朝の光と校門の前の戸惑い
全国中学テニス選手権が幕を閉じ、土日を挟んだ翌週の月曜日の朝。
有明での激闘の余熱を残したまま、季節は確実に冬へと向かっていた。冷たく澄んだ秋空の下、星和学院の校舎が朝日を浴びて白く輝いている。
大会での結果は――
男子テニス部:全国ベスト4
女子テニス部:全国準優勝
全国の強豪がひしめく中で星和の名を刻み付けたこの成績は、学院にとって快挙以外の何物でもなかった。
「ふぁ……朝練がないと、なんだか調子狂うね、兄さん」
制服のポケットに手を突っ込み、隣を歩く湊兄さんに話しかける。腕の怪我の手当ても順調で、主治医からも「順調な回復経過だ」とお墨付きをもらったばかりだ。
「……別にダラける必要はないだろ。朝の自主トレくらい、いくらでもメニューはある」
不愛想に言いながらも、私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる湊兄さん。
少し後ろからは、陽太と蓮さんが何やら熱心にテニスの戦術論を交わしながら歩いてくるのが聞こえる。
「あ、見てみゆ! 正門のところ!」
陽太が声を張り上げた。
見上げると、星和学院の立派な正門の上部には、誇らしげに掲げられた大きな垂れ幕が朝風に揺れていた。
『祝・全国中学校テニス選手権大会 女子準優勝・男子ベスト4!』
「うわぁ……本当に垂れ幕が出てる……」
「へへ、なんか照れるな。来年は『優勝』の二文字をドカンと掲げさせてやるけどな!」
胸を張る陽太の頼もしい横顔に、私も思わず笑みがこぼれる。
――だが、その賑やかな正門から少し離れた植え込みの陰で、ポツンと足を止めている人物の姿が目に入った。
「……あれ? 美咲……?」
星和の制服を着た美咲だった。
いつもなら「みゆ、おはよう!」と真っ先に駆け寄ってくる親友の彼女が、なぜか校門の手前で立ち止まり、垂れ幕と正門を複雑そうな表情で見つめている。
「美咲、どうしたの? こんなところで立ち止まって……」
私が駆け寄って声をかけると、美咲はハッとしたように肩を跳ねさせ、焦ったように振り返った。
「あ……みゆ! 湊先輩に、陽太も……お、おはよう!」
「おはよう、美咲ちゃん。顔色が冴えないな。寒さで体調でも崩したか?」
後ろから追いついてきた蓮さんが静かに問いかける。
美咲は手にした通学バッグのストラップをぎゅっと強く握りしめ、苦笑いを浮かべながら垂れ幕を見上げた。
「ううん、体調は全然大丈夫! たださ……あの垂れ幕を見てたら、ちょっと足が重くなっちゃって」
「垂れ幕……? 祝・準優勝のやつ?」
私が首をかしげると、美咲は溜息を混じえながら本音を吐き出した。
「だってさ、あんなに大きく書かれたら、今日から絶対全校生徒に注目されるじゃん? 登校するだけでもなんか緊張するっていうか……。それにさ……」
美咲の視線が、垂れ幕の『準優勝』という文字に落ちる。
「あの決勝からまだ数日しか経ってないでしょ? 正直……あと一歩で優勝できたかもっていう悔しさの余波が、まだ全然抜けてなくてさ。校門くぐるのに、ちょっと勇気が必要だったんだよね」
気さくに語られた親友の素直な言葉。
快挙と称賛の裏側で、共に戦った仲間だからこそ抱える「注目の重圧」と「あと一歩届かなかった悔しさ」。美咲の言葉は、私の胸の奥に眠っていた熱い想いをも、静かに揺り動かしていた。
「……もう、美咲ったら! 案外センチメンタルなんだから」
私はくすっと笑うと、美咲の手をぎゅっと力強く掴んだ。急な感覚に美咲が「えっ、みゆ!?」と目を丸くする。
「一人で足踏みしてても始まらないでしょ? 注目されたって、悔しさの余波が残ってたっていいじゃない。私たちが本気で戦ってきた証なんだからさ。……ほら、一緒に行こ!」
「あ……うん! ありがとう、みゆ!」
引っ張られるように歩き出した美咲の顔に、いつもの明るい笑顔が戻ってくる。その様子を後ろから見ていた陽太が、「おーい、置いてくなよー!」と笑いながら追いかけてきた。
