共鳴する波紋
星和学院のテニスコートは「西園寺合宿組」が持ち帰った異様な熱気に包まれていた。視聴覚室での解析討論を終えた直後の放課後。その喧騒から少し離れたコートの端で、湊兄さんが腕を組み、私のストロークをじっと見つめていた。
「……なるほど。鳳仙雅の『個の暴力』を受け流すのではなく、その重さを自身の『波紋』に取り込み、指向性を持たせて増幅させているのか」
湊兄さんの独り言のような呟きに、私はラケットを止めて振り返った。
「兄さん……分かるの?」
「ああ。以前のお前のテニスは、相手の予測を狂わせる『揺らぎ』だった。だが今は違う。相手の打球が強ければ強いほど、お前の放つ波紋は鋭く、重いカウンターとなって相手を射抜く。……白河こころを負傷させたのは、その制御しきれなかったエネルギーの暴発だろう」
湊兄さんの言葉は、相変わらず鋭く的確だった。
「陽太。お前も今のを見たな」
湊兄さんに促され、男子部員たちの練習を切り上げて歩み寄ってきた陽太が、私の隣に立った。U-17世界大会に向けて湊兄さんの「地獄」の調整に付き合っている今の陽太には、かつての迷いなど微塵もない。その瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭く研ぎ澄まされている。
「はい。みゆのショット……秋の時とは、もう次元が違う」
「今の陽太なら、この『進化した波紋』をどう料理する? ……蓮の意見も聞きたいところだが、奴は家で受験勉強に集中させている。今日は俺がお前たちの『進化』を直接見届けるアドバイザーだ。一セット、マッチを行え。男女の差など、今の二人には無意味だ。互いの成長を、その身体に刻み込め」
湊兄さんの提案に、周囲の部員たちがざわめき立った。
かつて秋の登校日、圧倒的な実力を見せつけた陽太に、私が挑んで完敗したあの試合。けれど、今の私はあの時の私ではない。白河さんから届いたDVDの解析を経て、進むべき道は見えている。
「陽太。……リベンジさせてもらうよ。本気で行くから」
「……ああ。俺も、今の自分の全力をぶつける。それがみゆへの礼儀だ」
二人がコートの対角線上に立つ。
審判台には佐藤健二くんが座り、隣の女子コートからは春花部長や莉奈たちが見守っている。
「第1ゲーム、水瀬みゆサーブ!」
健二くんのコールと共に、私はトスを上げた。
私のサーブ自体には、陽太のような爆発的な速度はない。あくまで丁寧なプレースメントを重視した一打。けれど、それは「相手に強く打たせる」ための、計算された誘いでもあった。
「……っ、来いッ!!」
陽太が鋭く踏み込み、強引にリターンを叩き込んでくる。
今の陽太のリターンは、女子部の誰よりも速く、重い。だが、私の瞳はその弾道を、かつてないほど冷静に捉えていた。
(……待っていたよ、その強打を)
私は一歩も下がらず、陽太の放ったエネルギーの塊を、ラケット面で「波紋」へと変換する準備を整えた。秋の日の再現――けれど、漂う空気の重厚さは、あの日とは比較にならないほどに膨れ上がっていた。
陽太のリターンが、唸りを上げて私の足元を襲う。
私はDVDで解析した「鳳仙さんの重圧を利用する感覚」を、陽太の打球に重ね合わせた。ボールの威力を逃がさず、ラケット面を滑らせるように振動を付加する。
「……はぁっ!」
私の放ったカウンターは、陽太の予測をわずかに外れる軌道でサイドライン際を射抜いた。
しかし、陽太は動じない。彼は視聴覚室での討論で、私の『波紋』の癖をすでに頭に叩き込んでいる。
「……見えてるよ、みゆ!」
陽太は、ボールが変化する前の軌道を追うのではなく、変化した「後」の着弾点へ、超感覚を研ぎ澄ませて踏み込んできた。
試合が進むにつれ、陽太の動きが秋のあの日のように加速していった。私の予備動作を完璧にトレースし、思考の先を打つ「超感覚」。私がフォアへ踏み込もうとした瞬間、陽太はあざ笑うように逆サイド、バックの極限を射抜く弾丸を放ってきた。
(……読まれてる。でも、それでいい)
私は焦らなかった。白河さんの精密な「システム」と対峙し続け、さらに先ほど視聴覚室で彼女の視点から自分の弱点を客観視した日々が、私に冷徹な計算をもたらしていた。
