番外編 静寂の夜に祈る影(雫視点)
静まり返った夜のキッチンで、私はコップいっぱいの白湯を口に含んだ。ほんのりと温かい液体が喉を通っていくけれど、胸の奥に居座る冷たい塊は一向に消えてくれない。
手に持ったスマホの画面には、湊から届いた短いメッセージが残されていた。
『明日、悟おじいちゃんと一緒に薫子おばあちゃんの病院へ行ってくる。みゆも一緒だ』
「みゆも……行くのね」
スマホを胸に抱きしめ、私はそっと瞳を閉じた。
忘れもしない、三年前の初夏の日。
私はお父さんとお母さんと一緒に、神崎夫妻のお墓参りへ出かけた。事故から何年経っても、お父さんたちにとってそこは一生背負い続ける罪と向き合う場所だった。
けれど、運命の悪戯はあまりにも残酷だった。
お線香を上げ終え、重苦しい沈黙を抱えたまま帰ろうとしたまさにその時、三谷家の親族――智樹おじいさんたちが現れたのだ。
『よくも……どの面下げてここに来られたもんだっ!』
静かな墓地に響き渡った、智樹おじいさんの怒号。
お父さんとお母さんは何も言い返さず、ただ深く深く頭を下げていた。
『祥子を返せ! 徹さんを返せ! お前たちが現れなければ、うちの娘は死なずに済んだんだ!』
『湊をいつまで縛りつける気だ! 隠し通せると思うな! 早く解放してやれ!』
浴びせられる激しい罵倒と、刃のように刺さる憎悪の視線。
私には、ただ震えるお母さんの肩を抱きしめることしかできなかった。二年前、智樹おじいさんが亡くなった際も、三谷家から参列を固く拒否されたことは、まだ記憶に新しい。
三谷家にとって、我が家は娘を奪った憎き存在なのだ。
(湊は……きっと受け入れられる。あの子は祥子さんの忘れ形見だから……)
でも、みゆは?
あの日、祥子さんが自らの命と引き換えに守り抜いた、新しい命。
三谷家の人々にとって、みゆの存在そのものが「祥子さんが死んだ理由」として映ってしまうのではないか。
みゆは今年、あまりにも大きすぎる事故の真相を知ったばかりだ。平気を装ってはいても、その心はガラス細工のように脆く、張り詰めているはずなのに。
「お願い……みゆの心を、これ以上壊さないで……」
誰もいない暗い部屋で、私は祈るように呟いた。
どうか明日、あの子が傷ついて帰ってきませんように。どんな拒絶を突きつけられても、妹の心が砕けてしまわないようにと、私は遠い夜空に向かって、ただ静かに祈り続けることしかできなかった。
翌日、待ちに待った休日だというのに、私の心はどこか落ち着かなかった。
机に向かい、まずは大学の課題をひと通り片付ける。ペンを置くと、今度はPCを開き、自身で立ち上げたアパレルブランド『SizukaWorks』の今週の売上データをチェックした。おかげさまでショップの評判は上々で、新作アイテムの構想もノートにいくつか書き出してある。本来ならワクワクしながらデザイン画を描いているはずの時間だった。
けれど、時計の針が刻一刻と進むたびに、意識はどうしても別の場所へ向かってしまう。
(今頃……面会をしているのかな)
手元のデザインノートに伸ばしたペン先が止まる。三谷のおばあ様がどんな顔でみゆを迎えるのか、どんな言葉を投げかけるのか。考えれば考えるほど胸騒ぎがして、仕事に集中しきれない自分がいた。
夕方になり、窓の外はすっかり闇に包まれた。
午後八時を過ぎても、二人からは何の連絡もなく、玄関の鍵が回る音も聞こえてこない。
(遅い……やっぱり、何かあったのかしら……)
PCを閉じ、夕食の準備を終えても、嫌な想像ばかりが頭を駆け巡って心が押し潰されそうになっていた。
――そして、時計の針が九時を回った頃。
カチャリ、と静かな音を立てて玄関のドアが開いた。
「ただいまー」
「ただいま、姉さん。遅くなってごめん」
聞き慣れた二人の声に、私は弾かれたように立ち上がり、急いで廊下へと駆け出した。
「おかえりなさい! ふたりとも……っ」
玄関に立つ二人の姿を見た瞬間、私の全身からふっと力が抜けた。
そこにいたのは、傷つき打ちひしがれた妹の姿ではなかった。みゆの顔にはどこか誇らしげで、心のつかえが取れたような晴れやかな笑顔が浮かんでいる。そして隣に立つ湊は、一回り大きなラケットケースと古い資料の束を、まるで宝物のように愛おしそうに抱えていた。
二人の穏やかでどこかすがすがしい表情を見れば、一日中募らせていた私の心配がただの杞憂に終わったのだと、すぐに理解できた。
(よかった……本当に、よかった……っ)
胸の奥で固まっていた冷たい不安がすーっと溶けていき、私は大きく息を吐き出した。
「荷物、重そうね。……ふたりとも、寒かったでしょ? 夕飯、温かいものを準備してあるから。……さあ、あがりなさい。今日の出来事、ゆっくり聞かせてくれる?」
優しく微笑む私に、二人は顔を見合わせ、温かな笑みを返してくれた。止まっていた時間が溶け出し、我が家にまたひとつ、穏やかで優しい夜が訪れようとしていた。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
27章は祖父母との再会でした。
2日間の話で12節まで作れるとは...
1節あたり短くし過ぎたのかと少し反省してます。
28節は湊の父の記録がテーマですが、湊の過去を知るメンバーに限定されるため、
北条蓮が対象外となってしまいます。
少し長めの章になりそうなのでお付き合いいただければ幸いです。




