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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第14章:春の嵐

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決戦前夜の静潔

二月に入ると、星和学院の空気はそれまでとは一変した。

立春を過ぎてもなお居座る寒波が、校舎の影を鋭く地面に縫い付けている。

朝、校門をくぐる際、否応なしに目に飛び込んでくる立て札が、平穏な日常の終わりを告げていた。


『高等部入学試験実施に伴う立入禁止区域について』


墨色の文字が、冷たい風に打たれて微かに震えている。



放課後のホームルーム、教壇に立つ担任の安藤先生の声が、いつもより厳かに教室に響く。


「……というわけで、明日はついに高等部の入試本番よ。中等部の生徒も、部活動を含めて校内への立ち入りは原則禁止となります。ですが中等部、高等部からボランティアを募集していて、試験会場の設営や、外部受験生の誘導、試験管の手伝いとして参加が可能です。参加する場合は星和の看板を背負う自覚を持ってね」


その言葉を聞いた瞬間、私の背筋が微かに震えた。

蓮さんが、この数ヶ月間、過酷なトレーニングの合間を縫って机に向かっていた姿が脳裏をよぎる。


(……ついに、明日なんだ。蓮さんの、星和受験)


私は迷うことなく手を挙げた。

「安藤先生、私……ボランティアに参加します」


先生は少し驚いたように眼鏡の奥の瞳を細めたが、すぐに温かく頷いてくれた。


「そう、水瀬さん。よろしくね。頼りにしてるわ」


放課後、校門の前で待っていると、隣の陽太が駆け寄ってきた。

「みゆ! お前、明日のボランティア申し込んだか?」

「もちらん。陽太も?」


「当たり前だろ! 蓮さんが戦うんだ、じっとしてられるかってんだ。俺も清水先生に……あ、隣のクラス先生な、とにかく速攻で申し込んできたぜ!」


陽太の瞳は、まるで自分が試合に出るかのように熱を帯びていた。けれど、帰り道の足取りはいつもよりどこか重く、落ち着かない様子だった。彼は何度も、私たちが住む住宅街の坂道の方角を気にしながら、白い息を吐き出した。


「みゆ、蓮さん……大丈夫かな。最近、夕飯の時以外ずっと部屋に籠もりっきりだっただろ? あんなに追い込んでて、体調とか崩してなきゃいいけど」


「……お姉ちゃんが徹底的に管理してるから、栄養面や睡眠は大丈夫だと思う。でも、あの集中力……見てるこっちが怖くなるくらいだったよね」


私たちはそれ以上言葉を交わさず、足早に水瀬家へ向かった。

住宅街の角を曲がると、夕闇の中にぽつんと灯る水瀬家の門灯が見えた。

その二階の一角だけが、青白い光を放っている。


玄関の扉を開けると、そこには言葉にできないほどの「密度」を持った静寂が充満していた。

いつもなら廊下まで漂ってくるお姉ちゃんの鼻歌も、湊兄さんがタブレットで試合動画を観る音も一切しない。ただ、時計の秒針が刻む音だけが、やけに鋭く耳を打つ。


「おかえりなさい、みゆ。静かにね」


キッチンから音を立てずに現れたお姉ちゃんは、人差し指を口に当てて微笑んだ。その手には、蜂蜜をたっぷりと溶かし込んだホットミルクのカップが握られている。


「蓮くん、最後の総仕上げに入っているわ。湊も、今は自分の部屋で静かにラケットの手入れをしてる。……今のこの家は、蓮くんのための『聖域』よ」


私は頷き、自分の部屋へ向かう階段をそっと登った。

二階の廊下の突き当たり、蓮さんが使っている書斎のドアは、わずかに数センチだけ隙間が開いていた。そこから漏れ出してくる気配は、かつてのコートで見せたあの「氷の貴公子」の威圧感そのもので、私は思わず足を止めてしまった。


「……みゆ?」


振り返りもせず、蓮さんが私の気配を察知した。その鋭敏な感覚に、背筋が微かに震える。


「あ……すみません、蓮さん。お邪魔しちゃって」


「いいんだ。ちょうど、最後の過去問を解き終えたところだから」


蓮さんはゆっくりと椅子を回し、眼鏡を外して目元を指先で揉んだ。その瞳は、連日の猛勉強で疲れ切っているはずなのに、不思議なほどに澄み渡り、研ぎ澄まされていた。


「明日……ですね。準備は、大丈夫ですか?」


「ああ。やるべきことはすべてやった。……皮肉なものだな。テニスを離れて机に向かう日々の中で、僕は湊がコートで見せている『極限の状態』というものを、ようやく理解できた気がする」


蓮さんは、机の上に山積みにされた、手垢で汚れた参考書に目を落とした。


「知識を詰め込むんじゃない。自分の中にある正解を、いかに効率よく引き出すか。……明日は、僕にとっての分岐点だ。星和高等部に入って、また湊と同じ景色を見るために」


「……待っています。明日の入試が終わったら、また一緒にテニスをしましょう。……あ、それと、私、試験会場のボランティアに申し込んだんです。だから、近くにいますから」


