決勝戦S3:気高きキャプテンの証明
「女子シングルス3、試合を開始します!」
1勝1敗のタイとなり、会場の熱気がさらに一段と跳ね上がる中、満を持して星和学院のキャプテン、佐藤春花がコートへと歩み出た。
右腕には昨日の激闘の疲労を残しながらも、その足取りに迷いは一切ない。ベンチから見守る私たち全員の視線が、その気高き背中に注がれていた。
対する西園寺女学院のS3は、今年度、絶対王者の門を叩いた期待の大型新人――七星ひまりさん。
1年生でありながら、分厚い層を誇る西園寺のレギュラーの座を実力でもぎ取った、全国屈指の超新星だ。小柄な体躯からは想像もつかないほどの強烈な闘志を瞳に宿し、貪欲に勝利を狙う鋭い目付きでラケットを構えている。
「佐藤先輩、よろしくお願いいたします! 3年生の牙城、崩させていただきます!」
ネット際での挨拶で、七星さんはハキハキとした声で言い放った。春花先輩は、そんな頼もしい後輩を迎え撃つように、大人の余裕を感じさせる優しい微笑みを返す。
「ええ、よろしくね、七星さん。西園寺の期待の新人がどれほどのものか、見せてもらうわ」
星和のサービスゲームで試合が始まった。
第1ゲーム。春花先輩の放ったファーストサーブは、まるで糸を引くような正確さでセンターライン際へと突き刺さる。
バシィィン!
「ポイント、星和学院、15-0!」
七星さんは鋭く反応してラケットを合わせたが、球威に押されて打球がネットにかかる。
(流石は星和の部長さん……! でも、ここからが私のテニスです!)
七星さんはすぐさま切り替え、持ち前の爆発的な瞬発力でコートを縦横無尽に駆け巡り、力強いフォアハンドドライブを次々と春花先輩のディープなコースへと打ち込んできた。
しかし、春花先輩は動じなかった。
昨日痛めた右腕の調子を感じさせないほどスムーズなテイクバックから、七星さんの強打をいなすように、極めて精度の高いスライスでテンポを狂わせていく。滑るようなスライスが低い打点を強いるため、七星さんの力任せの強打は次第にオーバーフラットのミスへと変わっていった。
「ゲーム、星和学院、1-0!」
続く第2ゲーム、七星さんのサービスゲームになっても、春花先輩の老獪なゲームメイクが冴え渡る。
七星さんが勢いに乗って放つ高速サーブを、完璧な面作りでコントロールし、サイドラインぎりぎりへとリターン。揺さぶられた七星さんが必死に食らいついて返した甘い浮き球を、春花先輩は流れるような動作でネット際へ進み、鮮やかなアングルボレーで仕留めてみせた。
「ゲーム、星和学院、2-0!」
「すごい……春花先輩、完璧に相手の勢いをいなしてる」
ベンチの横で、私は歓声を上げた。隣の美咲も「やっぱり春花先輩のテニスはブレないね。相手の1年生、完全に術中にハマってる」と太鼓判を押す。
第3ゲーム。七星さんも西園寺の秘密兵器と呼ばれるだけあり、獰猛な気迫でドロップショットや強烈なバックハンドのストレートを織り交ぜ、激しく抵抗してきた。息が上がり、汗を散らしながら、先輩の牙城を崩そうと必死に牙を剥く。
だが、春花先輩の壁はどこまでも高かった。
「七星さん、素晴らしいショットよ。でも、これくらいでは星和のキャプテンは務まらないわ」
春花先輩は七星さんの魂の籠もった強打を正面から完璧に捉え、さらに厳しい逆クロスへと鋭く弾き返した。激しいラリーの末、最後は七星さんの打球が大きくサイドラインを割る。
「ゲーム、星和学院、3-0!」
チェンジコートの間、星和のベンチは明るい熱気に包まれていた。
「春花、完璧な試合運びね。このまま一気に押し切っちゃいなさい!」
芽衣がタオルを渡しながら声をかけると、春花先輩は小さく息を吐きながら微笑んだ。だが、その視線はコートの向こう側、西園寺のベンチへと厳しく向けられていた。
そこでは、こころさんが七星さんの肩を優しく叩き、何かを諭すように語りかけていた。こころさんの言葉に、七星さんは深く頷き、再びコートへ向かう。その瞳からは、先ほどまでの1年生らしい焦りが綺麗に消え去り、底の知れない冷徹な集中力が宿っていた。
「サービス、西園寺女学院、七星!」
第4ゲーム。七星さんの佇まいは、これまでと明らかに違っていた。
鋭く鋭角に放たれたファーストサーブ。春花先輩が素早く回り込んで鋭いリターンを返す。しかし、次の瞬間には、七星さんはすでにその打球の正面に回り込んでいた。
バチィィン!
「ポイント、西園寺、15-0!」
(……ッ、なんて反応速度!?)
春花先輩がわずかに目を見張る。
七星さんの本領は、パワーではなく、その驚異的な反射神経と精密なテクニックにあった。先ほどまでは春花先輩のスライスを無理に強打しようとして自滅していたが、完全にテンポをアジャストしてきたのだ。
春花先輩がどれだけ低く滑るスライスを打ち込んでも、七星さんは小柄な体躯を極限まで低く沈め、吸い付くようなしなやかなラケットワークで、より鋭角なアングルへとコントロールして返してくる。
バチュウウッ!!
