託された腕章
放課後――。
夕日が赤々とコートを染め上げる時間帯、テニスコートには中等部男女テニス部の全メンバーが集められていた。
全国大会を終えてから数日。
コートの前に整列する部員たちの表情には、どこか引き締まった緊張感が漂っている。その中央に立っていたのは、これまで星和学院テニス部を最前線で引っ張ってきた三年生たちだった。
「――今日をもって、俺たち三年生は中等部テニス部を正式に引退する」
男子部長である佐久間良先輩の声が、静まり返ったコートに響く。
穏やかだが芯のあるその言葉に、陽太や田中くん、佐藤くんをはじめとする男子部員たちが真剣な眼差しを向けた。
「全国ベスト4。胸を張れる成績だが……俺たちが届かなかった『頂点』の景色を、次はお前たちに見てほしい。そして、これからの星和男子部を引っ張っていく新部長を発表する」
佐久間先輩は一呼吸置き、力強い視線をひとりの部員へ向けた。
「新部長は、佐藤健二。……健二、前へ」
「はいっ……!」
指名された佐藤くんが、背筋をピンと伸ばして一歩前へ出た。
チーム全体を冷静に俯瞰でき、誰もが全幅の信頼を寄せる佐藤くん。その選出に、部員たちからは納得と祝福の拍手が湧き起こる。
「健二、チームの舵取りはお前に任せる。お前の冷静さと判断力なら、どんな壁も乗り越えられるはずだ」
「ありがとうございます、佐久間先輩! 星和男子部を、さらに強いチームにしてみせます!」
力強く頷いた健二くんに、佐久間先輩は満足そうに微笑むと、今度はその隣に立つ陽太へと視線を移した。
「そして……チームの絶対的エースは、引き続いて河村陽太、お前だ」
「っ……! はい!」
「お前の勢いとまっすぐな熱は、チームの最大の武器だ。部長の健二を支え、コート上ではその圧倒的なプレイで全員を引っ張っていけ、あまり考えなしで動くのは自制しろよ」
「任せてください! 俺の拳と打球で、絶対に勝利を引き寄せてみせます!それと最後のは言わないでくださいよ、先輩」
軽い笑いが巻き起こる中、陽太が力強く拳を握りしめると、佐藤くんと目を見合わせ、二人でしっかりと頷き合った。勢いの陽太と、冷静な佐藤くん。男子部は最高のかたちで新体制へと動き出した。
そして、その隣――女子部の前には、前部長の佐藤春花先輩が立っていた。
いつも優しく、けれど戦う時は誰よりも凛としていた春花先輩の瞳が、私たち一年生・二年生を愛おしそうに見つめている。
「女子部も、今日で三年生は引退となります。全国準優勝……みんなで勝ち取ったこの盾は、私の宝物です」
春花先輩は胸元で手を組むと、まっすぐに私と美咲のほうを見つめた。
「私たちの夢の続きを託す、新しい女子部の部長を発表します。……新部長は、松本美咲さん」
「……っ! はい!」
美咲が息を呑みながら、一歩前に進み出た。
朝の校門前でプレッシャーに戸惑っていた美咲。けれど今の彼女の瞳には、覚悟を決めた強い光が宿っていた。クラス委員長としてもみんなをまとめてきた美咲なら、絶対に素晴らしい部長になる。
「美咲。持ち前の細やかな気配りと誠実さで、みんなを温かくまとめていってね。あなたなら最高のチームを作れるわ」
「はい……! 春花先輩たちの想いを受け継いで、立派に部長を務め上げます!」
春花先輩から温かい抱擁を受け、美咲の瞳に微かな涙が浮かぶ。
そして、春花先輩は最後に私の前へと歩み寄ってきた。
「そして、星和女子部のエースは……発表するまでもないわね、水瀬みゆさん。引き続きよろしくね」
「……! はい、春花先輩!」
春花先輩は私の両手を優しく包み込むと、静かに、けれど熱い声で語りかけてくれた。
「みゆの『波紋』と、最後まで諦めない強い心は、これからの星和の大きな柱よ。エースとしての重圧、今年は大変だったよね?……二年連続になるけど、今年は部長の美咲を支えてあげてね、逆に重圧に押しつぶされそうなら仲間に頼りなさい。今年のあなたは周りに頼らない要素が目立っていたわ。次の時代を楽しみにしているわね」
「はいっ! エースとして、今年の反省を生かしてチームを勝利に導きます!」
「――みゆ。最後に一つ、私からお願いがあるの」
新体制の発表が終わり、静かな余韻がコートを包む中、春花先輩がまっすぐに私を見つめて口を開いた。
「え……? お願い、ですか?」
首をかしげる私に、春花先輩は爽やかな、けれどどこか挑戦的な笑みを浮かべた。
「私ね、星和の高等部に進学して、これからもテニスを続けることに決めたの」
「本当ですか……! 春花先輩と、また同じ星和でテニスができるなんて……っ!」
嬉しさで胸がいっぱいになる私に、春花先輩はそっと頷き、その瞳に静かな闘志の火を宿らせた。
「ええ。だからこそ……引退する前に、エースのあなたと本気で一本勝負がしたいの。有明の大会、あの九州志士学園との激闘の中で私が掴んだ『波紋』の感覚……それを、今の全開のみゆにぶつけてみたい」
「春花先輩の……波紋……!」
予想外の申し出に、コートにいた部員たちが一斉にざわめいた。
大会期間中、対戦相手の岩本さんの豪球に何度もラケットを弾かれながら、自らの打球に「波紋」の萌芽を見出していた春花先輩。星和女子部を支え続けてきた部長と、絶対的エース。その最後の試合に、全員の視線が二人へ集まる。
「ふむ……これ以上ない引き継ぎの儀になりそうだな」
コート脇で見守っていた坂上先生が、腕を組みながら温かい眼差しで頷いた。
「いいだろう。練習時間外だが、特別に許可する。全員、二人の最後の真剣勝負をしっかり目に焼き付けておけ!」
「「「はいっ!!」」」
部員たちの威勢の良い返事が夕空に響く。
ラケットを手に取り、私はベースラインへと向かった。
ネットの向こう側には、優しく、そして誰よりも頼もしかった春花先輩が、凛とした構えで立っている。
「……行きます、みゆ!」
「はい! よろしくお願いします、春花先輩!」
春花先輩がトスしたボールが、夕日を浴びて黄金色に輝く。
放たれたサーブは、まるで澄んだ水面に広がる波紋のように、美しく、そして重重しい回転を纏って私のコートへと落ちてきた。
伝わってくるのは、春花先輩の誇りと、後輩への愛、そして未来への熱いメッセージ。
私は全身の力を右手に集中させ、有明で掴み取った『能動的な波紋』をラケットに乗せて打ち返した。
カンッ、と心地よい打球音が黄昏のコートに響き渡る。
新チームの始まりを告げるボールは、どこまでも高く、新しく澄み渡る空へと飛んでいった。