私の言葉に、蓮さんは少し意外そうに目を見開いたが、すぐにいつもの穏やかで、けれど熱の籠った微笑みを浮かべた。


「そうか。……心強いな。みゆが近くにいてくれるなら、最高の結果が出せそうだ」


その時、ドアを控えめにノックする音が響き、湊兄さんが姿を現した。


「考えることはみんな同じだな」


湊兄さんは腕を組み、不敵な笑みを浮かべていた。その手には、明日の持ち物リストが記されたプリントが握られている。


「俺も明日、ボランティアとして参加する。会場設営や案内なら、内部進学が決まっている俺が動くのが一番合理的だからな。……蓮、お前を一人で戦場に行かせるほど、俺は薄情じゃないぞ」


「……湊」


「明日の朝は、みんなで学校へ向かう。姉さんの作った朝飯をしっかり食ってな。お前の学力なら、大丈夫だ。いつも通りにやれ」


湊兄さんの言葉に、蓮さんは力強く頷いた。


夕食の時刻。ダイニングルームの扉を開けると、そこにはいつも以上にスパイシーで、食欲をダイレクトに刺激する香りが立ち込めていた。


「さあ、今夜はこれよ。しっかり食べてね」


お姉ちゃんが少しだけ悪戯っぽく、けれど慈愛に満ちた微笑みを浮かべてテーブルに置いたのは、色鮮やかな野菜が添えられた特製のカツカレーだった。


「……カツカレー、ですか。雫さんにしては、珍しく王道ですね」


蓮さんが少し驚いたように目を細める。普段、栄養バランスや消化の良さをミリ単位で計算するお姉ちゃんが、あえてこのメニューを選んだ意図を察したようだ。


「ふふ、そうね。少しありきたりな願掛けだけれど……。やっぱり明日は、自分に『勝つ』、そして試験に『勝つ』。そういう勢いが必要だと思ったの」


お姉ちゃんは「ふふっ」と含み笑いを漏らしながら、蓮さんのコップにお水を注いだ。


「もちろん、ただのカツじゃないわよ。豚肉は疲労回復のビタミンB1が豊富なヒレ肉を厳選して、衣は油を吸いすぎないように工夫してあるわ。ルーもスパイスから調合して、脳の血流を良くするように調整済み。……完璧な『勝負飯』よ」


「……恐れ入りました。これ以上の後押しはありませんね」


蓮さんは感謝を込めるようにスプーンを動かした。サクッという心地よい音が静かな部屋に響く。一口運ぶごとに、蓮さんの表情から冷たい緊張が剥がれ、戦士としての「熱」が内側から満たされていくのが分かった。


「……美味いな。雫さんの料理は、いつも僕たちの身体が必要としているものを的確に補ってくれる」


「当然よ。受験もテニスも、最後は身体のコンディションが思考のキレを決めるんだから。みゆ、湊。あなたたちも明日は学校の『顔』として立つんだから、残さず食べなさい。蓮くんが余計な雑念を抱かずに試験に集中できる環境を作る……それがあなたたちの任務よ」


「わかってる。……裏方は俺たちに任せてくれ」


湊兄さんがカレーを口に運び、不敵に笑う。その視線は、向かい側に座る蓮さんの瞳と真っ直ぐにぶつかった。


「蓮。明日の試験会場、案内係の配置は俺が把握している。お前はただ、目の前の白紙を自分の色に染めてくればいい」


「……ああ。お前を待たせすぎるつもりはないさ、湊。三年前に交わした約束……同じ制服を着て、同じコートで世界を獲る。その第一歩が、明日の朝、校門をくぐるところから始まるんだからな」


蓮さんの声には、いつもの氷のような冷徹さではなく、内側から燃え上がるような熱い意志が宿っていた。


夕食を終え、蓮さんが再び「最後の確認」のために二階へ戻った後。

私は自分の部屋で、明日着ていく制服にアイロンをかけた。ピシッと伸びた襟元を見つめながら、陽太の瞳や、蓮さんの澄んだ眼差しを思い出す。


「……最高のチームになるね。兄さんも、蓮さんも……もちろん、陽太も」


独り言は、冬の夜の静寂に溶けていった。

窓の外では、雪を予感させる冷たい風が吹いていたけれど、水瀬家のリビングから続く空気は、どこまでも温かく、力強い決意に満ちていた。


「……おやすみなさい、蓮さん。明日、学校で待っています」


私は電気を消し、静かに目を閉じた。

春の嵐が吹き荒れる前の、あまりに静かな、けれど情熱に満ちた決意の夜が更けていく。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。



受験前夜です。

湊も同じ三年生ですが、内部進学確定しているので、今回は裏方に回ります。

学校によってはクラス分けのために内部進学者も形式だけは受験を行うところもあるようですね。


次は、試験当日:それぞれの場所での戦い。試験会場の蓮と、設営・案内を務めるみゆと湊 です。

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