「ポイント、西園寺、30-0!」
予測のつかない絶妙なコースへ目にも留まらぬ速さで決まる打球。
「嘘、嘘でしょ……!? あの低空スライスを、あんな体勢から完璧にアングルへコントロールし返すなんて……!」
莉奈が驚愕の声を漏らす。奈緒も厳しい表情でそのコートを見つめた。「ただのフットワークじゃないわ。常人離れした反射神経と、状況に瞬時にアジャストする天性のタッチセンス……これが西園寺の超新星の本性ってわけね」
ペースを掴んだ七星さんの変幻自在のテニスは留まることを知らない。春花先輩の老獪な配球を、圧倒的な予測スピードとテクニックでことごとく封じ込めていく。
「ゲーム、西園寺、1-3!」
続く第5ゲーム、春花先輩のサービスゲーム。
春花先輩はコースを厳しく突いて七星さんを前後に揺さぶり、得意のドロップショットを仕掛けた。だが、七星さんは野生動物のような反射でネット際へと突進すると、打球が弾むと同時にラケットを滑り込ませ、手首のスナップだけで春花先輩の頭上を抜く完璧なトップスピンロブへと変えてみせた。
「ポイント、西園寺、0-40!」
昨日から酷使している春花先輩の右腕が、じわりと悲鳴を上げ始める。サーブのコースがわずかに甘くなり、そこを七星さんの容赦ないカウンターショットが襲った。
「ゲーム、西園寺、2-3!」
あっという間に2ゲームを連取され、詰め寄られるスコア。
コート中央でラケットを構える七星さんは、ふぅと短く息を吐くと、不敵な、しかし王者の風格を纏った笑みを春花先輩へと向けた。
「佐藤先輩、ここからが本当の決勝戦です!」
完全に目を覚ました西園寺の超新星。星和の絶対的支柱である春花先輩の前に、かつてない強大な壁が立ちはだかろうとしていた。
「ゲーム、西園寺、5-4!」
七星さんの神速の反応と精密なアングルショットの前に、試合は完全に西園寺のペースに傾いていた。続く第10ゲーム、春花先輩のサービスゲームでも、あと2ポイントでマッチポイントを握られる極限のピンチを迎える。
右腕の痛みはとうに限界を超えているはずだった。けれど、春花先輩の瞳から光は消えていなかった。
(驚異的な反射神経とフットワーク。けれど……あれだけの運動量を維持し続けられる人間はいないわ)
春花先輩は、七星さんの肩の激しい上下を見逃さなかった。小柄な身体で縦横無尽に走り、低く沈み込んで打ち続けるテニスは、確実に彼女のスタミナを削り取っている。
「ここからが、私のテニスよ」
覚悟を決めたキャプテンの反撃が始まった。春花先輩はエースを狙うのを完全にやめ、泥臭くラリーを長引かせる持久戦へと舵を切った。あえてコートの深い位置へ、軌道の高いスピンボールを送り続ける。七星さんに「走らされる」のではなく、七星さんを「動かし続ける」戦術。
「ゲーム、星和学院、5-5!」
「ゲーム、西園寺、6-5!」
「ゲーム、星和学院、6-6! タイブレーク!」
一歩も退かない壮絶なラリーの応酬。春花先輩の執念が、試合をタイブレークへと引きずり込んだ。
この時点で、試合開始からすでに1時間が経過していた。
「ポイント、星和学院、4-3!」
タイブレークのコート上、ついにその瞬間が訪れる。
春花先輩が放った浅いスライスに対し、七星さんが前方に突進した。いつもなら余裕で追いついていたはずのその足が、突如として激しくもつれる。
「あ……っ!」
完全にスタミナが切れた七星さんの身体は、一歩の踏み込みのキレを完全に失っていた。ラケットに当てただけの打球が、力なくネットに阻まれる。
「ポイント、星和学院、5-4!」
観客席の誰もが息を呑んだ。どれだけ才能に溢れた超新星であっても、星和のキャプテンが仕掛けた底なしの持久戦、その精神的・肉体的プレッシャーの前には、1年生の体力は限界を迎えていたのだ。
「これで……終わりよ、七星さん!」
ポイント6-5、マッチポイント。
春花先輩は全身の力を振り絞り、渾身のファーストサーブをワイドへと放った。七星さんは決死の反射神経で飛びつくが、疲弊した腕から放たれたリターンは力なく浮き上がる。
そのボールを、春花先輩はネット際で真っ直ぐに待ち受けていた。
昨日から何度も、何度も痛みに耐えて振り抜いてきた右腕。そのすべての想いを乗せて、鋭いボレーが西園寺のコートへと突き刺さった。
「ゲームアンドマッチ! 星和学院、7-6(タイブレーク7-5)!」
「勝者、星和学院、佐藤!」
その瞬間、会場全体が地鳴りりのような歓声に包まれた。
「春花先輩ーーーっ!!」
私と美咲はコートサイドへと飛び出していた。莉奈やひかり、芽衣や綾も涙を流しながら大歓声を上げている。
コート中央で、春花先輩は静かにラケットを握る左手を突き上げ、それから満面の笑みで私たちを振り返った。
ネット際へ歩み寄ると、七星さんは悔しさに唇を噛み締めながらも、深々と頭を下げた。
「……完敗です、佐藤先輩。技術でも、精神力でも、私の完敗でした」
「素晴らしいテニスだったわ、七星さん。あなたの才能には本当に驚かされた。技術では完全に負けてたわ。これからもっと、恐ろしい選手になるわね」
春花先輩は優しくその手を握り、健闘を称え合った。
ベンチに戻ってきた春花先輩を、私たちは全員で抱きしめた。
「最高の試合でした、春花先輩!」
「ええ、ありがとう。……さあ、これで2勝1敗。王手よ」
春花先輩から手渡された、勝利のバトン。
次はいよいよシングルス2――美咲の出番だ。星和学院の全国制覇まで、あと、たったの1勝。




