星和祭二日目、高鳴るビートと黄金色のキープ
「よし……これで完璧!」
星和祭二日目、土曜日の朝。私は前日の誓い通り、営業開始直後に揚げたての『タコス風ポテトチーズ』と『アップルパイ風カスタード』を二本ずつ確保し、油が染みないよう丁寧に包んで保温容器に収めた。
「みゆちゃん、それ、湊先輩の分?」
隣で手際よく次の春巻きを巻いていた凛ちゃんが、悪戯っぽく微笑みながら覗き込んできた。
「そうだよ。昨日は忙しくて来られなかったみたいだから。今日こそは絶対に食べてもらいたくてね、今朝蓮さんも連れてくると言ってたから二人分だよ」
「ふふ、お兄さん想いだね。でも大正解だよ。見て、まだ開店して三十分なのに、もう廊下にこんなに行列ができてるもん」
凛ちゃんが指さした先には、初日の評判を聞きつけた中等部の生徒や、部活ジャージ姿の高等部の先輩たちがずらりと並んでいた。昨日以上の熱気とスピード感に圧倒されそうになりながらも、私たちはすぐにフライヤーの前で戦闘態勢に入る。
「ワンハンド春巻き、お待たせしました!」
美咲の元気な声が響き、教室と廊下の境界線は一瞬でお祭りの喧騒に塗りつぶされていく。ジュワワッと鳴り響く油の音の中に、私の心は心地よい充実感で満たされていた。
――そして、お昼休みのチャイムが鳴り響いた直後だった。
「みゆ、いるか?」
混み合うカウンターの向こうから、人混みを割るようにして現れたのは、約束通り湊兄さんだった。その斜め後ろには、ベースケースを背負った蓮さんも静かに佇んでいる。
「兄さん! 蓮さん!」
「昨日はいけなくて悪かったな。午後からスタジオに缶詰めだったんだ。……今日もすごい盛況だな」
湊兄さんが少し目元を和らげて行列を見渡す。蓮さんも「……いい匂いだ」と短く呟き、静かに鼻を鳴らした。
「ううん、大丈夫。兄さんが忙しいのは分かってたから。はい、これ、二人のために最初から取っておいた揚げたてよ」
私は大切にキープしておいた保温容器から、まだ熱々の春巻きを取り出して二人に手渡した。もちろん、1本は昨日もらった無料交換券と引き換えだ。
「ほう、気が利くな。ありがたく頂くよ、ほら、残りの料金、これでいいか」
湊兄さんは最初に『タコス風』を、蓮さんは『アップルパイ風』を手に取り、同時に口へと運んだ。
――パリッ、サクッ。
廊下の喧騒を一瞬だけかき消すような、見事な破裂音が響く。
「……美味いな」
湊兄さんが目を見開いた。いつもは冷静な湊兄さんの声が、明らかに弾んでいる。
「皮の食感が絶妙だ。中のポテトとスパイスのバランスもいい。これなら男子生徒が並ぶのも頷けるな」
「……うん。カスタードが甘すぎなくて、リンゴの酸味が引き立っている。すごく丁寧な仕事だ」
蓮さんも、饒舌に感動を言葉にしてくれた。
「良かった……! 凛ちゃんと何度も試作して、冷めてもパリパリ感が残るように工夫したの。お口に合って本当に嬉しい」
私がホッとして微笑むと、湊兄さんは満足そうに頷き、それから少し真面目な顔をして腕時計に目をやった。
「みゆ、この後、一回目のステージが始まる。午後一時に講堂だ。蓮と、佐々木(梓)たちと、これまでで最高の音を仕上げてきた。……観に来てくれるな?」
「もちろん! 凛ちゃんと一緒に、最前列で応援するね」
「……待っている」
蓮さんが静かに微笑み、ベースケースのストラップを軽く直した。
二人は「じゃあ、後でな」と言い残し、ステージの手前の楽屋へと向かうため、再び人混みの向こうへと消えていった。残された春巻きの香ばしい余韻と、これから始まる特別なステージへの期待感で、私の胸は激しく高鳴っていた。
「みゆちゃん、今のうちに午後の分の仕込みを急いじゃおう! 一時前には二人で講堂に走れるようにね!」
「うん、やろう、凛ちゃん!」
私たちは一段と気合を入れ、再びトングを強く握り直した。
湊兄さんたちの最高のビートに負けないように、私たちの『ワンハンド春巻きバー』も、今この瞬間を全力で駆け抜けていく。
修正のご指示ありがとうございます!
