決勝戦D2:仕組まれた奇襲
### 第25章:約束の舞台
「女子ダブルス2、試合を開始します!」
審判のコールが有明のセンターコートに響き渡り、決勝戦の火蓋が切って落とされた。
星和学院のトップバッターとしてコートに立ったのは、田中奈緒と星野莉奈の2年生コンビ。ベンチの坂上監督や春花先輩たちが見守る中、二人はラケットを軽く合わせ、それぞれのポジションへと散っていった。
ネットの向こう側に構えるのは、西園寺女学院のD2――宍戸 美佳さんと、立花 志乃さんのペア。1月の西園寺合宿の際、何度も高い壁となって立ちはだかった先輩たちだ。
「よろしくお願いしまーす!」
莉奈がいつものように元気よく声をかけると、前衛に入った宍戸先輩がふっと上品に笑った。
「ええ、よろしくね、星野さん、田中さん。あの合宿からどれだけ成長したのか、楽しみにしているわ」
星和のサービスゲームから始まった第1ゲーム。莉奈が躍動感のあるフォームから鋭いサーブを放つが、立花先輩はスムーズな足さばきで回り込み、無駄のないフラットリターンをベースライン際へと綺麗に沈めてきた。
西園寺ペアの攻撃は容赦がなく、あっさりと第1ゲームを奪われる。
「ゲーム、西園寺、1-0!」
しかし、落としたこの1ゲームの間、前衛の奈緒はラケットを構えたまま一歩も動かず、ひたすら西園寺ペアの挙動を凝視していた。視線の配り方、ステップの踏み込み、インパクトの瞬間の手首の角度――すべてを脳内のデータバンクへ蓄積し、分析していく。
コートチェンジのすれ違い際、宍戸先輩が隣の立花先輩に小さく耳打ちした。
「……志乃、気をつけて。星和の田中さん、全く動かずにこっちの挙動を完全に『視て』いるわ。分析にかかっている」
「分かっています。なら、データの上をいきましょう」
第2ゲーム。西園寺ペアはすぐに戦術を切り替えてきた。
立花先輩の正確なサーブから、今度は打って変わって深く滑るスライスや、軌道の高いロブ、さらには不規則なトップスピンドライブなど、複数パターンの戦術を流動的に駆使してきたのだ。
(……くっ、戦術の切り替えが早すぎる……! 1つのパターンを掴みかけた瞬間に、別の陣形に上書きされる……。これでは分析が追いつかない……!)
目まぐるしく変わる西園寺の猛攻に、奈緒の脳内処理は限界を迎えつつあった。
「ゲーム、西園寺、2-0!」
2ゲーム目を落とした瞬間、奈緒は莉奈を自陣の後方へと呼び寄せた。
「莉奈、お願いがあるわ。次のゲーム、あなたのフットワークでできる限りラリーを長く引き延ばして。相手に多くの手数を出させたい。……1ゲーム、完全に捨て石にするわよ」
「了解! 奈緒のためなら、何球でも泥臭く拾いまくってあげる!」
第3ゲーム。言葉通り、莉奈はコートを縦横無尽に駆け巡った。西園寺ペアが放つ変幻自在のショットに対し、自慢の感の良さと反射神経で必死に食らいつき、愚直にボールを相手コートへと返し続ける。
当然、西園寺ペアはその莉奈を仕留めるために、さらに多彩な応用戦術を繰り出してきた。
「ゲーム、西園寺、3-0!」
結果として3ゲーム目も落とし、スコアは0-3。重苦しい立ち上がりに観客席はざわつくが、ベンチへ戻る奈緒の表情に、焦りは一切なかった。
莉奈が必死に繋いでくれた時間のおかげで、相手が繰り出す複数パターンの戦術、その「切り替えの法則性」が、奈緒の頭の中で完全に一本の線へと繋がっていた。
「田中、星野、手応えはどうだ?」
坂上監督が二人にタオルを渡しながら、静かに問いかける。
奈緒は汗を拭い、不敵な笑みを浮かべて監督を見つめた。
