↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第26章:セピア色の追憶、解き放たれる真実

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

233/288

交錯する写真と、導かれた生家

昨夜の重い空気のまま迎えた朝。

湊兄さんは朝練があるため、私やお姉ちゃんが起きる頃にはすでに家を出ていた。

ダイニングのテーブルに残された「部活の朝練があるので先に行く」というメモを眺めながら、私は握りしめた手にぎゅっと力を込めた。


(今日、葵さんがアルバムを持ってくるんだ……)


お昼休みも、放課後のテニス部の練習中も、胸の奥を押し潰すような不安と緊張がずっと消えなかった。

昨夜お姉ちゃんが見せてくれた、生まれたばかりの私をぎこちなく抱っこする一歳の湊兄さんの写真。そして今日、葵さんが持ってくるという一歳の「神崎湊」の写真。

渡り廊下の向こうの高等部で、二つの時間が重なろうとしているのだ。


「みゆ、コート整備終わったよ! 先に片付け進めちゃっていい?」


「あ、うん! 美咲、ありがとう。私もすぐ行くね!」


美咲の声にハッと我に返り、必死でいつもの笑顔を作った。

練習が終わり、夕闇が静かに校庭を包み込んでいく。私と陽太はいつものように昇降口の近くで待ち合わせをし、高等部から降りてくる湊兄さんを待っていた。


けれど――降りてきた湊兄さんの表情を見た瞬間、私の言葉は凍りついた。


「湊……さん?」


隣に立つ陽太も、息を飲んで固まっている。

湊兄さんの顔からは完全に血の気が引き、その瞳は見たこともないほど深く、静かな葛藤に揺れていた。


「……みゆ、陽太」


湊兄さんは震える声を振り絞るように、私たちの前に立った。


「今日、綾瀬さんに……小さい頃の写真を見せてもらったんだ」


「……っ!」


「そこには、一歳の頃の『神崎湊』が写っていた。……でも、おかしいんだ。昨夜姉さんに見せてもらった、生まれたばかりのみゆを抱っこしている『水瀬湊』の俺と……葵さんの写真の男の子が、どうしても同一人物にしか見えないんだ……」


湊兄さんの言葉に、私と陽太の心臓が激しく跳ね上がった。

違う苗字の二人。けれど、どちらの写真にいるのも、紛れもない「湊兄さん」そのもの。湊兄さんの中で長年信じ切っていた「水瀬湊」という前提が、強烈な違和感となって音を立てて崩れ始めていたのだ。


「俺……自分の目で確かめたいんだ。綾瀬さんのご両親や、俺の家があった場所を……神崎家を」


「兄さん……」


「身勝手なのは分かってる。でも、みゆ……一緒についてきてくれないか? 俺が何を見ることになっても……みゆに一番近くにいてほしいんだ」


切実な眼差しで私を見つめる湊兄さん。

隠し通さなければという焦りと、苦しむ兄を一人にできないという思いが胸の中で激しくぶつかり合う。


「……分かった。一緒に行くよ、兄さん」


私が深く頷くと、後ろから「俺も行く」と陽太が力強く言った。


「綾瀬さんには話してある。中等部の校門前で待ってくれているはずだ」


私たちは言葉少なに、葵さんが待つ校門へと向かった。

校門の前には、心配そうにたたずむ葵さんの姿があった。


「湊くん、妹さんたちも……一緒に来てくれるのね」


「うん。……案内してくれるかい、綾瀬さん。『神崎の家』へ」


「ええ……こっちだよ」


すっかり陽が落ち、街灯のぽつぽつとした光が冬の夜道を照らしていた。

前を歩く葵さんと湊兄さん。葵さんは気遣うように時折隣の湊兄さんを振り返っていたが、湊兄さんは固い表情のまま、緊張で唇を一文字に結んで静かに歩を進めていた。


その背中から少し距離を置き、私と陽太は並んで歩いていた。

静まり返った夜道に、私たちの靴底がアスファルトを叩く音だけがカサカサと響く。


「……陽太」


私は周りに聞こえないくらいの小声で、隣を歩く陽太に話しかけた。


「……ん? どうした、みゆ」


陽太も声を潜め、真剣な眼差しをこちらに向けてくる。


「……昨日の夜ね、兄さんがお風呂の間にお姉ちゃんに全部話したの」


「えっ……雫さんに? 湊さんが写真を見せてくれって頼んだことも?」


「うん……。そしたらね、お姉ちゃん、葵さんのことも神崎家でのことも、全部覚えてたの」


私は一呼吸置き、昨夜お姉ちゃんが見せてくれたあの温かくも哀しいアルバムのこと、そして二人で固く交わした決意を陽太に打ち明けた。


「お姉ちゃん、言ってた……。私たちが一番守らなきゃいけないのは、兄さんの心だって。もし本当のことを知って傷ついても、真実を突っぱねるんじゃなくて、兄さんが自分のペースで受け止められるように……私たちがずっと隣で支えようねって」


