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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第12章:女王の城

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三日月の誓い

重い扉がゆっくりと開き、独特の薬品の匂いとともに、西日が差し込む静かな空間が広がった。


病室の中央。真っ白なシーツに包まれたベッドの上で、白河さんは上体を少しだけ起こし、窓の外を眺めていた。左足は無機質なギプスで固定され、高い位置に吊るされている。その光景の痛々しさに、私は入り口で足がすくみ、一歩も動けなくなった。


「……あら。二人とも、そんなにお通夜みたいな顔をしないで。私は死ぬわけじゃないのよ?」


白河さんがゆっくりとこちらを向き、いつもと変わらない、穏やかで気品のある微笑みを浮かべた。その声は少しだけ掠れていたけれど、凛とした響きを失っていなかった。


「……こころ。医者の話を聞いたか」


鳳仙さんが、私の横を通り過ぎてベッドの傍らへ歩み寄る。その背中は、まるで崩れそうな何かを必死に支えているかのように強張っていた。


「ええ。全治二ヶ月。……幸い、骨にヒビが入っただけで、靭帯じんたいまではいっていなかったわ。リハビリ次第では、夏の全国大会には間に合うって。執刀医の先生も、私の『システム』を再構築するいい休養だと思って頑張れって、励ましてくれたのよ」


「二ヶ月……」


私はその場で、絞り出すように呟いた。

二ヶ月。それは、練習に復帰できるまでの最短期間だ。その間、彼女はコートに立つことも、ラケットを握ることも、仲間と汗を流すこともできない。何より、西園寺の精密な「組織」を司る彼女にとって、この空白は計算外の致命的なエラーのはずだった。


「……ごめんなさい、白河さん。私の、あの『波紋』が……。あなたの足を、奪ってしまった。私が、あなたたちの時間を……台無しにしてしまった……」


私は白河さんのベッドサイドに駆け寄り、膝をつくようにして深く頭を下げた。堪えていた涙が、シーツに点々と濃い染みを作っていく。


「……謝らないで、みゆさん。顔を上げて」


不意に、温かな、けれど少しだけ指先が強張った白河さんの手が、私の震える頭をやさしく撫でた。


「……驚いたわ。あなたのあのショット、私の計算システムを完全に振り切っていた。……雅さんのパワーをすべて利用して、一点に収束させる。あんなに純粋で、あんなに容赦のないテニス、私、初めて見たもの」


白河さんは、痛みを堪えるように少しだけ眉を寄せながらも、誇らしげに目を細めた。その瞳には、怪我の絶望よりも、未知の領域に触れた者特有の、純粋な好奇心が宿っていた。


白河さんの細い指先が、私の髪をそっとなぞる。その感触は驚くほど穏やかで、かえって私の胸を締め付けた。


「……悔しいけれど、あの瞬間、私は確かに『負けた』と思ったわ。でも、それと同時にワクワクしたの。……ああ、この人を倒すために、私はもっと強くなれるんだって」


白河さんは、窓から差し込む夕陽を眩しそうに細めた。

「二ヶ月なんて、私にとってはデータを見直す絶好の休息よ。地獄のようなリハビリだって、あなたのあの『波紋』を完璧に封じ込めるためのプロセスだと思えば、なんてことはないわ。私の計算機は、まだ壊れてなんていないもの」


その言葉には、怪我人特有の悲壮感は微塵もなかった。あるのは、再構築への執念。

彼女は、傷ついた戦士として同情されることを、何よりも嫌っているのだと悟った。


「雅さん」

白河さんの視線が、ベッドの傍らで拳を握りしめる鳳仙さんへと移る。

「……あの子たち(西園寺の部員)を、よろしくお願いします。私がいない間、誰がシステムを支えるべきか、彼女たちに『答え』を出させてあげて。特に黒江さん……彼女には、私の背中ではなく、自分の足元を見つめるように伝えて」


「……分かっている。貴様の席を空けたままにはせん。……這ってでも戻ってこい、こころ。貴様のいない西園寺など、ただの暴徒の集団に過ぎんからな」


鳳仙さんは不器用な手つきで、ギプスのない方の白河さんの肩を一度だけ強く叩いた。それは、西園寺の「双璧」として歩んできた二人だけの、言葉を超えた誓いの儀式のように見えた。


