑みを浮かべて私の顔を覗き込んできた。
「約束通り、私の練習に付き合ってくれる?」
「もちろん! そのために今日来たんだから。美咲の課題克服、とことん付き合うよ!」
「よっしゃ、言ったね! 親友の高い壁、ぶち壊すから覚悟しておきなよ〜!」
冗談めかして笑い合う私たち。
湊兄さんが一人で向かった「用事」のことも頭の隅に置きつつ、私は美咲と一緒にコートの中へと足を踏み入れた。
「よしっ、それじゃあみゆ! よろしく頼むよ!」
ラケットを握り直し、美咲が真剣な表情でネットの向こう側に立つ。私もポンと自分の頬を叩き、意識を切り替えた。
「うん! 美咲が克服したい課題って、やっぱり……あの全国大会で戦った、西園寺の瑠璃ちゃんのこと?」
「察しがいいね、さすがみゆ」
美咲は苦笑いを浮かべながらも、その瞳には熱い燃えるような光を宿していた。
「あの時、瑠璃が見せた『黒炎』……覚えているでしょ? 鳳仙雅の『煉獄』をベースに、みゆの『波紋』の原理まで取り入れて作られた、一切の光を吸い寄せるような絶対的な支配領域。どこへ打っても瑠璃の手元へ吸い込まれて、まるで息ができないような感覚だった」
「うん……覚えてる。瑠璃ちゃん、試合後に言ってたよね。『みゆの波紋も参考にしてる』って」
「そう! 瑠璃の『黒炎』の根本にあるのは、圧倒的な先読みと、相手の打球の力や回転をそのまま自分の領域に取り込むコントロール能力……つまり、みゆの『波紋』の応用版でもあると思うんだよね」
美咲はラケットのフレームをギュッと握りしめた。
「あの『黒炎』に打球を吸い込まれないために、どうにかして相手の予測を上回る変化をつけるか、領域そのものを打ち破る術を見つけたい。……だから、波紋の元祖であるみゆと打ち合って、攻略の糸口を掴みたいんだ!」
「分かった! 美咲の攻撃、全部受けて立つよ!」
「よっしゃ、いくよみゆ!」
バシィッ! と澄んだ打球音が冬空に響き渡る。
美咲はギリギリまでコースを隠す独特のテイクバックから、鋭いドロップや伸びのあるスライス、時には強烈なトップスピンを縦横無尽に織り交ぜて仕掛けてきた。
けれど、私は全く動じない。
軸を微塵もぶらさず、美咲が放つどんな球種もその場で深く吸収するように受け止める。カウンターの基本姿勢を崩さず、足元から集中力を引き出して『波紋』を乗せ、淡々と完璧なコースへ打ち返していく。
(……すごい。美咲の球、打つたびに回転もスピードも変わっている。突破口を見つけようと試行錯誤してるんだね……!)
美咲の視点から見れば、私の立ち姿はまさに絶対的な壁だった。
時には美咲が必死に放った超回転のストロークや、果敢に詰めたダイレクトボレーも交ざっていたが、私自身が限界(欠点)を意識して冷や汗を流しながら必死に対応していることなど、美咲には全く感じさせない。何事もなかったかのように、ただ静かに、けれど圧倒的な精度でボールが美咲の足元へと正確に落ちていく。
(相手の力をそのまま利用する『波紋』……!蓮さんに教えられた欠点は瑠璃ちゃんの『黒炎』も同じはず……)
「くっ……やっぱりビクともしないね! でも、だからこそやり甲斐があるよ……! もう一球頼む、みゆ!」
「うんっ! いくらでも来なよ、美咲!」
親友が壁を乗り越えようと挑みかかり、私がそれを完璧に受け止め続ける。次の大会で今度こそ全員で頂点に立つために――冬の澄んだコートに、熱く確かな打球音がどこまでも響き渡っていた。




