解けぬ氷解、告げられた拒絶
病室に、張り詰めた緊張感が漂う。
ベッドの上の薫子おばあちゃんは、ゆっくりと体を起こしながら、まっすぐに湊兄さんを見つめていた。その瞳は、霞みがかってはいるものの、どこか必死に誰かの面影を探しているようだった。
「……薫子さん。突然すまないね」
悟おじいちゃんが静かに前に進み出て、穏やかな声で語りかける。
「今日ね……君に会わせたい子がいて連れてきたんだ。紹介させておくれ」
悟おじいちゃんに促され、湊兄さんが一歩、ベッドの傍らへと足を進めた。緊張で喉を鳴らしながらも、その瞳はまっすぐにおばあちゃんを見据えている。
「……薫子おばあちゃん。……神崎……いえ、三谷祥子の息子の、湊です」
「……湊……? 湊……かい……っ?」
その名を聞いた瞬間、薫子おばあちゃんの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。震える手をかき抱くように伸ばし、湊兄さんの手に重ねる。
「ああ……大きくなって……っ。祥子……祥子の面影があるね……。生きて……会いに来てくれたのかい……っ」
「はい……遅くなって、ごめんなさい」
湊兄さんの声も胸に詰まっていた。薫子おばあちゃんは何度も頷き、湊兄さんの手を愛おしそうに撫で続ける。その様子を傍らで見守っていた葵さんが、控えるように一歩前に出て、静かに頭を下げた。
「お初にお目にかかります、三谷様。神崎家の隣に住んでおります、綾瀬葵と申します。今日はお邪魔させていただいております」
「葵ちゃん……そうかい、あのお隣の……。湊のそばにいてくれて、ありがとうねぇ」
葵さんの丁寧な挨拶に、薫子おばあちゃんは涙を拭いながら、優しく目元を緩ませて頷いた。そして、視線は自然と、最後に残った私の元へと向けられる。
私は深く息を吸い込み、胸の前の拳を強く握りしめた。足が竦みそうになるのを必死に耐え、まっすぐに前を見つめて口を開く。
「……はじめまして、薫子おばあちゃん。私は……水瀬みゆと申します。湊兄さんの……水瀬家の妹です」
その瞬間――。
部屋の空気が凍りついた。
「……水瀬……?」
薫子おばあちゃんの顔から、先ほどまでの温かな笑みが一瞬で消え去った。目元が釣り上がり、深く刻まれたシワが一気に険しさを帯びる。私に向けられた瞳には、抑えきれない拒絶と、長年燻ぶり続けてきた暗い情念が宿っていた。
「……水瀬の……あの健一の、娘かい……っ」
「母さん、やめて……っ」
楓さんが慌てて制止しようと手を伸ばすが、薫子おばあちゃんはそれを振り払うようにして、私を激しく睨みつけた。
「あんた……よくもまあ、どの面下げてここに来られたもんだ……っ!」
「薫子さん、落ち着きなさい!」
悟おじいちゃんが声を荒らげるが、薫子おばあちゃんの感情の波は止まらない。ベッドの柵を強く握りしめ、掠れた声を振り絞るようにして私に言い放った。
「あんたに……あんた自身に罪がないことくらい、分かってるよ……! だけどね……水瀬の血を引く人間を許すことなんて、あたしには逆立ちしたってできないんだよ……っ! あたしたちから祥子を……湊を奪った家の子なんて……見たくもない……っ!」
「母さん……っ!」
「頼むから……帰っとくれ……っ! 今すぐ、出ていっておくれ……っ!」
病室に響き渡る、拒絶の叫び。
「……すみません……っ。ごめんなさい……っ」
溢れそうになる涙を必死にこらえながら、私は深く、深く頭を下げた。自分でも驚くほど声が震えていた。
「兄さん……私、外で待ってるね」
「みゆ、待てっ――」
湊兄さんが伸ばしかけてきた手を振り切るようにして、私は逃げるように病室の扉を開け、廊下へと飛び出した。
カチリと扉が閉まる。消毒液の匂いが漂う静まり返った廊下に一人取り残され、私は冷たい壁に背中を預けた。胸の奥が痛くて、浅い呼吸しかできない。
――その時だった。
「なんであんな子を連れてきたんだ! 悟さん、あんたまであたしたちを愚弄するつもりかいっ!?」
重い扉を通り抜けて、病室の中から薫子おばあちゃんの激しい怒鳴り声が廊下にまで響き渡った。
「母さん、落ち着いて! みゆちゃんは何ひとつ悪くないでしょう!?」
「うるさい! 水瀬の顔なんて見たくもないんだよ! 出て行け、みんな出て行っておくれっ!」
楓さんが宥める声も虚しく、感情を爆発させる叫び声が容赦なく私の耳を貫く。
(やっぱり……私の存在そのものが、おばあちゃんを苦しませてしまうんだ……)
分かっていたはずだった。けれど、目の前で突きつけられたあまりにも強い拒絶と怒りに、私の心はポロポロと崩れていく。膝から崩れ落ちそうになるのを必死で耐えながら、私はただじっと、俯いて耐えることしかできなかった。
それから五分ほどが経った頃。
室内からの荒い怒号が少しずつ収まり、静けさが戻りかけたタイミングで、カチャリとドアノブが回った。
出てきたのは、葵さんだった。
「……みゆちゃん」
「葵さん……」
葵さんは痛むような目元で私を見つめると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「……大丈夫? 湊くんやおじい様が中に残ってるよ。薫子さんの興奮が少し落ち着いたから……積もる話もあるだろうし、今は血縁者だけにしてあげようって、悟おじい様が」
「……うん。そう、だよね……」
私が頷くと、葵さんは胸を痛めたように眉をひそめ、そっと私の肩に手を置いた。あまりにも落ち込んでいる私の様子を見て、何かを察してくれたらしい。
「ねえ、みゆちゃん……少し風にあたりに行かない? 屋上、行ってみようよ」
葵さんの優しさが胸に沁みて、私は小さく息を吐き出した。
「……うん。そうだね……行こうか」
私はうなずき、葵さんと二人で静かな廊下を歩き出した。重苦しい空気から逃れるように、風が吹く屋上を目指して――。




