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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第12章:女王の城

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白の静寂

遠くから近づいてくるサイレンの音が、冬の澄んだ空気を切り裂いていた。


西園寺女子中等部のテニスコート。つい数分前まで熱狂と闘志が渦巻いていたその場所は、今や凍りついたような沈黙に支配されている。コートの中央では、白河さんが苦痛に顔を歪め、地面に横たわっていた。


「……っ、こころ! しっかりしろ!」


鳳仙さんの、これまでに聞いたこともないような悲痛な叫びが響く。彼女は白河さんの傍らに膝をつき、その震える肩を支えていた。白河さんの左膝は、見る間に赤黒く腫れ上がり、彼女の白い肌とのコントラストが、事態の深刻さを無機質に告げている。


「……ごめんなさい……ごめんなさい、白河さん……!」


私は、自分のラケットをどこに置いたのかさえ覚えていない。ただ、ガチガチと鳴る奥歯を必死に抑え、彼女のそばへ駆け寄ることしかできなかった。


私の放った『波紋』。鳳仙さんの剛球を吸収し、極限まで増幅させたあの一撃が、親愛なるライバルの身体を内側から破壊してしまった。その事実が、鋭いナイフとなって私の胸を幾度も突き刺す。


「……救急車、来ました!」


美咲の叫び声とともに、白い車体がコートの脇へと滑り込んできた。ストレッチャーが運び出され、救急隊員たちの無機質なやり取りが始まる。


「……水瀬、さん」


ストレッチャーに乗せられる間際、白河さんが微かに目を開け、私の名を呼んだ。その瞳は、激痛に耐えながらも、驚くほど澄んでいた。


「……泣かない……で。……あな、たの……せいじゃ……」


「白河さん! 喋っちゃダメです!」


私は彼女の冷たくなった手を、縋るように握りしめた。


「……鳳仙さん、私も……私も行かせてください! 私が、やったんです……私が付き添わなきゃ……!」


取り乱す私を、雅さんが強い力で制した。

「……水瀬。貴様が行って、何ができるというのだ」


「でも……!」


「……来い。貴様がその目で、こころの『覚悟』を最後まで見届ける責任がある」


鳳仙さんの瞳には、怒りでも悲しみでもない、底知れない「虚無」が宿っていた。

私たちは、救急車の後部座席に乗り込んだ。

走り出した車内。規則的に点滅する赤い警告灯が、車内を不気味に照らし出す。


ガタン、と車体が揺れるたび、白河さんの口から小さな喘鳴が漏れる。

その音を聞くたびに、私は自分の指先を真っ白になるまで握りしめた。


(……テニスなんて、しなきゃよかった。こんなに誰かを傷つけるくらいなら……!)


救急車の中で、私は初めて、自分が手に入れた「力」の正体に恐怖を感じていた。

湊兄さんが教えてくれた、あの美しい波紋。それは、使い道を誤れば、大切な人の未来さえも容易く断ち切ってしまう「凶器」だったのだ。


サイレンの音だけが、絶望的なまでに鳴り響き続けていた。


病院の自動ドアが開いた瞬間、消毒液の鼻を突く匂いが押し寄せた。

ストレッチャーに乗せられた白河さんは、そのまま無機質な処置室の奥へと吸い込まれていく。扉が閉まる間際、彼女の指先が力なく垂れ下がった光景が、私の心臓を冷たく締め付けた。


「……こちらでお待ちください」


看護師さんの静かな声に促され、私と鳳仙さんは診察室前のベンチに腰を下ろした。

廊下の天井から降り注ぐ蛍光灯の光は、あまりにも白く、残酷なほどに私たちの汚れを浮き彫りにする。ユニフォームに付着したコートの土、汗で張り付いた髪、そして……ラケットを握り締めていた手のひらの赤み。


「……はぁっ、はぁっ……」


自分の呼吸が、耳障りなほど大きく聞こえる。

隣に座る雅さんは、微動だにせず正面の壁を見つめていた。組んだ腕の指先が、ユニフォームの生地に深く食い込んでいる。


「……鳳仙さん。私、私は……」


声を絞り出そうとしたが、喉の奥が熱く焼けて、言葉が形にならない。

私の放ったあの『波紋』。鳳仙さんの剛球を吸収し、極限まで加速させたあの一撃が、親愛なるライバルの身体を内側から破壊してしまった。その事実が、鋭いナイフとなって私の胸を幾度も突き刺す。


