脆く崩れ去るシナリオ
佐々木宅からの帰り道、私の心はどこまでも重かった。
「……なぁ、みゆ」
駅前の街灯の下、待ち合わせていた陽太が、私の暗い表情を見てノートを握る手に力を込めた。
「梓先輩の件、どうだった? 委員長コンビだし、手作りマドレーヌの効果は絶大だったろ?」
「……ううん」
私は首を横に振り、冷え切った自分の指先をぎゅっと握りしめた。
「美味いって言ってくれたし、梓先輩もすごく喜んでた。でもね……兄さんが一番笑顔になったのは、私が作った、なんてことない普通のクッキーを食べた時だったの」
私の言葉に、陽太は言葉を失った。
「陽太に前にも話した通り、兄さんの心にあるのは……。私たちがどれだけ完璧なルートを用意して、どれだけ素敵な人を隣に並べても、兄さんの目は最初から、私しか見ていないんだよ」
「……っ」
陽太は悔しそうに奥歯を噛み締め、手元の作戦ノートを見つめた。
長谷川杏子さんとの朝のハプニング、鈴木唯先輩の意外な恋心、そして佐々木梓先輩との完璧なお菓子作りシチュエーション。私たちは良かれと思って偶然を演出し、運命の糸を無理やり手繰り寄せようとしていた。けれど、その全てが湊兄さんの『私への一途すぎる感情』という巨大な現実の前に、虚しく弾き返されていく。
「俺たちのやってることって、ただの独りよがりだったのかな」
陽太の掠れた声が、冷たい夜風に消えていく。
次のステップとして考えていた、高城紗良先輩との合同練習でのミックスダブルス作戦。それも、今となっては意味を成さないだろうという確信が、私たちの間に重くのしかかっていた。湊兄さんはテニスに真っ直ぐで、紗良先輩とも対等に高め合える。でも、そこに恋愛の入る隙間なんて、最初から一ミリも存在していなかったのだ。
「兄さんは……最初から、救われてたのかもしれない」
私はぽつりと、自分自身を責めるように呟いた。
「星和祭の時も、今も。兄さんは周りの人たちに恵まれて、自分の足でちゃんと前を向いてた。それを、私の身勝手な罪悪感のせいで、兄さんを『可哀想な存在』に仕立て上げて……。新しい恋をさせれば私が救われるっていう、ただのエゴだったんだよ」
ポツリ、と私の頬に冷たいものが当たった。
見上げると、夜空の向こうから、あの修学旅行の夜と同じ、容赦のない雨がポツポツと降り始めていた。
「みゆ、それは――」
陽太が私の肩に手をかけようとした、その時。
バサササッ! と、激しい音を立てて、陽太の手から作戦ノートが滑り落ちた。
吹きつけた突風に煽られ、ノートが雨の染みるアスファルトの上を転がっていく。慌てて拾い上げた陽太の手の中で、私たちが京都の夜から必死に書き連ねてきた、細かなタイムラインやアプローチのメモが、冷たい雨に打たれてみるみるうちに滲み、文字が形を失っていく。
それはまるで、私たちの傲慢な計画の結末を暗示しているかのようだった。
誰も傷つけない、湊兄さんを幸せにするための『優しい嘘』。
それは、あまりにも真っ直ぐな周囲の優しさと、湊兄さんの揺るぎない現実の前に、実行完了と同時に――私たちの未熟さと傲慢さを突きつける形で、静かに、けれど決定的に崩壊したのだった。
びしょ濡れになったノートを抱え、私たちはただ、激しくなる雨の音の中で立ち尽くすことしかできなかった。




