誇り高き敗者の矜持、そして決意
息を切らしながら蓮さんとともに男子の試合会場に飛び込むと、そこには張り詰めた、どこか重苦しい空気が漂っていた。
すでに団体戦の勝敗は決している。それでも、コートを取り囲む観客たちの熱気は微塵も衰えていなかった。むしろ、ここで繰り広げられている頂上決戦の行方を、誰もが一瞬たりとも見逃すまいと息を呑んで見守っている。
「蓮、みゆ。よく来たな」
人混みの中から、聞き馴染みのある声がした。湊兄さんだ。腕を組み、真剣な眼差しでコートを見据えていた湊さんは、私たちの姿に気づいて静かに手を挙げた。
「湊……状況は?」
蓮さんが隣に並びながら尋ねる。湊兄さんは視線をコートに戻したまま、静かに口を開いた。
「今、第5ゲームに入ったところだ。第4ゲームまででお互いにキープし合って、スコアは2-2。まさに一進一退だ」
私は金網に張り付くようにして、コートの中央に視線を走らせた。
そこに立っていたのは、泥臭く汗を散らしながら、鬼気迫る表情でラケットを構える陽太。そしてネットの向こうには、どこか冷徹なまでの冷静さを湛え、精密機械のように鋭い打球を放ち続ける鳳凰院中等部のエース、天音つかさ。
「はあああぁッ!」
陽太の咆哮とともに放たれた強烈なフォアハンドが、天音くんの足元を鋭く襲う。しかし、天音くんは微動だにせず、極めて小さなテイクバックから、完璧なアングルでサイドラインぎりぎりへとボールをコントロールして返した。
「アウト! ポイント、鳳凰院、30-15!」
わずかにアウト。陽太の顔に、焦りと悔しさが一瞬だけ滲む。
試合の主導権は、数字の上では2-2の互角。けれど、コート内の空気を感じている私には、少しずつ、静かに天音くんが陽太の包囲網を狭めているのが視えていた。
「陽太の調子は悪くない、むしろかなり攻めているんだが……」
湊兄さんが眉をひそめながら呟く。
「天音の守備範囲と、あのコート全域を見渡す戦術眼が、陽太のパワーをじわじわと削っている。陽太が一本決めるために必要なステップ数が、天音より明らかに多い。これはスタミナ勝負になると厳しいかもしれないな」
「なるほど、天音は、陽太の狙いを最初から誘導しているのか」
蓮さんが冷静に分析を付け加えた。
「わざと甘いコースを開けておいて、陽太にそこに打たせ、一歩早くその場所で待ち構える。陽太が必死に打てば打つほど、天音の描く絵の通りにラリーが動いていく」
言葉通り、ゲームが進むにつれてその傾向は顕著になっていった。
陽太がコーナーへ放つ会心のスピンサーブも、天音くんはまるですでにそこにいたかのように、難なくフラットリターンで返してくる。球威に押される陽太。
陽太も意地を見せ、持ち前のフットワークと執念で食らいつき、ドロップショットを拾い上げてロブで逃げる天音くんをスマッシュで叩き落とすが、その一撃一撃にかけるエネルギー消費量は天音くんのそれとは比較にならないほど大きかった。
ゲームはお互いにサービスキープを繰り返し、4-4、そして5-4。
第10ゲーム、陽太のサービスゲーム。
天音くんの無慈悲なまでの配球が、陽太のボディを容赦なく襲う。
「ゲーム、鳳凰院! 5-5!」
審判のコールが響き、ついにスコアは5-5の並び。
ゲームカウントこそタイ。だが、コートからチェンジコートのために歩いてくる陽太の肩は大きく上下し、全身が汗でびっしょりと濡れていた。対する天音くんは、呼吸一つ乱さず、冷ややかな瞳でただタオルに手を伸ばしている。
若干、天音くんが優位のまま試合は終盤の佳境へと突入しようとしていた。
「陽太……!」
金網越しに、私は祈るように陽太の背中を見つめることしかできなかった。
「サービス、星和学院、河村!」
審判のコール。緊迫した空気の中、第11ゲームの火蓋が切って落とされた。
呼吸を整えようと深く息を吐き出す陽太だったが、その足取りには明らかな疲労の影が張り付いていた。放たれたファーストサーブはわずかに短くなり、天音くんの鋭いリターンがライジングで陽太の足元を襲う。
「らぁッ!」
陽太は必死にラケットをねじ込んだが、返球は力なくネットにかかった。
「ポイント、鳳凰院、0-15!」