そのまま正門をくぐり、賑やかな昇降口へと向かう。
「じゃあな、みゆ、陽太。浮かれるなよ」
「俺たちは高等部校舎へ向かう。何かあったら連絡してくれ」
靴を履き替えたところで、湊兄さんと蓮さんが足を止めた。二人は星和学院高等部の校舎へと向かって歩き出していく。その背中は相変わらず頼もしくて、見送るだけでどこか誇らしい気持ちになる。
「うっしゃ、俺たちも行くか! じゃあなみゆ、美咲! また昼休みにな!」
隣の2年Aクラスの教室前で、陽太が手を振りながら自分の教室へ飛び込んでいった。
私と美咲は、その隣――2年Bクラスの引き戸に手をかける。
「ふぅ……よし、覚悟を決めますか」
「大げさだなあ、美咲は」
ガラガラ、と扉を開けて教室へ一歩足を踏み入れた瞬間だった。
「あ、水瀬さん! 松本さん! おはよう!」
いち早く気づいて声をかけてくれたのは、男子部のしっかり者、佐藤健二くんだった。佐藤くんは自分の席から立ち上がると、爽やかな笑顔で歩み寄ってくる。
「二人とも、全国大会本当にお疲れ様! 女子準優勝……本当にすごい結果だな!」
「ありがとう、佐藤くん! 佐藤くんたち男子部も、新チームに向けて色々準備大変でしょ?」
「まあね。でも、陽太やみんなの刺激を受けて、俺ももっと頑張らなきゃって思ってるところだよ」
佐藤くんと気さくにそんな言葉を交わしていた、その時――。
「ちょっとちょっと! みゆちゃん、美咲ちゃん!」
「有明の試合、ニュースで見たよ! 準優勝ってマジ!?」
「全国2位って凄すぎない!?」
教室中のクラスメイトたちが、一斉に私たちの席の周りへと押し寄せてきた。
男子も女子も目を輝かせ、興奮気味に質問の嵐を浴びせてくる。
「西園寺女学院との決勝ってどんな感じだったの!?」
「あのすっごいドライブボレー、みゆちゃんが打ったの!?」
「新聞に名前載ってたよ! サイン書いてよサイン!」
「え、ええーっ!? ちょっと待って、みんな落ち着いて……っ!」
次々と投げかけられるクラスメイトたちの熱狂的な質問。
サインを求める声や試合の裏側を聞きたがる男子たちに囲まれ、私と美咲はすっかりもみくちゃにされていた。
「あはは……みんなありがとう! でもサインなんて無理だから……っ!」
「そうだよー! 試合の細かい話は、また休み時間にゆっくりね!」
手をかざしながら平謝りする美咲と、タジタジになりながら必死に応対する私。
そんな人山を割るようにして、佐藤くんが苦笑しながら助け舟を出してくれた。
「ほらみんな、あんまり二人を囲むと困っちゃうから! 試合の感想なら、昼休みにでも聞こうよ」
「えーっ、健二は男子部だから裏話聞いてんだろー! ずるいぞー!」
クラスの男子が無邪気に茶化し、教室内に大きな笑い声が弾ける。
自分たちが残した「全国準優勝」という結果が、こんなにもみんなを誇らしい気持ちにさせていたなんて。校門の前で感じていた緊張や悔しさの残像が、クラスメイトたちの温かい笑顔に包まれて、少しずつ誇りと前向きな熱へと変わっていくのを感じていた。
その時――。
キーンコーンカーンコーン……
朝のホームルームの開始を告げるチャイムが、タイミングよく校内に響き渡った。
「あ、チャイム鳴った! みんな席戻ろうぜ!」
「みゆちゃん、美咲ちゃん、後で絶対話聞かせてね!」
ぞろぞろと自分の席へと戻っていくクラスメイトたち。
嵐のような歓迎攻めから解放され、私と美咲は同時に「ふぅ……」と大きな息を吐き出した。隣同士の席に着くと、目を見合わせてクスッと笑い合ってしまう。
「……ね、言ったでしょ? 注目されるって」
「ううん、でも……すごく嬉しかったな。みんながあんなに喜んでくれてさ」
「……うん、そうだね」
美咲もすっきりとした表情で頷き、自分の机の上にノートを広げた。
前方の引き戸がガラリと開き、担任の石本先生が教卓へと歩いてくる。
窓から差し込む冷たくも心地よい朝の光が、教室を鮮やかに照らし出していた。




