準決勝S3、重戦車の重圧
「ナイスゲームです、先輩方!」
2勝という最高の形でバトンが繋がり、ベンチに戻ってきた芽衣先輩と綾先輩に、私たちは興奮しながらハイタッチを求めた。
「ふふ、これで王手ね。……さあ、私の番」
S3(シングルススリー)に臨む佐藤春花部長が、ラケットを手に、すっと静かに立ち上がった。その瞳には、キャプテンとしての責任感と、決勝への強い決意が宿っている。
「「部長、よろしくお願いします!」」
莉奈と私が声をかけると、春花部長は優しく微笑んで「任せなさい」と頷き、有明のまばゆいコートへと足を踏み入れた。
対する九州志士学園のS3は、ガッシリとした体躯を持つ3年生、岩本。
彼女はコートに入ると同時に、不敵な笑みを浮かべて春花部長を鋭く睨みつけた。先ほどのダブルス2敗で後がない九州志士学園。岩本の背負う気迫は、尋常なものではなかった。
「女子S3、試合を開始します。星和学院、佐藤のサービス!」
「はぁッ!」
春花部長がトスを上げ、鋭いスライスサーブをワイドへと叩き込む。非常に精度の高いサーブだ。
しかし、岩本は力強いステップで回り込むと、まるでラケット自体が鉄塊であるかのように重々しくラケットを振り抜いた。
「らぁぁぁッ!!」
ドンッ!! と、テニスコートには不釣り合いな爆発音が響く。
放たれた打球は、凄まじい風を切り裂きながら、超回転を帯びて急激にベースライン際へと突き刺さった。
「――っ!?」
春花部長は瞬時にラケットを出して面を合わせた。
だが、インパクトの瞬間、ボールに宿っていた暴力的なヘビースピンと、鉄のように重い推進力が容赦なくラケットを襲う。
バチィィン!!
「きゃああっ!?」
激しい衝撃音とともに、春花部長の手からラケットが強引に毟り取られるようにして、コートの背後へと弾き飛ばされた。からんからんと乾いた音を立てて転がるラケット。春花部長は、自分の右手のひらを呆然と見つめて立ち尽くしていた。
「ポイント、九州志士学園、0-15!」
「うそ……部長のラケットが……!?」
莉奈が顔を青くして身を乗り出す。
ベンチに座る奈緒の目が、鋭く細められた。
「ただの強打じゃないわ。異常なまでの筋力から生み出されるヘビースピン。ボールがガットに触れた瞬間に、凄まじい超回転のエネルギーが一度に爆発しているの。打球自体の重さが、これまでの相手とは比べ物にならない」
岩本の猛攻は留まることを知らなかった。
ベースラインの深くへと容赦なく叩き込まれる重戦車のような超回転ストローク。春花部長は何とか必死に足を動かし、身体全体でボールを受け止めようとラケットを構える。
しかし――。
ガツッ!!
「く、ぅぅ……ッ!」
返球しようとするたびに、その規格外の球威に押し負け、再びラケットが手元で激しくブレる。ついには握力が限界を迎え、このゲームで二度目となるラケットがコートに転がった。
「ゲーム、九州志士学園、1-0!」
力でねじ伏せられる恐怖。
続く第2ゲーム、岩本のサービスゲームになると、その凶暴なパワーはさらに増していった。強烈な回転を宿したサーブが急激にキックし、星和のコートに突き刺さる。
「はははッ! どうした星和の部長! そんなヤワな腕じゃ、アタシの超回転は一生返せねえよ!」
岩本が吠え、重低音のヘビースピンを左右に散らす。
春花部長は必死に食らいつき、渾身の力で相手の超回転を抑え込もうと、ラケットの面をギリギリまで引きつけて返球した。
バキィィィンッ!!!
これまでとは明らかに違う、ガットが引き裂かれる激しい音がコートに響き渡った。
打球はコート外へ大きく外れ、春花部長がラケットを見つめると、その中央が岩本のヘビースピンに耐えきれず、無惨にも激しく破断していた。
「ガットが……破られた……っ!?」
私は思わず息を呑んだ。
春花部長は荒い呼吸のまま、一度ベンチへと戻り、自身のラケットバッグから予備のラケットを取り出して交換する。額ににじむ汗を拭うその手は、あまりの重圧にわずかに震えているようにも見えた。
ラケットを交換し、再びコートに戻るものの、岩本の勢いは止まらない。
春花部長は必死に食らいつくものの、打球を受けるたびに腕にかかる衝撃で、顔が苦痛に歪んでいく。ラリーを繋ぐことすら許されず、なす術もなくポイントを奪われていった。
バチィィン!!