「……そうか。雫さんも、そう言ってくれたんだな」


陽太は前を歩く湊兄さんの広い背中に視線を送り、深く息を吐き出した。


「俺も……同じ気持ちだ。湊さんがどんな真実に辿り着いたとしても、俺たちが湊さんを想う気持ちも、今まで過ごしてきた時間も何ひとつ変わらない。俺も一緒に支えるよ」


「ありがとう、陽太……」


陽太の力強い言葉に、少しだけ胸の奥の冷え込みが和らぐ気がした。


前を歩く湊兄さんの手袋をはめた右手が、固く握りしめられているのが見えた。

自分が誰なのか。なぜ苗字が違う二つの写真の中に、自分としか思えない男の子が写っているのか。

混乱と恐怖、そして確かめたいという強い衝動に挟まれながら、湊兄さんは一歩一歩、逃げ出したいような足を前へ踏み出しているのだ。


「――ここだよ」


先頭を歩いていた葵さんが足を止め、静かに振り向いた。


目の前に現れたのは、落ち着いた住宅街の一角にある、静まり返った一軒の邸宅だった。

深い静寂に包まれた『神崎』の表札を見上げる湊兄さん。

息を飲むような緊張感が周囲の空気を張り詰めさせていた。


「ここが……?」


消え入りそうな声で呟いた湊兄さんは、すっと吸い込まれるように門扉へと一歩踏み出し、葵さんへ視線を向けた。


「綾瀬さん……中に入って見ることは、できるか?」


「うん。おじいちゃんとおばあちゃんが管理用の鍵を預かっているから、持って来るね! すぐ隣だから、少しだけここで待っていて」


葵さんは優しく微笑むと、隣の家へ走っていった。


街灯のオレンジ色の光が静かに降り注ぐ神崎家の門前で、私と陽太、そして湊兄さんの三人だけが残された。

誰も言葉を発することができず、ただ冬の澄んだ夜風がそっと通り抜けていく。


「……みゆ」


沈黙を破ったのは、湊兄さんだった。

振り返った湊兄さんの表情に、私は思わず息を詰めた。


「兄さん……?」


「おかしいんだ……。この家に足を踏み入れたことも、この門を見た記憶も……俺の頭の中には一切ないはずなのに……」


湊兄さんは震える手で、そっと自分の胸元を強く握りしめた。


「どうしてだろうな……。胸の奥がすごく熱くて……苦しくて……懐かしくて、たまらないんだ」


「……っ」


「ただいま、って……声が出そうになるんだよ。俺の家は、父さんと母さんと、姉さんとお前がいるあの水瀬家のはずなのに……どうして……っ」


次の瞬間、湊兄さんの瞳から大きな涙の粒が溢れ出し、頬を伝ってポロポロとこぼれ落ちた。


「湊さん……」


陽太が言葉を詰まらせ、痛ましい表情で湊兄さんを見つめる。


頭の記憶には存在しない。自分がずっと「水瀬湊」として生きてきた16年間の記憶の中には、どこにもこの場所はない。

けれど――体が、血が、魂が覚えているのだ。

ここで愛され、ここで泣き、ここで温かな手につつまれて過ごしていた、あの一年間の時間を。


「ああ……そうなんだな……」


溢れ出る涙を拭おうともせず、湊兄さんは溢れる感情を受け止めるように、力なく小さく笑った。


「俺は……昔、ここに住んでいたんだ。……神崎湊として」


まだ鍵を開けて家の中に一歩も入っていないのに、溢れて止まらない涙が何よりも雄弁に真実を物語っていた。


自分は「神崎湊」であったという逃れようのない確信。

私と陽太は言葉を失い、溢れる涙を流し続ける湊兄さんの姿を、ただただ見つめることしかできなかった。


「お待たせ! 鍵、持ってきたよ――」


走って戻ってきた葵さんの声が響く。

12月の冷たい夜空の下、重い鉄の鍵がジャラリと音を立てた。いよいよ、隠され続けてきた過去の扉が開かれようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。