託された指揮、それぞれの戦場
雲ひとつない有明の青空の下、いよいよ全国大会の準決勝が始まろうとしていた。
だが、試合開始の直前になって、星和学院テニス部に一つの予期せぬ問題が発生した。
「男女同時に試合開始……。しかも、コートが完全に離れた別ブロックだ」
対戦表とコートの配置図を交互に見比べながら、顧問の坂上先生が険しい表情で額を指先で揉んだ。
トーナメント表の開催時間が、女子の「九州志士学園」戦と、男子の「鳳凰院中学」戦の時間が、完全に重なってしまったのだ。監督としてベンチに入れる大人は坂上先生一人。どちらか片方のベンチは、実質的に監督不在で戦わなければならない。
「ただでさえ鳳凰院は去年の覇者だ。精神的な揺さぶりも激しいだろう。今回は、まだ精神的な脆さが残る男子チームに俺が就く」
坂上先生の決断に、男子メンバーは一様に表情を引き締めた。強大な鳳凰院を前に、先生がベンチにいる安心感は大きい。だが、そうなれば女子チームのベンチコーチを誰が務めるのかという問題が残る。
「女子の監督代理だが――田中。お前に、ベンチに入ってもらいたい」
先生が視線を向けたのは、奈緒だった。
指名された奈緒は、一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに表情をストイックなものへと戻した。
「私が、ですか? 監督代理となると、私は今回のオーダーからは完全に外れることになりますが……」
「お前の試合に出たい気持ちは十分に分かっている。だが、お前の試合展開を俯瞰して見る力、そして冷静なゲーム分析能力は、この部の中でも群を抜いている。俺からも、太鼓判を押せる。相手は実力派の九州志士学園だ。感情に流されず、的確な指示を送れるお前の頭脳が、今の女子チームにはどうしても必要なんだ」
坂上先生の言葉には、確固たる信頼が籠もっていた。
奈緒は、私たちの顔を順番に見つめ、最後に私と美咲を見て、フッと頼もしい笑みを浮かべた。
「……分かりました。オーダーを外れるのは少し悔しいですが、それ以上の仕事をベンチでしてみせます。水瀬、美咲、莉奈、春花先輩。後ろのことは、全部私に任せて。絶対にみんなを勝たせてみせるから」
「奈緒……! ありがとう、本当に心強いよ!」
私も莉奈も、奈緒の手をギュッと握りしめた。彼女のデータテニスと冷静な眼線がベンチにあるのなら、これほど心強いことはない。
試合会場へと移動する直前、控え室の裏手で、私は男子の試合に向けて準備を進めている陽太を見つけ、声をかけた。
「陽太」
振り返った陽太は、ラケットのグリップテープを巻き直しながら、真剣な眼差しでコートの先を見つめていた。
「みゆ。……そっちも、これから九州志士学園戦だな」
「うん。でも、奈緒が監督代理でベンチに入ってくれるから、私たちは全力でラケットを振るだけ。……陽太、鳳凰院はすごく強い相手だけど、大丈夫?」
私の問いかけに、陽太は少し不敵な笑みを浮かべた。
「ああ。天音つかさは、U-17の世界大会で同じ日本代表チームのユニフォームを着て戦った戦友だからな。お互いの手の内はよく分かってる。去年の全国大会では俺が勝ったけど……あいつがその雪辱を果たそうと、相当な覚悟で牙を研いできてるのは昨日見て分かった。でも、負ける気はねえよ」
頼もしい陽太の言葉に、私の胸の奥にも一本の強い芯が通ったような気がした。去年の覇者を率いる天才・つかさくんを相手に、陽太の闘志はすでに最高潮に達している。
「期待してる。私たちは、決勝で待ってるからね」
「ああ。絶対に行こう、決勝の舞台へ」
お互いにグッと拳を突き出し、小さく合わせる。
集合場所に戻ると、高等部の先輩二人も、私たちのサポートに回るべく手分けをしてくれていた。
「よし、俺は男子のコートを観戦してくる。鳳凰院相手に、あいつらがどう食らいつくか見届けなきゃなんねえからな」
湊兄さんが「じゃあな」と手を振って、男子の会場へと足早に向かっていく。
「それじゃあ、僕は女子のコートに行くよ。九州志士学園のフラットショットは脅威だからね。何かあれば外から声をかける」
蓮さんは穏やかに微笑みながら、私たちの進む女子のコートへと歩みを共にしてくれた。
頼もしい兄たちの見守る中、そして奈緒という最高の軍師をベンチに迎えて。
星和学院中等部、男女それぞれの運命の準決勝が、ついに幕を開ける。