本日三度目となる、ラケットが弾き飛ばされる音。コートに倒れ込むようにしてラケットを拾い上げる春花部長の肩が、激しく上下している。
「ゲーム、九州志士学園、2-0!」
手も足も出ないまま、あっという間に2ゲームを連取される厳しい立ち上がり。
有明のコートに、九州志士学園の圧倒的な『力』の前に、重苦しい空気が立ち込め始めていた。
「ゲーム、九州志士学園、3-0!」
サイドチェンジの短い時間、ベンチに戻ってきた春花部長は、肩を大きく上下させながら、新しく用意したラケットを見つめていた。その右手は、度重なる超回転の衝撃で赤く腫れ上がり、わずかに震えている。
「春花部長、大丈夫ですか……?」
私がすかさず冷やしたタオルを差し出すと、春花部長は小さく笑ってそれを受け取った。
「ええ、ありがとう、みゆ。……本当に規格外の重さね。正面から力で挑んでも、私の腕が持たないわ」
そう言うと、部長はラケットのガットをそっと指先でなぞった。
「みゆの波紋は、相手の力を受け流し、自らの回転に利用する。あの岩本さんの超回転と力……これ以上ない、格好の素材だと思わない?」
「部長、まさか……」
「ベンチは奈緒に任せ、ダブルスは後輩たちが繋いでくれた。部長として、ここでただ引き下がるわけにはいかないわ。私だって、星和の看板を背負っているんだもの」
顔を上げた春花部長の瞳には、一切の迷いはなかった。
しかし、実践の壁はあまりにも高かった。
第4ゲーム。相手の強烈な超回転に対し、春花部長はインパクトの瞬間に脱力し、衝撃を受け流そうと試みる。だが、岩本のヘビースピンはあまりにも獰猛で重い。
ガッ……!
「くあぁっ……!」
ほんの少し面がブレただけで、ボールは暴れ馬のようにラケットを弾き、コート外へと大きく吹っ飛んでいった。タイミングが僅かに狂うだけで、波紋は不発に終わり、自分の首を絞める結果になる。波紋という技術が、いかに針の穴を通すような精密なコントロールの上に成り立っているか、春花部長は身を以て痛感していた。
「ゲーム、九州志士学園、4-0!」
依然としてワンサイドゲーム。観客席からも「やはり志士学園のパワーには敵わないか」という囁きが漏れ始める。
だが、春花部長の心は折れていなかった。
「ふぅぅ……」
第5ゲーム。岩本の激しい咆哮とともに放たれた、凄まじい超回転のヘビースピン。
春花部長は、ボールが迫る極限のコンマ数秒の中で、驚くほど静かにラケットを引いた。余計な力みをすべて捨て、ボールの回転軸を凝視する。
――今。
バチュウッ。
コートに、今までとは違う鈍い打球音が響いた。
岩本のヘビースピンのエネルギーを、春花部長のラケット面がしなやかに包み込み、そのまま流れるように相手コートの隅へと受け流したのだ。
「なっ……!?」
岩本が慌てて足を動かし、なんとかボールを返してくる。
続くラリー、もう一度岩本が放った強烈な超回転。春花部長は再び波紋を試みる――が、今度は面が被りすぎてネットに捕まった。
(成功率は、まだ二割にも満たない。でも……掴みかけている!)
第6ゲーム、春花部長の表情から「悲壮感」が完全に消えていた。
岩本がどれほど強烈なヘビースピンを叩き込もうと、部長は何度も泥臭く、しかし確実に波紋を合わせにいく。
バチュウッ。
「ポイント、星和学院!」
ガツッ……。
「ポイント、九州志士学園!」
成功と失敗を繰り返しながら、春花部長の身体が、岩本の超回転の『周期』を驚異的な速度で学習していく。打つたびに、ラケットが弾かれる回数が目に見えて減っていった。
一打ごとに、波紋の精度と成功率が、じわり、じわりと上がっていく。
「おい、どうした……!? なんでアタシの球が、普通に返ってきやがる……!」
それまで圧倒していたはずの岩本の顔に、初めて焦りの色が浮かび上がった。
「ゲーム、星和学院、1-5!」
初めてもぎ取った自陣のゲームに、観客席の星和応援席から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
コート上の岩本は、信じられないものを見るかのように春花部長を凝視している。自身の誇る、すべてを薙ぎ払うはずのヘビースピンが、まるで牙を抜かれたかのように吸い込まれ、綺麗にいなされて返ってくるのだから。
「ふざけんな……! 偶然、たまたま返っただけだろッ!」
岩本が狂ったように吠え、さらに強烈な超回転を星和のコートへと叩き込む。
だが、その焦りこそが、春花部長の狙い通りだった。
第6ゲーム、そして第7ゲームと進むにつれ、春花部長の『波紋』はその完成度を爆発的に高めていく。最初の不格好な受け流しが嘘のように、ラケット面で球威を「包み、回し、放つ」一連の動作が洗練されていく。
バチュウッ!