中編の冒頭で、みゆがフライヤーの担当を美咲と佐藤健二くんに引き継ぎ、隣の席で一緒にメニューを考えてきた「凛ちゃん」と共に、彼女の姉である梓さんの大舞台を観に行く流れへと修正して構築いたします。
「みゆ、凛ちゃん、ここは私と佐藤くんで回しておくから、早く行ってきなよ!」
時計の針が午後零時四十五分を指した頃、カウンターで注文を受けていた美咲が、仕込みの手を止めて私たちの背中を力強く押してくれた。
「おう、こっちは任せておけって。佐々木さんのお姉さんのステージだろ? 妹が最前列で応援しなくてどうすんだよ」
フライヤーの前に新しく入ってくれたクラスメイトの佐藤健二くんが、トングを片手に持って不敵に笑う。
「美咲ちゃん、佐藤くん……ありがとう! よろしくお願いします!」
凛ちゃんが嬉しそうに、少し胸を躍らせながら頭を下げる。私も「二人とも、お願いね!」と言い残し、凛ちゃんの手を引いてエプロンを脱ぎ捨て、教室を飛び出した。
廊下を駆け抜け、中庭の渡り廊下を渡って講堂へと向かう。近づくにつれて、まだ開演前だというのに、建物の外まで地響きのようなざわめきと熱気が漏れ聞こえていた。
講堂の重い扉を開けると、そこはすでに身動きが取れないほどの生徒たちで埋め尽くされていた。普段の全校集会で見慣れた静粛な空間はどこにもなく、色とりどりのペンライトや、ステージを照らす鮮やかな照明の光で、まるで本物のライブ会場のような空間に様変わりしている。
「みゆちゃん、こっち! 端の方だけど、前の方が少し空いてる!」
凛ちゃんが私の手を引き、人混みの隙間を縫うようにしてステージの近くへと進んでいく。なんとか視界が開ける位置を確保した瞬間、講堂の照明がふっと落とされ、会場が一瞬にして静まり返った。
――静寂を切り裂いたのは、一筋の鋭いスポットライトだった。
青い光の中に浮かび上がったのは、ドラムセットの前に座る湊兄さんと、その傍らで静かにベースを構える蓮さんの姿。エレキギターを抱えた深田麻里奈さん。そして、ステージの中央に堂々と立ち、マイクを握るのは――凛ちゃんのお姉さんであり、去年まで圧倒的なカリスマで学院を引っ張っていた元生徒会長、佐々木梓さんだった。
梓さんがフッと不敵な笑みを浮かべ、マイクを引き寄せる。
「聖和学院のみんな、楽しんでる? ――それじゃあ、始めようか」
その凛とした声が響いた直後、湊兄さんのカウントから、地を走るような重低音のビートが炸裂した。
ズドン、と胸の奥に直接響くような、正確で圧倒的な湊兄さんのドラム。そこに、蓮さんのベースが、まるで生き物のようにうねりながら重なっていく。鳥肌が立つほどの疾走感。午前中に調理室で見せてくれたあの静かな二人からは想像もつかない、激しくも完璧にコントロールされたリズム隊の音が、講堂の空気を一瞬で支配していく。
麻里奈さんのエレキギターが鮮烈なリフを刻み、そして、主役である梓さんのボーカルが爆発した。
突き抜けるようなハイトーン、それでいて聴く者の心を鷲掴みにするような圧倒的な声量。音楽という刃になって観客を魅了していく姉の姿を、隣の凛ちゃんは目を輝かせ、祈るように両手を胸の前で握りしめて見つめている。
「……お姉ちゃん、すごい……っ!」
歓声に揉まれながら、凛ちゃんが誇らしげに、そして感動に声を震わせているのが分かった。
ステージの上の湊兄さんは、流れる汗を拭いもせず、ただ真っ直ぐに前を見据えてスティックを振るっていた。その表情は真剣そのもので、心からこの瞬間を楽しんでいるようにも見える。蓮さんもまた、無口な彼らしいストイックさで指先を動かし、狂いのない重低音を刻み続けていた。
完璧な四人の呼吸。放課後、スタジオにこもって何度も音を合わせてきたというその言葉の重みが、一音一音から痛いほど伝わってきた。
会場のボルテージは一曲目にして最高潮に達し、生徒たちの歓声と拍手が地鳴りのように講堂を揺らす。
私は凛ちゃんと肩を並べ、圧倒的な光を放つステージを見つめながら、激しく胸を焦がされていた。自分の限界に挑み、仲間とともに最高の世界を創り上げている彼らの姿は、言葉にできないほど輝いていて――そして、私たちの心を強く震わせていた。
