決勝戦S1:限界の先の執念
「ゲーム、星和学院、6-6! タイブレーク!」
審判のコールが響き渡ると同時に、地鳴りのような歓声が会場を揺らした。
『能動的な波紋』による威力増幅の猛攻と、完璧に速度と回転を消し去る静かな「相殺」。そのふたつを極限の緊張感の中で織り交ぜ続け、私は奇跡的にゲームカウントをタイへと連れ戻した。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
(はぁ……っ、はぁ……っ、ハァ……!)
胸が引きちぎれるほど苦しい。視界が明滅し、視線が定まらない。
早い段階で切り札を切り、腕の筋力と全身のスタミナを極限まで絞り出し続けた私の身体は、すでに限界を遠くに通り越していた。左腕は自分の腕ではないように重く、指先は小刻みに震えて止まらない。
しかし、それはコートの向こう側に立つ白河こころさんも同じだった。
「……っ」
チェンジコートの瞬間、こころさんが一瞬だけ見せた苦悶の表情。
スコアボードの下、ソックスの隙間から覗く彼女の右足首に、どす黒く熟したような青紫色のアザがくっきりと浮かび上がっていた。
かつてのケガは完治していたはずだった。しかし、私の不規則な『能動的な波紋』と「相殺」にアジャストするため、極限の踏み込みと急激な切り返しを繰り返した結果、骨に潜んでいた微細なひびの痕に耐えかねるほどの過大な負荷がかかり続けていたのだ。
お互いに満身創痍。肉体の悲鳴を精神力だけでねじ伏せながら、タイブレークのコートへと向かう。
「ポイント、西園寺、3-2!」
「ポイント、星和学院、4-3!」
一球一球が命を削るような壮絶なラリー。観客席の誰もが息を呑み、声を出すことすら忘れてコートのふたりを見つめていた。
そして、ポイントは星和の4-4で迎えた第9ポイント。
こころさんが渾身の力で放った深く重いストロークが、私のバックサイドへと突き刺さる。
(返さなきゃ……! 能動の波紋で……相殺して……!)
私は力を振り絞り、ラケットを引いた。けれど、限界を迎えた左腕の痺れが、インパクトの瞬間に指先を激しく狂わせた。
バツンッ!
「しまっ……!?」
手応えのない打感。回転を殺しきれなかったボールは虚しく高く跳ね上がり、西園寺コートのネット際へポトリと浮かぶ、最悪のチャンスボールとなって上がってしまった。
「チャンスボール! 詰めろ、白河!!」
西園寺のベンチから悲鳴にも似た歓声が上がる。
こころさんは、死角のない瞳でその浮き球を捉えると、すぐさまネット際へと猛ダッシュをかけた。
だが、その決死の踏み込みが、限界を超えていた右足の骨を無慈悲に砕いた。
メキッ、と嫌な衝撃が伝わると同時に、こころさんの膝が大きく砕ける。
「きゃあぁぁッ!?」
激痛に耐えかね、崩れ落ちる身体。コートのハードコートに膝と肩を強打し、倒れ込む。
終わった――誰もがそう確信した、その瞬間だった。
「……っ……まだ間に合う!!」
倒れ込みながら、地を舐めるような体制のまま、こころさんの瞳から執念の光が放たれた。
彼女はコートに倒れ伏した状態から、全身の死力を振り絞って右腕を一閃させた。突き出されたラケットの面が、落ちてくるボールのわずかに下に滑り込む。
ガツンッ!!
気力だけで拾い上げられたボールは、力なく浮き上がり、ネットを超えて星和コートへ滑り落ちていった。
「ポ、ポイント、西園寺女学院! 5-4!」
地を舐めながらボールをねじ込んできたこころさんの凄絶な執念に、会場全体が息を呑んでいた。ゆっくりと立ち上がるこころさんだったが、その右足に走る激痛は、刻一刻と増していた。一歩足を踏み出すごとに刺すような痛みが走り、顔が歪む。
けれど、私もまた、限界の先へと追い詰められていた。
(あ……れ……? 視界が……ぼやけて……)
強い立ち眩みが襲い、ネットの白帯が二重にも三重にも揺れて見える。過酷な『能動的な波紋』の連打により、全身のスタミナは完全に底をついていた。手首のしなりを生み出すための腕の筋肉は完全に感覚を失い、ラケットを握っている感触すら曖昧になっていく。
(だめ……腕に力が入らない……! 波紋が……出せない……!)