「ポイント、星和学院!」
バチュウッ!
「ゲーム、星和学院、3-5!」
「……すごい」
ベンチ横で身を乗り出す莉奈が、呆気にとられたように呟いた。
隣でデータノートを握る奈緒も、眼鏡の奥の目を驚きに丸めている。
「九割……。岩本さんの打球に対する波紋の成功率が、ほぼ九割に達しているわ。春花先輩の、あの状況から狂わない驚異的なメンタルと修正力……これぞ『部長』の底力ね」
観客席の蓮さんも、静かに腕を組んだまま、頼もしそうに口元をわずかに綻ばせていた。
試合は完全に、春花部長のペースへと傾いていた。
しかし――序盤の5ゲーム連取という大きなビハインドと、何本ものヘビースピンを受け止め続けた右腕の疲労は、確実に春花部長の体力を蝕んでいた。
ゲームカウントは4-5。岩本のサービスゲーム、アドバンテージ九州志士学園。このポイントを奪われれば、試合が決まるという極限の局面。
「これで……終いだぁぁぁッ!!」
岩本が全身のバネを使い、今日一番の超回転サーブをワイドへと叩き込んできた。
春花部長は一歩、鋭く横へ踏み出す。
波紋のタイミングは完璧だった。ボールは綺麗に回転を殺され、岩本の足元へと鋭く沈む。
「くあぁッ!」
岩本が死に物狂いでラケットを突き出し、なんとかそれをロブで返してきた。高く上がったボールが、太陽の光に重なる。
(――チャンスボール!)
誰もがそう確信した瞬間、春花部長が跳躍しようとした足元が、わずかに縺れた。度重なる衝撃を逃がし続けた全身の筋肉が、限界を迎えて悲鳴を上げていたのだ。
わずかに打点が狂ったスマッシュは、無情にもネットの白帯に弾かれ、星和のコートへと転がった。
「ゲームアンドマッチ! 九州志士学園、6-4!」
その瞬間、会場中から、勝者を称える拍手と同じくらい大きな、敗者を称える惜しみない拍手が降り注いだ。
春花部長は膝に手を突き、肩を激しく上下させながら、しばらく動けずにいた。けれど、その顔には悲壮感など微塵もなかった。やりきったという、清々しい笑顔がそこにはあった。
ネット際へ歩み寄ると、岩本はラケットを握る右手をぶるぶると震わせながら、呆然とした表情で春花部長を待っていた。
「……アンタ、化け物かい。アタシの超回転を、最後は全部普通に返しやがって。腕の骨、どうなってんだよ」
「ふふ、ボロボロよ。でも、おかげでとても良い練習になったわ。ありがとう、岩本さん」
春花部長が優しく微笑みながら右手を差し出すと、岩本は少し気恥ずかしそうに頭を掻きながら、その手を驚くほど優しく、しかし力強く握り返してきた。
「アンタたちのテニス、末恐ろしいもんだね。アタシらの残りのメンツじゃアンタらに敵わないだろうね。決勝、西園寺の奴らにぶつけてやってくれ」
「ええ。必ず、そうするわ」
ベンチに戻ってきた春花部長を、私たちは全員で駆け寄って抱きしめた。
「部長、最高にかっこよかったです!」
「お疲れ様、春花!」
「ごめんね、最後、勝ちきれなくて。でも……楽しかった!」
そう言って、ボロボロになった右腕を庇いながら、春花部長は誇らしげに笑った。
試合には敗れた。けれど、部長が見せた執念と、極限状態で掴み取った『波紋』の進化は、私たち全員の胸にこれ以上ない闘志の火を灯してくれた。
「これで、星和の2勝1敗ね」
奈緒が静かに立ち上がり、次の試合へと視線を向ける。
「次は、美咲のS2。そして私のS1ね」
私は自分の胸に手を当て、ドクドクと高鳴る鼓動を感じていた。
託されたバトンは、まだ私たちの手の中にある。決勝の舞台へ向けて、私たちの戦いはここからさらに熱くなっていく。




