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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第20章:群青の日常、秋の陣

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星和祭三日目、一般公開日の喧騒と繋がる心

「……すごい人。これが一般公開日なのね」


星和祭最終日、日曜日。聖和学院の正門前は、開門の午前九時を前にして、すでに見たこともないような大行列で埋め尽くされていた。

これまでの二日間とは明らかに違う熱気。近隣の住民の方々、他校の生徒たち、そして中等部・高等部の生徒の家族が一堂に会する一般公開日は、マンモス校である聖和学院が最も活気付く一日だ。


「みゆちゃん、おはよう! 今日が本当の正念場だよ!」


エプロン姿の凛ちゃんが、調理室の大きな冷蔵庫から昨日までに仕込んだ大量の春巻きのバットを運び出しながら、気合十分な声をあげる。


「おはよう、凛ちゃん。今日のために仕込みの量も最大にしてあるものね。絶対に切らさないように、お互い声を掛け合っていきましょう」


「うん! 美咲ちゃんたちも廊下の動線確保に走り回ってくれてる。佐藤くんも朝からフライヤーの火力をチェックしてくれたよ」


クラスが一丸となってこの最終日に臨んでいる。昨日、湊兄さんたちの圧倒的なステージから受け取った情熱は、今も私の胸の中で熱く脈打っていた。


午前九時三十分。一般公開の開始を告げるチャイムが全校に響き渡ると、校内には一気に怒涛のような人の波が流れ込んできた。


「いらっしゃいませ! 2年Bクラス特製、パリパリのワンハンド春巻きです!」

「タコス風ポテト、アップルパイ風カスタード、どちらも揚げたてをご用意してます!」


廊下からは美咲たちの弾けた呼び込みの声が聞こえ、それから十分も経たないうちに、教室の前には二列に折り重なるほどの長い行列が出来上がった。


「タコス6、アップル4入りました!」

カウンターからの佐藤くんの声に、私と凛ちゃんは息を合わせてトングを動かす。

ジュワワワッと弾ける油の音が、心地よいリズムとなって教室を満たしていく。外側の皮はどこまでもパリパリに、中はホクホク、トロトロに。これまでの三日間で培った技術のすべてを注ぎ込み、私たちは一本一本を最高の状態に仕上げていった。


他校の制服を着た女の子たちが「これめっちゃ美味しい!」「片手持ちだから食べ歩きに最高だね」と笑顔で話しているのが見えて、胸の奥がぎゅっと嬉しさで満たされる。


お昼時を迎え、ピークの忙しさが最高潮に達していたその時だった。


「――みゆ!」


混み合う行列の後方から、優しく透き通るような声が響いた。

顔を上げると、人混みの中で上品な私服姿の雫お姉ちゃんが、嬉しそうにこちらに向かって手を振っていた。その美しさに、周りにいた他校の男子生徒たちが思わず振り返っている。


「お姉ちゃん!」


「本当にすごい大繁盛ね。正門のところまでいい匂いが漂ってたわよ」


お姉ちゃんはそう言って、初日の朝に私が渡した『無料交換券』を大切そうにポーチから取り出し、カウンターの私に差し出してくれた。


「約束通り、みゆの作った春巻きを食べに来たわ。おすすめを一本、もらえるかしら?」


「うん! お姉ちゃんには、絶対にこれって決めてたの。はい、アップルパイ風カスタード。火傷しないように気をつけてね」


私は保温容器から、形もキツネ色の染まり具合も完璧な、一番の自信作をペーパーに包んで手渡した。


お姉ちゃんは「ありがとう」と微笑み、さっそく小さな口で一口、上品にかじりついた。


――サクッ。


「……っ、美味しい……!」

お姉ちゃんはパッと目を輝かせ、両手を頬に当てた。

「皮がすごく軽くてパリパリね。中のリンゴのコンポートの甘酸っぱさと、まろやかなカスタードが絶妙にマッチしてて、まるで本当の高級なアップルパイを食べているみたい。みゆ、本当にすごいわ」


「良かった……。お姉ちゃんにそう言ってもらえるのかが、一番緊張してたから」


張り詰めていた肩の力が抜け、私は心からの笑顔を浮かべていた。


「こんなに素敵な模擬店を開けるくらい、みゆが良い仲間に囲まれて、ここで楽しく過ごせているのが分かって……お姉ちゃん、本当に嬉しいわ」


お姉ちゃんは愛おしそうに私を見つめ、そっとエールを送るような優しい眼差しをくれた。


「午後からもまだ忙しいと思うけれど、無理せずに頑張ってね。湊のバンドのステージも、後で一緒に観に行くから」


「うん、ありがとう、お姉ちゃん。楽しんできてね!」


お姉ちゃんは大切そうに春巻きを持ちながら、人混みの中へと優雅に歩いていった。お姉ちゃんの後ろ姿を見送りながら、私はトングを握る手にさらにぎゅっと力がこもるのを感じた。