回転を見極める目と不協和音を生み出す繊細な感覚が、麻痺した腕と指先から綺麗に消え去っていた。
一方は激しさを増す足の痛みに耐え、一方は感覚を失った腕と霞む視界と戦う。満身創痍のまま迎えたタイブレークの最終盤。
もはや高度な駆け引きもテクニックも存在しなかった。あるのは、ただボールを相手コートへ叩き込むという本能だけ。
「ポイント、星和学院、5-5!」
痛みに耐えるあまり動きの鈍くなったこころさんに対し、私はぼやける視界を必死に絞り、コースを突いた渾身のサーブを放つ。ボールはノータッチエースとなり、追いつく。
「ポイント、西園寺女学院、6-5!」
だが、こころさんも譲らない。右足首を襲う激痛に耐え兼ねて顔を歪ませながらも、最後の気迫を込めた超高速フラットサーブを私の逆サイドへ突き刺す。感覚のない私の腕は追いつかず、サービスエースで西園寺がマッチポイントを握った。
「ポイント、星和学院、6-6!」
続くポイント、私も泥臭くライン際へサーブを押し込み、相手のリターンミスを誘って追いつく。サービスエースとエースの奪い合い。互いの執念だけで紡がれる、あまりにも過酷な点取り合戦。
「ポイント、西園寺女学院、7-6!」
再び西園寺のマッチポイント。
呼吸は途切れ途切れで、心臓が爆発しそうなほどの激痛が胸を刺す。 披露と目の霞みで前がよく見えない。
私は感覚のない左手でボールを高く掲げ、全身の最後の欠片をラケットに叩きつけるように振り抜いた。
パシィィン!
放たれたファーストサーブは相手のコートに届かずネットに阻まれる。
「フォルト!」
後がなくなる。
(……っ!落ち着いて、深呼吸...。球速はまだ出てる)
続くセカンドサーブ、足の痛みがピークに達し踏み込みが利かないこころさんの「足元」――一番動きづらいコースへと鋭く向かっていく。
(入った……っ!)
決まった、と誰もが思ったその瞬間だった。
こころさんは、鋭い激痛が走る右足から左足へ負荷が変わるように立ち位置を調整。
両手でラケットを握り直す。
「このコース、待ってましたっ!!」
こころさんは軸足を痛みのない左足に変更し、足元へ迫る打球に対して完璧なタイミングでラケットを一閃させた。
ドバチィィンッ!!
無理な体制から放たれたとは信じがたい、渾身のカウンターストレート。
眩い軌道を描いたボールが、視界がぼやける私の横をあっけなく通り抜け、サイドライン際へ突き刺さる。
「ゲームアンドマッチ! 西園寺女学院、7-6(タイブレーク8-6)!」
「セットカウント3-2! 勝者、西園寺女学院!」
鳴り響く歓声と万雷の拍手。その熱狂の中心で、私は感覚のなくなった腕と霞む視界の中、コートへ膝をついていた。
視界の端で、こころさんもまた激痛の走る右足を抱えるようにしてコートに横たわっている。
「……こころ、さん……っ」
私は麻痺した身体をなんとか支え、ネット際へと向かった。こころさんもまた、右足の激痛に耐えながら肘で身体を起こし、中央へと這い寄ってくる。
コート中央、ネットを挟んで二人は互いの顔を見合わせた。
「みゆさん……大丈夫ですか……?」
「こころさんこそ……その足……っ」
お互いにボロボロで、息も絶え絶えになりながら、真っ先に口から出たのは相手を思いやる言葉だった。
その時、両校のベンチから選手たちがコート中央へと駆け寄ってきた。
「みゆ!!」
「こころ先輩!!」
春花先輩や美咲、芽衣先輩たちが私を両脇から抱きかかえ、西園寺の黒江さんや七星さんたちも泣きながらこころさんを支え上げる。
仲間たちに支えられながら立ち上がったこころさんは、目元を真っ赤にし、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。けれど、その表情は晴れやかで、満面のスミレのような笑みを浮かべていた。
「みゆさん、ありがとうございました。……去年の借りは、返しましたよ」
満足そうに誇らしく微笑むこころさん。私は彼女の痛々しい右足首へ視線を向けた。
「こころさん、その足……」
「あはは、また入院かな? でも悔いはありません。むしろ誇りです」
こころさんは痛みをこらえるように少し照れくさそうに笑うと、真っ直ぐに私の目を見つめ返した。
激痛に耐えながらも誇らしげなその言葉。実際には負荷がかかり過ぎたことで一時的に発生している症状で、2〜3日安静にしていれば治るものだったのだが――今の彼女の表情には、すべてを出し切った者だけが持つ最高の輝きが宿っていた。
「……はい! 私も、悔いはありません! 最高の試合でした!ただ、やっぱり優勝したかったです」
私は感覚の戻りきらない手でこころさんの手を力強く握り返した。互いの健闘を称え合う拍手が、再び会場全体を包み込む。
表彰式が終わり、西園寺女学院の連覇と、星和学院の準優勝が告げられた。
控室への通路で、西園寺のメンバー全員が 優勝トロフィーと賞状を抱え、揃って弾けるような笑顔を見せていた。
「みんな、優勝おめでとう!!」
足を痛めながらも誇らしげなこころさんを中心に、七星さん、黒江さん、そしてサポートに回っていたメンバー全員が肩を組み合って抱き合い、嬉し涙と歓声を爆発させる。
「白河先輩、最高の主将です!」
「ふふ、ありがとう。みんなが繋いでくれたからだよ」
最高のライバルたちが見せる、心からの快哉と優勝の喜び。
私たちはその眩しい光景を、涙と、そしてどこか晴れやかな温かい笑顔で見つめていた。全力を尽くし切った全国大会。私たちの約束の舞台は、大きな感動とともに静かに幕を閉じたのだった。