陽太の打球が速ければ速いほど、強ければ強いほど、私の『波紋』は牙を剥く。
「……はぁっ!」
私は無理に打ち返そうとはせず、ボールの回転と威力をラケット面で「受け止める」ように滑らせた。鳳仙雅の重圧をいなしてきたあの感覚。陽太の強打のエネルギーをそのまま吸収し、不規則な振動を与えて対角線へと増幅させる。
「なっ……曲がるのか、空中で!?」
陽太が目を見開く。直線的だったはずの返球が、ベースライン際で急激に外側へと逃げていく。陽太が予測した着弾点から、ボール二個分。そのわずかな「揺らぎ」こそが、白河さんの解析データを上書きするために私が導き出した答え。彼の精密な超感覚を、そのわずかなズレが狂わせた。
「ゲームセット、水瀬みゆ。6-4!」
健二くんの震えるようなコールが響き渡った瞬間、コートを支配していた異様な緊張が解け、一転してどよめきが沸き起こった。
「マジかよ……選抜合宿で格段に腕を上げて帰ってきた河村を、女子の水瀬さんが正面から破ったぞ!」
男子部員の二年生たちが、信じられないものを見たという顔で立ち尽くしている。
「ただの偶然じゃない。あの最後の一本、河村の予測を完全に外して逆を突いた。女子部には、いつの間にあんな化け物が潜んでたんだ……?」
佐久間部長の隣で、大野先輩もまた、驚愕を通り越して感心したように深く息を吐いた。
女子部のコートからも、莉奈や美咲たちが歓声を上げている。
「みゆ、凄すぎる! あの陽太くんを圧倒しちゃうなんて!」
「西園寺での経験が、完全にみゆさんを変えたわね……」
春花部長は、手元のスコアブックを見つめながら、誇らしげに、けれど身が引き締まるような表情で呟いた。「私たちも、うかうかしていられないわ。みゆさんの『波紋』が星和の新しい武器になるなら、私たちはそれを支える盤石なチームを作らなきゃ」
陽太は肩で息をしながら、ネット際まで歩み寄ってきた。ラケットを握っていた手は微かに震えている。私の『波紋』を打ち返し続けた衝撃が、彼の腕に蓄積していた。
「……完敗だ。みゆ、本当に……凄すぎるよ」
「陽太の球が速かったからだよ。……私のテニスは、相手が強くなければ、こんなに鋭くはなれないから」
私が微笑むと、コートの端で静かに見守っていた湊兄さんがゆっくりと歩み寄ってきた。
「……合格だ。みゆ、お前の波紋はもはや単なる攪乱ではない。相手の力を利用し、その予測という『殻』を内側から破壊する概念へと昇華されている。陽太、お前の超感覚が通じなかったのは、みゆが『読ませる情報』そのものに波紋を混ぜていたからだ」
「……読ませる情報に、波紋を……。なるほど、だから俺の勘が狂わされたのか」
陽太は悔しそうに顔を歪めたが、すぐに晴れやかな笑顔で私の目を見つめた。
「でも、次は負けない。みゆが強くなるなら、俺はもっとその先へ行く」
「ええ、望むところだよ」
部活の片付けを終え、私たちは熱烈な視線を送る部員たちに見送られながらコートを後にした。
夕暮れ時。部活を終えた私たちは、夕飯を作って待っているお姉ちゃんのもとへ、そして受験勉強に励んでいるはずの蓮さんのもとへ帰るべく、並んで歩き出した。
茜色に染まる住宅街。街灯が一つ、また一つと灯り始める。
「……ねえ、陽太。さっきの最後の一本、どうしてあっちに打つって分かったの?」
「……勘だよ。みゆとずっと一緒にいるから、理屈じゃなくて、心が動く方向が見えた気がしたんだ」
陽太は少し照れくさそうに笑い、私の指先に自分の指を絡めてきた。秋の日よりも少しだけ大きく、逞しく、そしてマメで硬くなったその掌の温もりが、私の『波紋』を優しく鎮めていく。
私たちは繋いだ手を離さないまま、温かな光の灯る水瀬家への帰路についた。
おはようございます。
作者のFERILUです。
『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』
を読んでくださりありがとうございます。
さてさて、次は水瀬家での夕食。
受験勉強中の蓮との再会と、白河こころへの返信を考えるみゆ です。




