更衣室の陽光、引き寄せられた少女
「あ、みゆ先輩、お疲れ様です!」
「うん、お疲れ様。みんな、着替えるの早いね」
放課後の女子テニス部更衣室。狭い室内には、部員たちが脱ぎ散らかした制服の匂いと、制汗スプレーの甘酸っぱい香りが充満していた。十月中旬の少し冷え込んできた夕方の空気も、ここに集まる部員たちの熱気で、どこか温かく感じられる。
私がブレザーをハンガーにかけ、スコートに着替えようとしたその時、隣でシャツのボタンを外していた美咲が、ジッと私の背中を見つめてきた。
「……ねえ、みゆ。やっぱりさ、絶対なんかあったでしょ」
「えっ? 何が?」
「何が、じゃないって。最近のみゆ、なんかこう……憑き物が落ちたみたいに、雰囲気がすっごく柔らかいんだもん。前まではさ、なんて言うか……テニスをしてても、どこか自分を極限まで追い詰めてるみたいな、触ったら壊れそうな『陰り』があったじゃん?」
美咲の言葉に、近くにいた他の同級生たちも「そうそう!」と一斉に頷いた。
「部活の輪の中にいても、時々、誰も届かない遠いところを見てるような孤独感があったよね。でも、ここ一週間くらいのみゆ、すごく表情が生き生きしてて、こっちまで話しやすくなったっていうか」
部員たちが口々に言う言葉に、私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
見抜かれていたのだ。私が一人で抱えていた罪悪感、自分を罰するための刃のような衝動が、知らず知らずのうちに周囲にまで伝わっていた。
そして、それを陽太が「一緒に背負う」と言って消し去ってくれたからこそ、今の私がある。
「そんな風に心配させてたんだね、ごめんね……。でも、もう大丈夫。自分の周りには、ちゃんと味方がいてくれるんだって、心から気づけたから」
私がそう言って、心の底から真っ直ぐな笑顔を返すると、更衣室の空気がワッと華やいだ。美咲は「ごちそうさま!」とからかうように笑い、みんなも嬉そうにコートへと走り出していく。
その喧騒が落ち着き、私がシューズの紐を結び直していた時だった。
更衣室の隅で、ずっと私の様子を窺うようにモジモジとしていた後輩――1年の佐々木ひかりちゃんが、意を決したように私のもとへとトコトコと歩み寄ってきた。
「あの……! みゆ先輩!」
「ひかりちゃん? どうしたの?」
ひかりちゃんは、いつも少し内気で、先輩たちの中では一歩引いているような大人しい子だった。その彼女が、顔を真っ赤にしながら、私の目を真っ直ぐに見つめてきている。
「あの……最近のみゆ先輩、すごく、その……優しくて、今まで以上に素敵で。……だから、あのっ、もしよかったら、先輩の『波紋』の打ち方、私に教えていただけませんか……!?」
「え……私の波紋を?」
思いがけない志願に、私は目を丸くした。
私の代名詞でもある特異な技術、『波紋』。
優れた動体視力で相手がスマッシュする角度やボールの回転から完璧にコースを予測し、そこから繰り出される2つの応用――「相手の回転を見極めてラケット操作で無効化、または利用して返球する技術」と、「相手の球速を利用し、無回転なら自ら回転をかける技術」を統合した高等技術だ。
これまでは、どこか人を寄せ付けない孤高のオーラを放っていた私に、ひかりちゃんは気後れして「教えてほしい」と声をかけられずにいたのだろう。
「私だけじゃなくて、男子部員1年の森下拓海くんも、みゆ先輩の技術をずっと尊敬してて……。お、お邪魔じゃなければ、二人で先輩の技術を学びたいんです!」
ぎゅっと拳を握りしめるひかりちゃんの姿が、かつて一人で強くなろうともがいていた私自身の姿と、どこか重なって見えた。でも、今の私には、その手を引いてあげるだけの心の余裕がある。陽太が私にくれた救いが、こうして新しい繋がりを連れてきてくれたのだ。
「もちろん。邪魔だなんてとんでもないよ。森下くんも一緒に、私の知ってること全部教えるね」
私は立ち上がり、彼女の頭を優しく撫でた。
「今日の練習、全体メニューが終わったら時間を取ろう。コートの端で、私の『波紋』の感覚を、二人に伝授するから」
「はいっ……! ありがとうございます!」
パッと花が咲いたような笑顔を見せたひかりちゃんを連れて、私は更衣室の扉を開けた。
十月の高く澄んだ秋空の下、クレーコートにはオレンジ色の夕光が美しく差し込んでいる。ラケットを握る私の手に、もう迷いや孤独はない。ひかりちゃん、そしてコートで待つ森下くんのもとへと向かう私の足取りは、いつになく軽やかだった。




