ひたむきな眼差しと秋の休日
大会の激闘が幕を閉じ、新体制へと動き出した最初の週末――日曜日。
この日は久しぶりの部活動オフだった。
とはいえ、羽を伸ばして遊んでばかりもいられない。大会期間中の遠征や特別メニューのせいで、授業や課題で少しばかり遅れをとってしまった科目の勉強を取り戻す必要があった。
「よしっ、気合入れて頑張らないと!」
私――水瀬みゆは、リュックに筆記用具と教科書を詰め込み、家を出た。
頼れる救世主は、同じ2年Bクラスの凛ちゃん。クラスでも成績優秀な凛ちゃんが「良かったらノート貸すよ! 一緒に勉強しよ?」と快く佐々木宅へ招待してくれたのだ。
爽やかな秋晴れの下、指定された住宅街の道を歩いていく。
凛ちゃんの家へ向かう途中の公道沿いには、地域の人たちが利用する小さな市民テニスコートがある。その横を通りかかったとき――
パコンッ……ドスッ!
「ああっ……また吹き飛んじゃった……!」
「お姉ちゃん、大丈夫!? 腕、痺れてない?」
聞き覚えのある声と、少し歪な打球音が耳に届いた。
吸い寄せられるようにフェンス越しにコートを覗き込むと、そこには見知った顔が二つあった。
星和学院テニス部の後輩で1年生の佐々木ひかりちゃんと、その弟のひびきくだ。二人は凛ちゃんの従妹弟にあたる。
「大丈夫、ありがとうひびき。もう一球、重いストロークお願いできる?」
「うん、分かった! いくよ!」
ひびきくんが打つ力強いストロークに対し、ひかりちゃんが完璧な足さばきでバウンド地点へ入る。
約束の時間まではまだ30分ほど余裕があったため、私は静かにフェンス際へと立ち寄り、二人の練習を見学させて貰うことにした。
ひかりちゃんのフォームを観察して、私は思わず目を見張った。
(……すごい。ひかりちゃん、波紋の基本が完全に身についてる……!)
ひびきくんが放った球威のあるボールに対し、ひかりちゃんは柔らかくラケット面を合わせる。相手の勢いと激しい回転を一切殺し、まるで水面に浮く葉のように無効化してみせた。相手の攻撃をゼロに戻す「吸収と殺傷能力の無効化」は、すでにほぼ完成の域に達している。
だが――
「ここから……威力を上乗せして返す……っ!」
ひかりちゃんがボールに対し、回転を増幅させて打ち返そうとした瞬間。タイミングが僅かにずれ、インパクトのエネルギーが喧嘩してボールは大きくアウトしてフェンスを叩いた。
「うーん……やっぱりダメかぁ。相手の威力を消すところまではうまくいくのに、そこから増幅させて返そうとすると、どうしても面がブレちゃう……」
悔しそうに唸るひかりちゃんが、ふと公道側のフェンスへ視線を向けた。目が合うと、彼女の表情が一瞬で驚きと喜びに変わる。
「あ……! みゆ先輩!?」
「あはは、ばれちゃった。二人とも、すごく集中してたから声かけづらくてさ」
私がコートの入り口から中へ入っていくと、ひびきくんも目を輝かせて駆け寄ってきた。
「みゆさん、こんにちは! 有明の大会、テレビで応援してました! すごく格好よかったです!」
「ありがとう、ひびきくん! 今の練習見させてもらったけど、ひかりちゃん、相手の攻撃をゼロにする波紋はもう完璧だね。増幅のコツも、あともう少しって感じだよ」
私が感じたままを伝えると、ひかりちゃんは少し照れくさそうに、けれど真剣な眼差しで答えてくれた。
「先輩たちの試合を見てたら、じっとしていられなくて……。教えてもらった『波紋』を、もっと自分のものにしたかったんです。だからひびきに付き合ってもらって練習してました」
どこまでも真面目でひたむきな後輩の姿に胸が熱くなる。
けれど、ふと腕の時計に目をやると、約束の時間が迫っていた。
「あ、もうこんな時間! 実はね、今日これから凛ちゃんのお家に行くんだ。大会で授業のノートが取れてなくて、勉強教えてもらいに行くところでさ」
「え……凛姉の家ですか? あ、そういえばみゆ先輩たちって同じクラス……」
そう呟いたひかりちゃんの動きが、ピタッと止まった。
何か恐ろしいことに気づいたように、その顔からスーッと色が引いていく。
「……あ……大会のせいで……授業……ノート……小テスト……っ!」
「ひ、ひかりちゃん……? 大丈夫……?」
頭を抱えて蒼白になるひかりちゃん。どうやらテニスの練習に夢中になりすぎて、自分の学業の遅れを完全に忘れていたらしい。
「練習に打ち込むのはすごく良いことだけどね、ひかりちゃん。星和の部則、覚えてる……? 定期テストや小テストで成績が落ちると、どれだけテニスが上手くても大会の出場停止とか、レギュラーから外されちゃう可能性があるんだよ……?」
「――っ!? レ、レギュラー外される……!?」
私が優しく、けれど現実を思い起こさせるように告げると、ひかりちゃんは雷に打たれたようなショックを受けて固まってしまった。新体制になってこれからという時に、勉強でつまずいてコートに立てなくなったら大変だ。
「ふふ、じゃあ私は遅れないように凛ちゃん家に行ってくるね! ひかりちゃんも、練習はほどほどにして勉強も頑張るんだよ!」
「は、はい……! ありがとうございます、みゆ先輩……っ!」
私は二人に手を振ると、コートを後にして佐々木宅へと向かって歩き出した。
すたすたと道を急ぐ私の背後から、遠ざかるコートの会話が風に乗って聞こえてくる。
『お、お姉ちゃん大丈夫……!? すごい顔青いよ……!?』
『どうしようひびき……! 私、ここ最近テニスのことしか考えてなかった……! 追試になったら新チームの練習出られなくなっちゃうよぉ……っ!』
『しっかりしてよお姉ちゃん! 今から家帰って教科書開こう! ね!?』
心配そうに叫ぶひびきくんの声と、今にも泣き出しそうなひかりちゃんの情けない悲鳴。
(ふふ……後で凛ちゃんに頼んで、1年生の範囲のノートもコピーしてあげようかな)
クスッと笑いをこらえながら、私は秋晴れの道を軽やかな足取りで進んでいくのだった。




