朝靄(あさもや)の中の告白、繋がる約束
冬の透き通った朝日が差し込む、翌朝の通学路。
冷たい空気が頬を撫でる中、いつもの交差点の少し手前で、ぽつんと立ち尽くす人影があった。
葵さんだった。
普通なら輝くような笑顔で駆け寄ってくる彼女が、今日はどこか消え入りそうな、暗く沈んだ表情でうつむいている。私たちの足音に気づくと、ハッとして顔を上げた。
「あ……湊くん、おはよう……」
力なく絞り出されたその挨拶と、赤く腫れた目元。
それを見た瞬間、私はすべてを悟った。昨夜、葵さんが自分のご両親から神崎夫妻の真実――十四年前の悲惨な事故のことを聞いてしまったのだと。
(葵さん……やっぱり、本当のことを聞いちゃったんだ……)
不安で胸がぎゅっと締め付けられ、私は思わず隣を歩く湊兄さんの袖を軽く引いた。
「……兄さん」
私の不安そうな声に、湊兄さんは優しく微笑むと、力強く頷いてくれた。
「大丈夫だ。任せておけ」
そう私に囁いてから、湊兄さんはまっすぐ葵さんの前へと歩み寄った。
「葵さん、おはよう。昨日は神崎家を案内してくれて、本当にありがとう。……お父さんたちに、確認してくれたんだろ?」
「うん……。それなんだけどね、あの……なんて言ったらいいか……っ」
言葉を詰まらせ、申し訳なさとショックで瞳に涙を溜める葵さん。大切な幼馴染に、両親がもうこの世にいないという残酷な事実をどう伝えればいいのか、彼女の心は押し潰されそうになっていた。
そんな葵さんの葛藤を遮るように、湊兄さんは穏やかな、けれど揺るぎない声で静かに言葉をかけた。
「大丈夫だよ、葵さん。……俺も、昨日の夜、全部知ったから」
「え……? 全部……知ったの……?」
葵さんは驚きで目を見開いた。
湊兄さんは昨夜水瀬家で父さんの日記を開いたこと、新しい命を守るために神崎夫妻が命を落としたこと、そして水瀬家の家族として愛されて育ってきたことのすべてを、落ち着いた声で葵さんに伝えた。
事情をすべて聞き終えた葵さんは、大きく息を吐き出し、胸に手を当てて静かに静観した。真実の重みに切なさを見せつつも、湊兄さんが立ち直っていることに深く納得し、安堵したようだった。
「……そうだったんだね。湊くんがちゃんと真実を知ることができて、よかった……。……ねぇ、湊くん。これから、どうするの……?」
葵さんの問いかけに、湊兄さんは冬の澄んだ空を見上げ、晴れやかな瞳で答えた。
「まだ、具体的にどうするかは分からない。……だけど、まずは今週末、俺の本当のおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行こうと思ってるんだ」
「神崎のおじいちゃんとおばあちゃんに……!?」
「ああ。みゆたちが、案内してくれる。……葵さんも、一緒に来るか?」
「うん! もちろん一緒に行く! 神崎のおじいちゃんとおばあちゃんも、絶対に喜ぶよ……!」
葵さんは目元に浮かんだ涙を制服の袖でぬぐうと、いつもの輝くような笑顔を取り戻した。
重く沈んでいた朝の空気がふっと和らぎ、私たちはそろって学校へと向かって足を早めた。
昇降口を通り、校舎の中へ入ると、周りの生徒たちの視線が自然とこちらへ集まってくる。
高等部の廊下へ差し掛かったところで、湊兄さんと同じクラスの男子生徒たちが、どこかニヤニヤとした冷やかし混じりの顔で近づいてきた。
「おいおい湊! お前、転校してきたばかりの葵ちゃんと、もう名前で呼び合って仲良く歩いてんのかよ!?」
「葵ちゃん、まだ転校してきたばかりでクラスでもおとなしいから高嶺の花かと思ってたら……湊とそんなに一気に距離縮めてんのかよ! 抜け目なさすぎだろ!」
まだクラスに馴染みきれず、少し遠慮がちだった葵さん。そんな彼女が人気が高い湊兄さんと親しげに名前を呼び合っている姿は、男子生徒たちにとって相当な衝撃だったようだ。
周囲からの羨ましさと嫉妬が混ざった視線に葵さんが少し縮こまると、湊兄さんはすっと葵さんを庇うように一歩前に出て、素直に苦笑いを浮かべた。
