女王の記憶、宿敵の系譜
「女子Bブロック3回戦、星和学院中等部対――四国代表、**華蓮女子中学**。選手はコートに入ってください」
アナウンスが響いた瞬間、女子ベンチの空気がキリリと引き締まった。
華蓮女子中学。四国ブロックを圧倒的な力で勝ち上がってきた強豪であり、何よりそのチームには、私たちが決して忘れることのできない「最強の遺伝子」が組み込まれていた。
「相手のエース、やっぱり出てくるわね……」
春花部長がドロー表を見つめながら、小さく息を吐き出す。
華蓮女子のシングルス1にクレジットされている名前は、**千堂茜**。
彼女は、あの鳳仙雅さんの従姉妹だった。鳳仙さんといえば、去年の西園寺女学院を絶対的エースとして率い、現在は女子プロテニス界の若手ルーキーとしてシニアの強豪たちを次々と圧倒している凄腕の選手だ。私たち星和学院のメンバーも、先の合同合宿では大変お世話になり、その異次元の強さを肌で知っている。
その鳳仙さんを目標に掲げ、自らもプロの世界を目指して牙を研いできたのが、従姉妹である千堂さんなのだという。
「みゆ、あいつが鳳仙さんの身内だよ」
私の隣で、2年の莉奈が真剣な目を向けて私に囁いた。
「合宿で鳳仙さんには散々しごかれたもんね。その遺伝子を継ぐ奴が相手だ、生半可な気持ちじゃ足元をすくわれちゃうよ」
「うん、分かってる。でも、あの鳳仙さんの背中を追う人と戦えるなんて、私……すごく燃えてるよ」
私はラケットのグリップを強く握り直した。
女子も男子と同様に、全5試合を消化するルール。まず口火を切るD2(ダブルスツー)のコートへ向かったのは、期待の1年女子コンビ――佐々木ひかり(ささき ひかり)ちゃんと、小野寺結衣ちゃんのペアだった。
しかし、この全国ベスト8の大舞台は、1年生の彼女たちにとってあまりにも過酷な試練となる。
「ゲーム、華蓮女子、2-0!」
試合序盤から、華蓮女子の容赦のない重いストロークと堅実なネットプレーに押され、ひかりちゃんたちは防戦一方に追い込まれていた。ベンチから見守る私には、ひかりちゃんの様子が明らかにいつもと違っているのがよく分かった。
(どうして……! 森下くんは、あんなに綺麗に『回転の無効化』を成功させていたのに……!)
ひかりちゃんの脳裏に焼き付いていたのは、先ほどの男子の試合で、同じ1年生の森下くんが放ったあのクリアなボレーだったに違いない。10月から私が二人に教え始めた、波紋の初歩。同じスタートラインに立っていたはずの仲間が、全国の舞台で見事にそれを体現してみせたのだ。
「私も、やらなきゃ……! 私だって、波紋を……!」
焦燥感が、ひかりちゃんの視野を狭くしていく。相手の強烈なスピンショットが迫る中、彼女は「自分も森下くんのように」と意識するあまり、打球の回転を過剰に意識しすぎてしまっていた。
ガツッ!
「あ……っ!」
面がブレ、無情にもボールはネットへと突き刺さる。結衣ちゃんが「ひかり、ドンマイ!」と後ろから声をかけるが、波紋を成功させようと身体を硬くすればするほど、打点は狂い、本来の伸びやかなストロークさえも影を潜めていく。完全に自滅のループに陥ったひかりちゃんの顔から、みるみるうちに余裕が消えていった。
「ゲーム、華蓮女子、4-1!」
主審の宣告が響き渡る。ひかりちゃんと結衣ちゃんは肩を落とし、重い足取りでこちらのベンチへと戻ってきた。チェンジコートの短い時間、ひかりちゃんはガタガタと震える手でスポーツドリンクを口に運び、完全に自分を見失っているような、酷く焦った目で地面を見つめていた。
私はすかさず彼女の目の前にしゃがみ込み、その強張った両肩にそっと手を置いた。
「ひかりちゃん、こっちを見て」
「あ、水瀬先輩……っ。すみません、私、全然できなくて……! 森下くんはあんなに上手くやってたのに、私がやろうとすると、どうしても面がブレちゃって……!」
涙を浮かべながら早口で捲し立てるひかりちゃんを見て、私の予感は確信に変わった。
「やっぱり、森下くんのボレーを意識しすぎていたんだね」
「あ……」
図星だったのか、ひかりちゃんが息を呑む。
「焦らなくていいんだよ。波紋の練習を始めたのは、今年の10月から。ほんの1ヶ月前なんだから。それにね、森下くんがあれを成功させられたのは、彼の持つ驚異的な『動体視力』っていう特別な武器があったからなの。ひかりちゃんには、ひかりちゃんだけの良いところがたくさんあるでしょ?」
私の言葉に、後ろで聞いていた結衣ちゃんも深く頷く。
「そうだよ、ひかり。ひかりの武器は、低くて鋭いあのクロスストロークじゃん。波紋にこだわりすぎて、自分のテニスを忘れちゃダメだよ」
