セピア色の記憶と、隣り合わせの過去
吐く息が真っ白に染まる冬の帰り道。
街灯のオレンジ色の光が照らす夜道を、私、湊兄さん、陽太、そして葵さんの四人で並んで歩いていた。
「葵さんは、どうしてこの時期に聖和へ転校してきたんですか?」
胸の中にあるざわめきを押し隠しながら尋ねると、葵さんはマフラーに少し顔をうずめ、懐かしむような優しい目で夜空を見上げた。
「父親の海外赴任が決まってね。私は日本に残ることにして、この街に住むおじいちゃんとおばあちゃんの家に引っ越してきたの。……実はね、ここ、昔私が住んでいた街なんだよ」
「へえ、戻ってきたってことか」
陽太が納得したように頷く。
「ええ。だから今日、学校へ行く途中でこの街の景色を見ていたら色んな記憶が込み上げてきちゃって……焦って事故を起こしそうになっちゃったの。本当にごめんなさいね」
「ううん、怪我がなくて本当に良かったです」
私が微笑むと、葵さんは隣を歩く湊兄さんへ、ちらりと視線を向けた。
「……あのね、今朝『昔からずっと水瀬さんですか』なんて変なことを聞いちゃったでしょう? その理由……話してもいいかしら」
その言葉に、私と陽太の身体が思わず緊張で強ばる。湊兄さんも足をゆるめ、静かに葵さんの言葉を待った。
「私の家のアルバムにね、赤ちゃんの頃の写真がたくさん貼ってあるの。私が1歳の頃、隣のお家に住んでいた男の子と一緒に、お庭で遊んでいる写真」
「……隣の家?」
湊兄さんが不思議そうに呟く。葵さんは小さく頷き、記憶を辿るように言葉を重ねた。
「うん。私の家とそのお家は両親同士もすごく仲が良くて、家族ぐるみでお付き合いしていたの。でも、私が2歳の頃にその子のご両親の仕事の都合で別の街に引っ越すことになったようなの、それきり会えなくなっちゃって……」
葵さんは一度言葉を区切ると、どこか切なげな眼差しで湊兄さんを見つめた。
「……そのお家の名前がね、『神崎』さんっていうの。写真の裏には『湊くんと葵』って、お母さんの文字で書いてあったわ」
「――ッ!!」
私の息が止まった。
隣で歩いていた陽太も目を見開き、息を飲んで固まっている。
神崎――。
1歳の頃に事故で両親を亡くし、水瀬家に引き取られる前に湊兄さんが持っていた、本当の苗字。
(葵さんは、1歳の頃に引っ越したって思ってるんだ……)
けれど、幼かった彼女には当時の詳しい事情は知らされず、「1歳の頃に両親の都合で離れた」とだけ教えられていたのだろう。
「だから今朝、水瀬さんが『湊』ってお名前だって知った時……顔立ちや面影があの写真の男の子にすごく似ていて、もしかして、って……」
「神崎……湊……?」
静寂が包む夜道で、湊兄さんが首をかしげながらその名前を呟いた。
「綾瀬さん、俺は生まれたときから『水瀬湊』だし、神崎って苗字には全く覚えがないんだ。昔からずっと水瀬だから……たぶん、君の勘違いだと思う」
困惑混じりに優しく笑う湊兄さん。
そう――湊兄さんは自分が水瀬家の長男であり、私の本当の兄だと信じて疑わずに生きてきた。1歳の頃に事故でご両親を亡くし、水瀬家に引き取られたという真実は、お姉ちゃんと私、そして陽太たちごく一部の人間だけが胸に秘めてきた「絶対に護るべき秘密」なのだ。
(どうしよう……っ!? 兄さんに過去のことがバレちゃったら……!)
私の心臓がドクンと大きく跳ね上がり、隣に立つ陽太と咄嗟に視線を交わした。陽太の顔もサッと青ざめ、息を殺している。
「ううん……でも、写真の裏には確かに『湊くん』って書いてあったし、お顔も面影もそっくりなのに……」
葵さんは不思議そうに首をかしげ、湊兄さんの顔をじっと見つめた。
「苗字は違うけど……なんだか不思議なんだ。葵さんと話していると、何か胸の奥に引っかかるものがあるというか……」
湊兄さんはどこか遠い目をして自分の胸に手を当てると、思い直したように葵さんへ向き直った。
「あのさ、さっき小さい頃の写真があるって言っていたよな? 一度それを見せてもらうことはできるか?」
「え……? うん、もちろんだよ! 家にアルバムにあるから、今度学校へ持っていくね」
「ありがとう。なんだか無性に見たくて……よろしく頼むよ」
葵さんの笑顔と、真実に近づこうと自ら手を伸ばす湊兄さん。
二人のやり取りを横で見ていた私と陽太は、冷や汗が背中を伝うのを感じていた。
「私のおじいちゃんたちの家、昔のままなんだよ。神崎さんのお家も、うちの祖父母とお隣のおじいちゃんたちが今も大切に手入れして管理してくれてるの」
葵さんの口からごく自然に語られる、神崎家の存在。
湊兄さんの本当の生家が、自分たちのすぐ身近に存在していたこと。そして葵さんが持って来る写真によって、隠し続けてきた湊兄さんの出生の秘密が、いよいよ明かされてしまうかもしれない。
(どうしよう……! すぐにお姉ちゃんに話して、相談しなきゃ……!)
湊兄さんを実の弟として愛し、この秘密を護り続けてきた雫お姉ちゃん。写真が湊兄さんの手に渡ってしまう前にこの思いがけない事態を真っ先に知らせなければと、私は手袋の中で指を強く握りしめた。
12月の冷たい夜風が吹き抜ける中、湊兄さんに真実が知られないよう祈りながら、私は激しい胸の動揺を必死に押し殺して家路を急ぐのだった。