「最高の手応えです、先生。相手の『仕組まれた奇襲』、その全パターンの解析ができました」
隣でスポーツドリンクを飲む莉奈も、「いつでもいけるよ!」と頼もしく笑う。
「よし、第4ゲームから反撃に出るわよ。莉奈、私の指示通りに動いて」
「オッケー!」
西園寺リードという最悪の展開から、星和の2年生コンビによる、牙を剥く反撃の準備が静かに整いつつあった。
「サービス、星和学院、星野!」
審判のコールとともに始まった第4ゲーム。奈緒の頭脳が弾き出したデータをもとに、星和の反撃がスタートした。
立花先輩の回り込みリターンに対し、奈緒はあらかじめ一歩左へ動いてコースを塞ぐ。
「そこよ、莉奈!」
「任せてっ!」
奈緒の指示通りに動く莉奈が、西園寺ペアの裏をかくストレートへのパッシングショットを叩き込む。解析された戦術の裏を突かれ、宍戸先輩のラケットが初めて空を切った。
「ポイント、星和学院、30-40!」
あと一歩でブレイクバック。しかし、流石は王者の風格を誇る西園寺ペアだった。追い詰められた局面で、立花先輩がミリ単位のコントロールでライン際にドロップショットを落としてくる。莉奈が死に物狂いで滑り込むが、わずかに届かない。
「ゲーム、西園寺、4-0!」
ゲームは落とした。だが、コートから戻る奈緒と莉奈の表情に暗さはなかった。今のゲームで、完全にタイミングは掴んだ。
第5ゲーム。ここから星和の快進撃が始まった。
「次、宍戸先輩はクロスにポーチへ出ます。莉奈、ストレートへロブを上げて!」
奈緒の冴え渡る戦術眼が、西園寺ペアの動きを面白いように先読みしていく。宍戸先輩が動いた瞬間、莉奈の放った綺麗なロブがその頭上を越え、無人のベースライン際へストンと落ちた。
「ゲーム、星和学院、1-4!」
初めてのゲーム奪取。しかし、星和の勢いはこれだけでは終わらない。
第6ゲーム、第7ゲームと進むにつれ、奈緒の分析に基づいた的確な配球が西園寺ペアを完璧に捉え始める。立花先輩がどんなに変則的なスライスを混ぜようとも、奈緒はその軌道を読み切り、莉奈が抜群のフットワークで回り込んで強力なフォアハンドを叩き込む。
「ゲーム、星和学院、2-4!」
「ゲーム、星和学院、3-4!」
ベンチで見守る坂上監督が深く頷き、観客席の私や美咲も拳を握りしめて声を上げる。
「すごい……! 完全に奈緒たちのペースだ!」
怒涛の3ゲーム連取。焦りの色は、今や西園寺ペアの側にあった。続く第8ゲーム、莉奈の気迫のサービスエースがセンターラインへ突き刺さる。
「ゲーム、星和学院、4-4! タイ!」
0-4からの奇跡的なカムバック。会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こる。
だが、百戦錬磨の西園寺ペアも、そのまま崩れるようなタマではなかった。第9ゲーム、息を吹き返した立花先輩の重いストロークと、宍戸先輩の執念のネットプレーに押し切られ、このゲームは一歩及ばずに落としてしまう。
「ゲーム、西園寺、5-4!」
あと1ゲーム取られればマッチポイントという極限の状況。第10ゲームは奈緒のサービスゲームだった。
「莉奈。ここ、絶対にキープするわよ」
「うん! 最高のボール、待ってるからね!」
奈緒の放ったクレバーなスライスサーブから、激しいラリーが紡がれる。宍戸先輩が意地で突っ込んでくるボレーを、奈緒は冷静に見極めてその足元へ沈めた。体勢を崩した立花先輩の返球が、甘く浮き上がる。
「決めて、莉奈!」
「いっけえぇぇーーっ!!」
莉奈が全身のバネを使って踏み込み、強烈なスマッシュを西園寺のコート中央へと叩き落とした。