「みゆ、大変! 廊下の列が中庭まで伸びちゃってる!」


午後一時を過ぎた頃、廊下と教室を行き来していた美咲が、嬉しさと驚きで顔を紅潮させながら飛び込んできた。

お姉ちゃんが来てくれた後も、2年Bクラスの『ワンハンド春巻きバー』の勢いは衰えるどころか、さらに加速していた。一般公開日ということもあり、他校の生徒だけでなく、小さな子供を連れた家族連れや、ネットの口コミを見ながら並んでくれる人たちで、通路は完全に飽和状態になっている。


「佐藤くん、フライヤーの温度は大丈夫?」


「おう、ばっちりキープしてるぜ! 水瀬さん、佐々木さん、どんどん投入してくれ!」


佐藤くんが額の汗を拭いながら頼もしく応える。私と凛ちゃんは、もはや目線だけで次の動きが分かるほどの連携で、次々と春巻きを油の中へ滑り込ませていった。


「タコス風ポテト、残り30本です!」

「カスタードもあとわずかです!」


カウンターからの男子たちの声に、教室中に緊張感と、それ以上の高揚感が走る。今日のために用意した、初日の倍以上のストックが、文字通り飛ぶように売れていく。誰もが疲労を忘れたかのように、笑顔で自分の役割を全うしていた。


――そして午後二時前。


「……これで、最後!」


凛ちゃんが最後のアップルパイ風春巻きをサッと網に上げ、油を切る。ワックスペーパーに包まれ、最後のお客さんの手に手渡された瞬間、Bクラスの教室に地鳴りのような大歓声が沸き起こった。


「やったぁぁぁ! 完売御礼!!」


美咲がホワイトボードに大きく『完売!』と書き込むと、クラスの全員がハイタッチをして喜び合った。


「みんな、本当にお疲れ様……! すごかったね」

凛ちゃんが達成感に満ちた笑顔で私を振り返る。


「ええ、本当に。みんなで力を合わせたからこそね」

私もエプロンで汗を拭いながら、心の底から湧き上がる熱い感情を噛み締めていた。


けれど、私たちの星和祭はまだここでは終わらない。


「水瀬さん、佐々木さん! 片付けは後でいいから、二人は早く講堂へ行きなよ!」

佐藤くんがトングをバケツに入れながら、ニカッと笑ってウィンクする。

「高等部の有志バンド、二回目のステージ、もうすぐ始まるんだろ? 昨日凄い演奏だって聞いたぞ、最終日も絶対見逃せねえよな」


「佐藤くん……ありがとう!」


私と凛ちゃんは急いでエプロンを脱ぎ、水で軽く手を洗うと、再び講堂へと向かって走り出した。


外に出ると、午後になって少し傾きかけた秋の太陽が、学院全体を黄金色に照らしていた。中庭を抜ける風が、火照った体に心地よい。

講堂へと続く渡り廊下の向こうには、すでに二回目の大舞台を待つ人々の長い列ができており、昨日以上の熱気が建物の外まで溢れ出しているのが分かった。


「みゆ!」


講堂の入り口近くで人混みを避けるように立っていたのは、先に到着していた雫姉さんだった。

さらにその近くには、見慣れた二人の姿もあった。


「あ、ゆかりちゃん! ひびきくん!」


凛ちゃんがパッと表情を輝かせる。そこにいたのは、テニス部の後輩のゆかりちゃんとその弟のひびきくん。


「凛ちゃん、二人と知り合いだったの」

「うん、二人とも私の従兄弟だよ」

「そうだったんだ」


「みゆ、凛ちゃん、完売したんですってね? 廊下でみんなが噂してたわよ。本当におめでとう」


お姉ちゃんが優しく微笑みながら労ってくれると、ゆかりちゃんも嬉しそうに一歩前に出た。


「凛姉、水瀬先輩、お疲れ様です! 噂の春巻き、私たちが並んだ時にはもう売り切れちゃってて残念だったけど、本当にすごい人気だったんですね。……あ、私たちはね、梓姉のステージを応援しにきたの!」


「うん。梓姉ちゃんのバンド、めちゃくちゃカッコいいって評判だから、絶対見逃したくなくて」

ひびきくんも少し照れくさそうに笑いながら、そう理由を教えてくれた。


家族や従兄弟たちが、それぞれの想いを持ってこの場所に集まっている。その事実だけで、胸の奥が温かい幸福感で満たされていくのが分かった。


「お姉ちゃん、ゆかりちゃん、ひびきくん、来てくれてありがとう。さあ、湊兄さんや梓さんたちのステージ、もうすぐ始まるわ。中へ入りましょう!」


私の言葉にみんなが笑顔で頷き、私たちは熱気渦巻く講堂の中へと足を踏み入れた。

昨日観たあの圧倒的な光景が、今度は一般公開日のさらに大きなお客さんの大歓声とともに、再び幕を上げようとしている。大切な人たちと肩を並べながら、私はこれから始まる最高のリズムを待ち侘びていた。