「……みゆさん」

再び、白河さんの涼やかな瞳が私を捉える。

「……責任を感じるなら、一つだけ約束して。……全国大会の決勝まで、絶対に、何があっても勝ち上がってきなさい」


白河さんの声に、微かな熱が帯びる。

「そこで、完治した私の『システム』で、あなたのその『波紋』を今度こそ完全に、完璧に、飲み込んでみせるから。……もしあなたが途中で負けるようなことがあれば、私はこの怪我を、一生あなたのせいにし続けるわよ?」


それは、最高に意地悪で、最高に温かな「脅迫」だった。

私が崩れ落ちることを許さない。立ち止まることを認めない。

彼女は、自らの傷を盾にして、私をさらに高いステージへと押し上げようとしていた。


「……はい」

私は袖で涙を拭い、彼女の瞳を逃げずに見つめ返した。

「……約束します。……必ず、全国の舞台で、最高の『波紋』を持って待っています。……だから、白河さんも……」


「ええ。最高の復讐劇を、楽しみにしていて」


白河さんは悪戯っぽく微笑み、再び窓の外を見やった。その横顔は、沈みゆく太陽の光を浴びて、神々しいほどに研ぎ澄まされていた。


「……それじゃあ、行くね。白河さん」


私は、名残惜しさと決意が混ざり合った複雑な心境で、白河さんのベッドサイドから一歩下がった。白河さんは、ギプスの重みを感じさせない優雅な仕草で小さく手を振り、再び窓の外……赤く燃える夕焼け空へと視線を戻した。その横顔は、すでにリハビリという名の孤独な戦いを見据えているようだった。


病室の重いドアが静かに閉まり、再び無機質な廊下の静寂に包まれる。


「……水瀬」


隣を歩く鳳仙さんが、不意に足を止めた。彼女の視線は前方を見据えたままだが、その声には、先ほどまでの刺すような鋭さはなく、どこか深く、重厚な響きがあった。


「……こころが貴様にかけた言葉。あれは同情でも、単なる励ましでもない。……『呪い』だ」


「呪い……?」


私が戸惑いながら見上げると、鳳仙さんはゆっくりと私の方を向き、その大きな掌を私の肩に置いた。


「そうだ。貴様が立ち止まることを許さぬ、残酷なまでの期待という名の呪いだ。……西園寺の双璧を崩し、その一角を物理的に奪った。その罪をあがなう唯一の方法は、貴様が頂点に立ち続けること以外にない。……もし貴様が全国の舞台に届かぬようなことがあれば、私は貴様を一生許さん」


鳳仙さんの言葉は、峻厳な滝に打たれるような厳しさがあった。けれど、その掌から伝わる熱は、私を独りにしないという「王者」なりの連帯感のようにも感じられた。


「……鳳仙さん。私、逃げません。白河さんの二ヶ月を背負って、必ず……。……星和の『波紋』を、全国に轟かせてみせます」


「ふん……。その意気だ。……行け、仲間が待っている」


鳳仙さんは顎で出口を指した。

病院の玄関ホールに出ると、そこには春花部長を筆頭に、美咲、莉奈、奈緒……星和の全員が、不安そうな表情で立ち尽くしていた。私の姿を見つけるなり、美咲が駆け寄ってくる。


「みゆ! 白河さんは!? 大丈夫だったの!?」


「……全治、二ヶ月だって。でも……」


私はみんなの顔を一人一人見つめた。みんなの瞳には、私を責める色は微塵もなかった。ただ、私の痛みを分かち合おうとする、温かな光だけがそこにあった。


「……彼女、笑ってた。全国で待ってるって。……だから私たち、絶対に負けられない。……もう、迷ってる暇なんてないんだよ」


私の言葉に、春花部長が深く、力強く頷いた。

「ええ。行きましょう、みゆ。私たちの『波紋』が、どこまで届くのか。……本当の戦いは、ここからよ、それと、私は白河さんに少しお話してくるくるからみんなは先に駐車場で待ってて」


病院の駐車場。冷え込み始めた夜風が頬を叩く。

私は一度だけ振り返り、白河さんのいる病室の窓を見上げた。

三日月が、鋭いナイフのような光を放ちながら、私たちの行く先を静かに照らしていた。


合宿は、最悪で最高の幕引きを迎えた。

私の胸には、消えることのない後悔と、それを上回るほどの「青い炎」が、静かに、けれど激しく灯っていた。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


病院での会話、そして次の大会での再戦の約束。

次は星和への帰還:湊、そして陽太への報告のエピソードになります。

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