「いや……実は昔、少しだけ会ったことがあったんだ。幼馴染みたいなものだよ」
「へぇ~、昔からの知り合いだったのか! 転入生と幼馴染なんて、なんかドラマみたいだな」
「ほら、そろそろ予鈴が鳴るぞ。行こう」
湊兄さんが自然な仕草で男子生徒たちの意識を散らし、葵さんを促しながら教室の中へと入っていく。男子生徒たちも楽しそうにその後に続いた。
賑やかになっていく高等部の廊下を見送りながら、私は隣に立つ陽太の隣で、ぽつりと呟いた。
「……葵さん、まだ転校してきたばかりで緊張してたみたいだから、兄さんがいてくれて安心したかもね」
「そうだな。葵さんも綺麗だから目立ってたし……それにしても湊さんは、相変わらずどこへ行っても頼りになるっていうか、惹きつけるものがあるよな」
陽太は少し口を尖らせつつも、どこか誇らしげに湊兄さんの背中を見つめていた。
「でも……よかった。昨日の夜はあんなに辛そうだったのに、今は前を向けていて」
「ああ。でもそれはみゆ、お前もだろ?色んなものを背負い込んでたのが、軽くなった」
「そうだね、兄さんが本当のことを知って家族がバラバラになるかもってずっと思ってたから... 本当によかった」
明るい光が差し込む廊下で、私たちは大切な家族でありライバルでもある湊兄さんの背中を、温かな気持ちで見送るのだった。
「じゃあな、みゆ。また昼休みに」
「うん、また後でね、陽太」
教室の前で陽太と手を振り合い、私はBクラスの扉を開けた。朝のホームルーム前の賑やかな空気が広がっている。自分の席へ向かい、鞄を机の横に掛けたところで、隣の席の美咲が「おはよう!」と明るく声をかけてきた。
「おはよう、美咲」
「うん、おはよう! ……って、あれ?」
机に手をついて身を乗り出してきた美咲が、じっと私の顔を覗き込んでくる。そのくりっとした大きな瞳が、不審そうに細められた。
「どうしたの、美咲……? 私の顔、何か付いてる?」
「ううん、違うの。なんかね……みゆ、何か良いことあった?」
「え……?」
思いがけない問いかけに、私はまばたきをした。
「なんだろう……言葉にするのが難しいんだけどさ。ここしばらくのみゆって、笑っててもどこか遠くを見てるみたいというか、胸の奥に重いものを抱えてる感じがしてたでしょ? でも今日のみゆ、なんだかすごく顔つきが柔らかいっていうか……すっきりした顔してる!」
美咲の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
(私……そんなに顔に出ていたんだ……)
十四歳の誕生日の夜からずっと、私の心を暗く支配していた「加害者としての罪悪感」。自分が笑うたびに、湊兄さんの幸せを奪っているような気がして呼吸すら苦しかった日々。
それが昨日の夜、湊兄さんの温かな許しと決意の言葉によって、綺麗に溶かされていったのだ。もう自分を責めなくていい。もう偽りの妹として怯えなくていい――心の底から解放された安堵感が、私の表情を柔らかく変えていたのだと、改めて実感する。
「……うん。実はね、ずっと悩んでたことが一つ、無事に解決したの」
「本当!? やったじゃん! ずっと心配だったんだから~」
美咲はほっと胸を撫で下ろし、自分のことのように嬉しそうにニッコリと笑った。
(美咲は本当にすごいな……)
私が必死で作っていた「いつもの自分」の仮面の下にある、ほんの少しの違和感に気づいてくれて、そして解決した途端に一緒に喜んでくれる。そんな親友の温かな鋭さと優しさが誇らしくて、愛おしくてたまらなかった。
「気づいてくれて、ありがとう美咲。おかげで私、今すごく心が軽いの」
「ふふっ、お礼なんていいって! さ、もうすぐ先生来ちゃうから準備しよ!」
差し込む冬の光の中で、美咲が明るく笑う。
過去の暗闇を抜けた私の前に、穏やかで温かな学校生活が、再びしっかりと広がっていた。