一般公開日の講堂は、昨日を遥かに凌ぐ熱気に包まれていた。

他校の生徒や保護者、そして地域の人々で超満員となった客室。私と凛ちゃん、お姉ちゃん、ゆかりちゃん、ひびきくんは、肩を寄せ合うようにしてステージの開幕を待った。


やがて、会場の照明が完全に落とされ、割れんばかりの歓声が響き渡る。


ステージにライトが灯ると、そこには初日よりもさらに引き締まった表情の四人がいた。中央に立つ佐々木梓さんが、集まった大観衆をゆっくりと見渡す。その堂々たる佇まいに、ゆかりちゃんとひびきくんが「梓姉!」「梓姉ちゃん!」と興奮気味に声をあげた。


「聖和学院の星和祭、最終日! ――最高の思い出、作っていこうか!」


梓さんの煽りに、地鳴のような大歓声が応える。

直後、湊兄さんの叩き出す鋭いスネアの音が講堂の空気を引き裂いた。昨日以上に地を這うような重低音を響かせる蓮さんのベース。麻里奈さんのエレキギターがうねりを上げ、梓さんの圧倒的なハイトーンボイスが会場の天井を突き抜けていく。


「すごい……! 音の迫力が昨日と全然違う!」


凛ちゃんが胸の前で手を握りしめながら叫ぶ。

その言葉通り、三日間の過酷なステージをくぐり抜けてきた四人の演奏は、完全に限界を超えて共鳴していた。湊兄さんのドラムは一打一打に魂がこもっているかのように正確で力強く、蓮さんの低音は聴く者の心臓を直接揺らす。


何より、ステージ中央で輝く梓さんの歌声は、元生徒会長としてのカリスマ性と合わさり、講堂にいる数千人の観客を完全に一つに束ねていた。


ゆかりちゃんもひびきくんも、その圧倒的なパフォーマンスに目を輝かせてステージに釘付けになっている。隣のお姉ちゃんも、音楽を通じて輝く湊兄さんたちの姿を、どこか誇らしげに、そしてとても愛おしそうに見つめていた。


アンコールを含むすべての演奏が終わり、会場中がスタンディングオベーションに包まれる。

ステージの上で、四人は肩を組み合い、晴れやかな笑顔で深く一礼した。やりきった男の顔をした湊兄さんと蓮さんが、客席の私たちに向かって小さく、けれど確かに頷いてくれた。


――夕暮れ時。

校庭からは、星和祭の本当のフィナーレを告げる賑やかな音楽と、パチパチと爆ぜる大きな炎の音が聞こえ始めていた。


聖和学院の伝統である、最終日のキャンプファイヤーとフォークダンス。

片付けを終えた教室の窓から校庭を見下ろすと、すでに大きな火を囲むようにして、たくさんの生徒たちが嬉しそうに輪を作りはじめているのが見えた。


「みゆちゃん、みんなもう校庭に集まってるよ! 私たちも早く行こう!」


エプロンを片付けた凛ちゃんが、目を輝かせながら私の手を引こうとする。


「あ……ごめんなさい、凛ちゃん。私、少し手を洗ってから行くから、先に行ってて」


「うん、分かった! 炎の近くのいい場所を取っておくね!」


元気よく教室を飛び出していく凛ちゃんの背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。


みんなと過ごした三日間は、本当に楽しかった。心の底からこの学校に来て良かったと思っている。けれど、いざ男女が手を繋いで踊るフォークダンスの時間が近づいてくると、どうしても気恥ずかしさと戸惑いが勝ってしまう。


(今年はどうしようかな……)


陽太たちの顔が頭をよぎり、急に胸の奥がそわそわとして落ち着かなくなる。

賑やかな校庭の輪にすぐ飛び込む勇気が出なくて、私は吸い寄せられるように、薄暗くなり始めた階段を上へと向かった。


重い鉄の扉を押し開けると、ひんやりとした秋の夜風が、私の火照った頬を優しく撫でた。


誰もいない静かな屋上。

手すりに近づいて見下ろすと、遠く校庭のキャンプファイヤーの炎が、楽しげな生徒たちの影をパチパチと赤く照らし出している。その温かい喧騒を少し離れた特等席から見つめながら、私は夜空に広がり始めた美しい群青の世界へ、そっと深い息を溶かしていった。

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