「ゲーム、星和学院、5-5!」
一歩も譲らない大激戦。運命のダブルス2は、互いの意地をかけた最終盤へと突入していく。
「ゲーム、星和学院、6-5!」
怒涛のラリーの末に第11ゲームをブレイクし、ついに星和学院が初めてのリードを奪った。
迎えた第12ゲーム、莉奈のサービスゲーム。あと4ポイントで勝負が決まるという極限のプレッシャーの中、西園寺ペアも王者のプライドを懸けて牙を剥いてきた。
「ポイント、西園寺、0-30!」
立花先輩の意地のリターンボレーがベースライン際に突き刺さり、星和は一転してピンチを迎える。しかし、莉奈と奈緒の瞳に恐れはなかった。
「莉奈、焦らなくていいわ。次は宍戸先輩がストレートへのパッシングを狙ってくる。センターを開けて待ちなさい」
「了解っ!」
奈緒の耳打ち通り、放たれた莉奈のサーブに対し、宍戸先輩は強烈なダウン・ザ・ラインを放ってきた。だが、そこにはすでに莉奈が回り込んで待っていた。
バチュウッ! と快音を響かせた逆クロスへの鋭いフォアハンド。
「ポイント、星和学院、30-30!」
予測され、ことごとく裏をかかれ続けた西園寺ペアの動きに、わずかな綻びが生まれる。続くポイント、立花先輩が放った決死のロブの軌道を、奈緒の脳内データが完全に弾き出した。
「莉奈、下がってスマッシュ! 宍戸先輩の逆を突いて!」
「はあああぁッ!!」
莉奈のラケットが完璧なタイミングで一閃し、ボールは宍戸先輩の足元へ鋭く突き刺さった。
「ポイント、星和学院、40-30! マッチポイント!」
会場のボルテージが最高潮に達する。
ラストポイント。莉奈が放った渾身のファーストサーブがワイドへ逃げる。立花先輩が必死に手を伸ばして返した打球は、ネット際で甘く浮き上がった。
そこへ飛び込んできたのは、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた奈緒だった。
「これで……終わりです!」
無駄のないシャープなボレーが、西園寺コートの誰もいないオープンスペースへと鮮やかに叩き落とされた。
ストン、とボールが弾む。
「ゲームアンドマッチ! 星和学院、7-5!」
「やったぁぁぁーーーっ!!」
莉奈がラケットを放り出し、奈緒の身体に思い切り飛びついた。奈緒は一瞬よろめきながらも、嬉しそうに莉奈の背中を叩き、眼鏡を直して深く息を吐き出した。
0-4からの奇跡的な大逆転勝利。星和学院が、絶対王者から貴重な先制点ををもぎ取った瞬間だった。
ネット際へ歩み寄り、両ペアが固く握手を交わす。
息を荒くしながらも、宍戸先輩は清々しい笑みを浮かべて奈緒を見つめた。
「完敗だわ、田中さん。まさか中盤から、私たちの戦術の法則性をすべて読み切るなんてね。あなたのその恐るべき分析能力……まるでコートの上がすべて視えているかのようだったわ」
物静かな立花先輩も、深く頷きながら奈緒の手を握る。
「合宿の時とは完全に別人のよう。データの上を行くつもりだったけれど、さらにその先を行かれてしまった。素晴らしいテニスだったわよ」
「……ありがとうございます。先輩方の多彩な戦術があったからこそ、私も限界を超えて引き上げられました」
奈緒は静かに頭を下げ、確かな手応えとともに、先輩たちの言葉を胸に刻んだ。
ベンチに戻ってきた二人を、私たちは割れんばかりの拍手と大歓声で迎えた。
「奈緒、莉奈、最高の試合をありがとう!」
春花部長が目を潤ませて二人を抱きしめる。
まずは1勝。
最高の形で繋がれたバトンを受け、決勝の熱気はさらに加速していく。