割れんばかりの歓声と、講堂全体を揺らすアンコールの手拍子。
ステージの熱気が最高潮に達する中、全4曲の演奏をすべて終えた四人が、晴れやかな笑顔でステージの最前列に並んだ。
中央でマイクを持った梓さんが、客席に向かって大きく手を振る。その視線が、最前列の端にいた私たちを見つけると、さらに優しく和らいだ。梓さんは隣の麻里奈さんと視線を交わし、それから少し後ろにいる湊兄さんと蓮さんを振り返って、心からの達成感を湛えた笑顔を見せていた。
「みんな、本当にありがとう! 最高に楽しかった!」
梓さんの言葉を合図に、講堂の照明がパッと明るくなり、割れんばかりの拍手が四人を包み込む。
ステージから降りていく彼らの背中を見送りながら、私と凛ちゃんはしばらくその場に立ち尽くし、ただただ胸を熱くさせていた。
「みゆちゃん、すごかったね……! お姉ちゃんも、湊先輩も蓮先輩も、みんな信じられないくらいカッコよかった……!」
「……本当に。鳥肌が止まらなかったわ。あんなに息の合った、圧倒的な演奏を見せてもらえるなんて」
凛ちゃんの手は、拍手のしすぎで少し赤くなっていたけれど、その表情はどこまでも誇らしげだった。
私たちは高鳴る胸を抑えながら、足早に退場する生徒たちの波をすり抜け、ステージ裏の楽屋口へと向かった。関係者以外立ち入り禁止の立て札があったけれど、さっき湊兄さんから許可をもらっていたので、少し緊張しながらドアをノックする。
「失礼します……」
ドアを開けると、そこにはまだ演奏の熱気が冷めやらない四人の姿があった。首にタオルをかけ、ペットボトルの水を飲む湊兄さんと蓮さん、そして衣装のままで談笑している梓さんと麻里奈さん。
「お姉ちゃん!」
凛ちゃんが真っ先に駆け寄ると、梓さんは「凛!」と表情を輝かせて妹を抱きしめた。
「観に来てくれたんだね、ありがとう! ちゃんと見えてたよ。……水瀬さんも、来てくれてありがとうね。湊と蓮のリズム隊、最高だったでしょ?」
「はい、本当に素晴らしかったです! 梓さんの歌声も、圧倒されて言葉が出ないくらいで……」
私が率直な感想を伝えると、梓さんは「ふふ、嬉しいな」と悪戯っぽく笑い、それから湊兄さんたちを振り返った。
「ほら、湊。妹ちゃんが褒めてくれてるよ。あんた、ステージの上じゃあんなに格好つけて叩いてたくせに、戻ってきた途端に黙り込んじゃってさ」
「……別に格好つけてなどいない。楽譜通りに叩いただけだ」
湊兄さんは少し照れくさそうに視線を逸らしながらも、私を見て「みゆ、来てくれてありがとうな」と、いつもの優しい声で言ってくれた。
「蓮さんも、ベースすごくカッコよかったです」
私が声をかけると、蓮さんはベースをケースに収める手を止め、視線を上げて、
「……楽しんでもらえたなら、良かった」
と、嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、みゆちゃん! 私たちも急いで教室に戻らなきゃ。美咲ちゃんたちが待ってるよ!」
「そうね。四人のステージでたくさんパワーをもらったから、今度は私たちが美味しい春巻きを揚げる番ね!」
私たちは四人に「明日も応援しています!」と伝え、名残惜しさを感じつつも楽屋を後にした。
2年Bクラスの教室に戻ると、美咲と佐藤くんが、文字通り戦場のような忙しさの中でフライヤーを回していた。
「あ! おかえり二人とも! お姉さんたちのライブ、どうだった!?」
「もう、言葉にできないくらい最高だったわ! 美咲、佐藤くん、交代ね。ここからは私たちが一気にラストまで駆け抜けるから!」
「おう、頼んだぜ! ちょうど材料の補充が必要なタイミングだ!」
私は再びエプロンをきゅっと結び直し、トングを握りしめた。
胸の奥には、まだ湊兄さんたちが刻んだ激しいビートの余韻が残っている。その熱量をそのまま料理への情熱に変えるように、私は黄金色の油の中へ、次々と春巻きを滑り込ませていった。
二日目の午後。星和祭の熱気はさらにその密度を増し、私たちの模擬店は、明日という最大の舞台「一般公開日」に向けて、最高の盛り上がりを見せながら初秋の夕暮れへと向かっていくのだった。