続くラリーでも、天音くんの精密な配球が冴え渡る。陽太を左右に大きく走らせ、体力を削り取ったところで、オープンスペースへ冷酷に突き刺すボレー。
完全に天音くんのゲームプラン通りにラリーが支配されていた。陽太の息はさらに荒くなり、ミスが重なる。
「ポイント、鳳凰院、0-40!」
トリプル・ブレイクポイント。
このゲームを落とせば、5-6。次の天音くんのサービスゲームを考えれば、それは実質的な敗北を意味していた。圧倒的な実力差と身体の限界を前に、コート上の陽太の瞳から、一瞬、深い疲弊と諦めの色がよぎる。
金網越しに、私はただ静かに陽太を見守っていた。
陽太がうつむきかけたその瞬間、何かに導かれるように、観客席の最前列にいる私と目が合った。
陽太は、私の姿を見つけると、どこか楽しそうにニッと白い歯を見せて不敵に笑ったのだ。
そんな強がりを見せられたら、私も黙っていられない。私は金網を両手で強く掴み、お腹の底から声を張り上げた。
「陽太――!! がんばれっ!!」
静まり返る有明のコートに、私の声が響く。
言葉はシンプル、それでいい。陽太は昔からそうだ。
どんなに辛いことも誰かのために全力で答える。私はどんな結果になろうと、陽太の今季最後の試合をしっかり見届けないといけない。
「……おうよ。みゆの前で、無様なところは見せられねえからな!」
陽太はラケットを強く握り直すと、ベースライン上で深く腰を落とした。その全身から、消えかけていた熱い気迫が再びぶわっと立ち上る。
「はあああぁぁッ!!」
放たれたセカンドサーブ。それは信じられないほどのスピンを帯び、天音くんのバックハンド側へと鋭くキックした。天音くんの顔に、わずかな驚きが走る。
リターンが甘くなった瞬間、陽太はまるで弾丸のように前へと突進した。ネット際での激しいボレーの応酬。天音くんが鋭いロブで頭上を抜こうとするが、陽太は脅威的な跳躍力で背後へ跳び、身体をひねりながらスマッシュを叩き込んだ。
「ポイント、星和学院、15-40!」
「おいおい、あの状況からまだあんなに動けるのか……?」
観客席からざわめきが起こる。隣の湊兄さんも「凄まじい執念だな」と目を見張っていた。
陽太の気迫は、天音くんの精密なコントロールを狂わせ始めていた。
泥臭く、執念深く、どんな球にも飛びついて食らいつく。あいつのその生き様のようなプレーが、冷徹な精密機械だった天音くんに、じわりとした焦りを与えていく。
バチィィン!!
「デュース!」
0-40からの奇跡的な追いつき。そこからさらに二度のジュースを重ね、陽太は雄叫びを上げながらフォアハンドを叩き込み、ついにこの窮地をキープしてみせたのだ。
「ゲーム、星和学院! 6-5!」
「よしっ!!」
私は拳を握りしめて叫んだ。
しかし、天音くんも流石は王者・鳳凰院のエースだった。
続く第12ゲーム、陽太の気迫に押されながらも、驚異的なまでの冷静さを取り戻し、自らのサービスゲームを完璧な配球でキープしてくる。
「ゲーム、鳳凰院! 6-6!」
「タイブレークに突入します!」
審判のコール。
お互いの意地とプライド、そして星和と鳳凰院の看板を背負ったエース二人の戦いは、ついに極限の最終決戦へと引きずり込まれた。
「ポイント、鳳凰院、3-2!」
「ポイント、星和学院、3-3!」
タイブレークに入っても、二人の死闘は終わりを見せなかった。互いにミニブレイクを許さず、意地と執念だけでボールを繋ぎ続ける。激しいラリーの応酬が続く中、時計の針は試合開始からすでに1時間を指し示していた。
カツ、カツ、と小走りの足音が響き、私の隣に息を切らせた女子のメンバーが駆けつけてきた。
「みゆ! 陽太くんは……!?」
片付けと撤収作業を終わらせた莉奈やひかりちゃん、奈緒、美咲が合流した。右腕をがっちりとアイシングした春花部長も、その激しい戦況を目にして息を呑む。
「……信じられない。まだこんな熱量で打ち合っているのね」
春花部長は金網越しに、陽太と天音くんの姿をじっと見つめ、どこか遠い目をした。
「なんだか、去年のあの試合を見ているみたいだわ」
「去年の試合……」
私も当時の記憶が鮮明に蘇り、深く頷いた。観客席から手に汗握って見守っていた、あの熱狂。隣に立つ湊兄さんに視線を向けると、湊兄さんは金網に腕をかけ、懐かしむように口元を緩めた。