「ひかりちゃん。今は一回、波紋のことは全部忘れよう。自分の体が一番気持ちよく動く、いつもの思い切りの良いテニスをしておいで。後ろは結衣ちゃんがちゃんと守ってくれるから」
私が笑いかけると、ひかりちゃんはハッと目を見開き、それから深く息を吐き出した。その瞳から、余計な硬さが消えていくのが分かった。
「……はい! 私、自分のテニスをしてきます!」
コートへ戻っていく二人の背中には、さっきまでの悲壮感はなかった。
第6ゲーム、華蓮女子の強烈なサーブに対して、ひかりちゃんは深く膝を曲げ、自慢の鋭い踏み込みから得意のクロスへとラケットを振り抜いた。
バチィィン! と、目の覚めるような快音が響く。
「よしっ、ナイスリターン!」
結衣ちゃんが前衛で鮮やかにポーチボレーを叩き込み、星和ペアがようやく本来のテンポを取り戻した。
「ゲーム、星和学院、4-2!」
「ゲーム、星和学院、4-3!」
吹っ切れたひかりちゃんのストロークが唸りを上げ、結衣ちゃんとの息の合ったコンビネーションで、相手の隙を突いて連続でゲームを奪い返す。四国女王の華蓮女子を相手に、1年生コンビが意地の猛追を見せ、会場の応援席からも大歓声が湧き起こった。
しかし、相手は全国ベスト8の強豪。こちらの復調を察した華蓮女子のペアは、すぐさま前衛へのストレートアタックを増やし、力押しで再び星和のペースを乱しにかかってきた。
「ゲームアンドセット、華蓮女子! 6-3!」
最後は相手の強烈なスマッシュがコートに突き刺さり、ゲームセット。
惜しくも敗れはしたものの、後半で見せた1年生コンビの粘りは、ベンチの先輩たち、そして何より次に控えるメンバーの心に、熱い火を灯すには十分すぎるものだった。
「ひかり、結衣、ナイスファイト!」
戻ってきた二人を、莉奈ちゃんたちが温かい拍手で迎える。ひかりちゃんは悔し涙を拭いながらも、どこかすっきりとした表情で私を見て、小さく頷いてくれた。
1年生コンビが意地を見せて繋いでくれた流れを、美咲たちが無駄にするはずがなかった。
「美咲、奈緒。1年生があれだけ暴れてくれたんだ。ここからは私たちが星和の本当の恐ろしさを見せる番だよ」
「はい、部長! スカッと勝ってきます!」
続く女子D1(ダブルスワン)のコートへと向かったのは、2年の松本美咲と田中奈緒のペア。普段から抜群のコンビネーションを誇る二人のプレーは、まさに完璧の一言だった。
1年生の猛追によって少なからず動揺の残る華蓮女子ペアに対し、美咲の完璧なコントロールショットが容赦なくコースを突き、浮いた球を奈緒がポーチで仕留めていく。
ボールがどこに返ってくるかを計算し尽くしたポジショニングでコートを支配していく。
相手に一切の主導権を握らせず、流れるようなコンビネーションでポイントを積み重ねていった。
「ゲームアンドマッチ、星和学院! 6-0!」
一ゲームも与えない圧巻の完封劇。この完璧なストレート勝ちで、星和学院は瞬時にカウントを1勝1敗のタイへと戻した。
「よし! ナイス美咲、奈緒! 完璧な試合だったよ!」
ベンチに戻ってきた二人を、莉奈や1年生たちが興奮気味に出迎える。
そして、チームの命運を分ける重要なシングルス3のコートへと満を持して立ったのは、女子部長の佐藤春花先輩だった。
華蓮女子のシングルス3も、四国ブロックで高い勝率を誇る実力派の選手。試合序盤から鋭いストロークがコートの隅を襲うが、春花部長は凛とした表情を崩さない。
「全国のベスト4を前に、足踏みなんてしていられないのよ!」
春花部長のラケットから放たれる打球は、これまでチームを引っ張ってきた主将としての覚悟そのものだった。相手の強烈なショットを深いスライスでいなし、甘くなった球を確実にオープンコートへと叩き込む。コートを広く使った老獪な試合運びで、相手を完全に翻弄していった。
「ゲーム、星和学院、4-1!」
相手も意地を見せて粘り、鋭いドロップショットで1ゲームを返してきたものの、春花部長の集中力は寸分も途切れなかった。最後は相手のバックハンドを完全に封じ込め、鮮やかなセンターへのサービスエースで試合を締めくくった。
「ゲームアンドマッチ、星和学院! 6-2!」
「やったぁ! 春花先輩、ナイスキープです!」
応援席から大きな拍手と歓声が湧き起こる。
これで星和学院の2勝1敗。準決勝進出に王手をかけ、チームのボルテージは最高潮へと達していた。しかし、次なるシングルス2、そして私が控えるシングルス1には、華蓮女子が誇る本当の牙――プロを見据える千堂茜たちの戦いが待っている。
「みゆ、次、私が絶対に決めてみせるから」
シングルス2のコートへ向かう莉奈が、ラケットを握りしめ、私の目を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。