「……黙れ、水瀬」


鳳仙さんの声は低く、地を這うような響きだった。怒りというよりは、自分自身を律しようとする凄絶なまでの意志が感じられた。


「……起きた事象を、安っぽい同情で汚すな。あれは、私とこころが貴様に強いた結果だ。極限を超えさせたのは私たちであり、その帰結を受け止めるのも私たちだ。……貴様一人が背負えるほど、西園寺の覚悟は軽くはない」


「でも……! 白河さんは、あんなに……あんなに苦しそうに……!」


「……それが勝負の世界だ」


鳳仙さんが、ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、射抜くような鋭さと、底知れない「虚無」が混在していた。


「……強さを求めた果てには、必ず代償が伴う。貴様のその『波』……あれはもはや、誰かと繋がるための温かな調べではない。……対峙する者を完膚なきまでに打ち砕く、暴力的なまでの純粋な『力』だ。……皮肉なものだな。貴様が最も敬意を払うべき相手を、その手で地に伏せさせるとは」


鳳仙さんの言葉が、私の心の一番柔らかい場所を容赦なく抉った。

視界が急激に歪み、大粒の涙が甲に落ちた。私は膝に置いた拳を、爪が食い込むほど強く握りしめた。


(……兄さん。私、間違っちゃったのかな。強くなるって、こういうことなの……?)


「……いいか、水瀬。ここで貴様の心が折れれば、こころの負傷はただの無駄骨に終わる」


鳳仙さんが私の肩を、痛いほどの強さで掴んだ。

「……泣くな。その眼に焼き付けておけ。貴様が壊してしまったものの重さと、それでもなお、貴様をライバルと認めて笑おうとする者の気高さをな」


廊下の奥から、規則正しい足音が近づいてくる。

診察室の重いドアが開き、マスクをつけた医師が私たちのもとへ歩み寄ってきた。私は弾かれたように立ち上がり、鳳仙さんはベンチに深く座り込んだまま、その視線だけを鋭く医師へと向けた。


「……鳳仙さんと、水瀬さんですね」


医師は手元のカルテに目を落とし、少しだけ声を和らげて話し始めた。


「検査の結果が出ました。左膝の膝蓋骨しつがいこつに亀裂骨折が見られます。……いわゆる、骨にヒビが入った状態です」


「……っ!」


私の喉から、短い悲鳴のような息が漏れた。鳳仙さんの背中が、一瞬だけ目に見えて強張る。


「不幸中の幸いと言うべきか、衝撃の角度がわずかに逸れていたようです。靭帯じんたいや関節の軟骨への深刻なダメージは免れました。……全治、二ヶ月。リハビリは相当な努力が必要になりますが、夏の大舞台……地区大会には、間に合わせることは可能でしょう」


「……二ヶ月」


鳳仙さんが、絞り出すような声で繰り返した。

その言葉の重みに、私はめまいを覚えた。テニスプレイヤーにとっての二ヶ月。それは単なる時間の経過ではない。感覚を研ぎ澄ませ、肉体を追い込み、仲間と呼吸を合わせるはずだった、かけがえのない「日常」が失われることを意味していた。


(……私のせいだ。私が、彼女の二ヶ月を奪ったんだ。夏の大会まで、彼女はどれほどの不安と痛みに耐えなきゃいけないの……?)


安堵よりも、さらに深い後悔の波が私を飲み込もうとしていた。鳳仙さんは一度だけ、壁を拳で強く叩いた。その鈍い音は、自分たちの「完璧なシステム」に生じた致命的な亀裂への、やり場のない怒りのようにも聞こえた。


「……面会は、短時間なら許可します。ただし、彼女はまだ痛みも強く、精神的にも疲弊しています。感情的になりすぎないように」


医師の言葉に、私は震える足で一歩を踏み出した。

目の前にある白いドア。その向こうには、私が傷つけてしまったライバルが待っている。


「……行くぞ、水瀬」


鳳仙さんが、いつの間にか私の隣に立っていた。彼女の瞳は、再び「西園寺の王者」としての冷徹な輝きを取り戻そうとしていたが、その指先はまだ、ユニフォームの裾を強く握りしめたままだった。


「……謝罪など、こころは求めていない。……ただ、貴様のその『眼』を見せに行け」


私は深く息を吸い込み、冷たいドアノブに手をかけた。

カチリ、という乾いた音が、静かな病院の廊下に響き渡った。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


病院へ、そして診断結果を待つ間の話です。

次は病室での再会:白河こころの微笑みと、みゆの決意です。

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