「ああ、1年前の全国大会決勝戦のことだな。俺と、鳳凰院の不知火焔の試合だ。あの時はお互いに一歩も引かなくて。気づけば3時間を超える大死闘になっていた。今では懐かしく思うな」と湊兄さんは笑うが、その瞳には当時の熱い記憶が確かに宿っていた。今年の鳳凰院のエースである天音くんと、星和のエースである陽太が、今まさにその伝説的な背中を追いかけるようにコート上で火花を散らしている。
試合開始から1時間30分が経過した頃、ついに精密機械の歯車に狂いが生じ始めた。
どれだけ走らされても呼吸一つ乱さなかった天音くんの足が、突如としてピタリと止まる。限界を迎えた彼の身体から鋭さが失われ、完璧だったはずのコントロールが乱れてアウトやネットにかかるミスが増え始めたのだ。
「……天音の体力が切れたわね」
奈緒が冷静に告げた。
「どれだけ効率的なテニスをしていても、この炎天下での超高密度なラリーは確実に肉体を蝕む。逆に陽太くんは、ステップ数が減りペースを取り戻しているわ」
「らぁぁぁッ!!」
天音くんのリードで進んでいたタイブレークの流れが、一気にひっくり返る。陽太の気迫に満ちたフォアハンドがコートの隅へ突き刺さり、ついに陽太リードへとスコアが移り変わった。
マッチポイント。陽太のサービス。
全身から湯気のような汗を立ち昇らせながら、陽太はすべての魂を込めてトスを上げた。
「これで、終わりだぁぁぁッ!!」
ドゴォンッ!!
今日一番の爆発音を立てて放たれたフラットサーブが、天音くんのラケットを弾き飛ばし、バックフェンスへと激しく激突した。
「ゲームアンドマッチ! 星和学院、7-6(タイブレーク14-12)!」
「勝者、星和学院、河村!」
審判のコールが響いた瞬間、電光掲示板に表示された試合時間は【2時間28分】を示していた。
「やったぁぁぁーーーっ!!」
私は両手を突き上げて叫んでいた。莉奈やひかりたちも抱き合って歓声を上げる。
コート中央で、陽太はラケットを天高く突き上げ、咆哮した。団体戦の敗北は決まっている。それでも、王者のエースを真正面からねじ伏せたその姿は、間違いなく最高に輝いていた。
ネット際へ歩み寄ると、二人は息を切らしながらも、お互いを称え合うようにしっかりと握手を交わした。天音くんが肩を揺らしながら、苦笑いを浮かべて口を開く。
「まったく、キミの体力どうなってるんだ。今年こそ完璧に叩き潰して去年のリベンジするつもりだったのに……。来年も勝ち上がってこいよ」
「ああ、またやろうぜ、最高に楽しかった」
陽太は汗を拭いながらそう応じると、力強く天音くんの肩を叩いて真っ直ぐに見つめた。
「その前に……決勝、勝ってこいよ」
「……! ああ、言われなくてもそのつもりだ」
天音くんも一瞬目を見開いたあと、頼もしく笑って頷いた。二人の間には、言葉を超えた強い絆とリスペクトが生まれていた。
コートから戻ってきた陽太は、私たちの姿を見ると、満面の笑みで親指を立ててみせた。
「見たかよ、みゆ! 勝ったぞ!」
「うん、最高にかっこよかった!」
駆け寄った私は、汗まみれの陽太の肩を強く叩いた。
男子はここで敗退。けれど、陽太が残したこの熱い闘志のバトンは、しっかりと私たち女子チームへと引き継がれた。
湊兄さんと蓮さんも、陽太の健闘を称えるように力強く頷いている。
「さあ、次は私たちの番ね」
春花部長の言葉に、女子メンバー全員の目が決勝を見据えて鋭く光る。札幌白樺中学を破った西園寺女学院との頂上決戦へ向けて、星和学院の本当の戦いは、ここから始まるのだ。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
23勝ものすごくなってしまい申し訳ありません。
途中で賞を区切るべきでした。
24勝は決勝戦の様子となります。
そして気がつけば200エピソードを超えていました。
雫姉さんが免許取って車どうしたのというお問い合わせをいただきました。
完全に話に組み込むのを忘れていました。湊の足として活躍するはずの運転免許。全然出てきてませんでしたね。
今後のどこかで差し込んでいきたいと思いますので、見守っていただけると幸いです。




