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神様の身代わり ―光の兄と、罪の妹―  作者: FERILU
第12章:女王の城

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波紋の浸食

昼食後の穏やかな余韻を切り裂くように、西園寺女子のメインコートには再び張り詰めた空気が満ちていた。鳳仙さんの指名により、私は西園寺のレギュラー陣と一人ずつ、一対一の形式で対峙することになった。


コートの反対側に立つのは、一年生レギュラーの黒江くろえ瑠璃るりさん。

「……よろしくお願いします」

短く切り揃えられた黒髪に、一切の揺らぎがない漆黒の瞳。彼女のテニスは、白河部長の精密さに加え、相手のミスを虎視眈々と待つ「静かなる忍耐」に満ちている。


ラリーが始まると、黒江さんの返球は驚くほど「正しい」コースを突いてきた。私は兄さんとの特訓を思い出しながら、その軌道を『波紋』で捉えようとする。


(……でも、これ以上踏み込んだら、彼女たちの自信を奪いすぎてしまうかも)


無意識のうちに、私の動きに「迷い」が生じていた。ここは敵地であり、彼女たちは白河さんや鳳仙さんの大切な部下だ。あまりに無慈悲にそのプライドを解体することに、心のどこかでブレーキがかかっていた。


私のリターンは、彼女のシステムを乱さない程度の、無難な配球に収まっていた。黒江さんはそれを完璧に処理し、淡々と、計算通りのラリーを繋いでくる。


その時だった。


「……水瀬ッ!!」


隣のコートで白河さんと打ち合っていた鳳仙さんの怒号が、鼓膜を劈いた。

ラリーを中断し、反射的にそちらを向くと、鳳仙さんが鬼気迫る表情でこちらを睨みつけていた。


「貴様、私との約束を忘れたか! 誰が『手加減』をしろと言った!」


「あ……」


鳳仙さんはラケットを握りしめたまま、私のコート際まで歩み寄ってきた。


「今の貴様がやっているのは、練習ではない。ただの『接待』だ。そんな生ぬるい球を打って、西園寺の部員が何を学べると思っている! それは彼女たちが積み上げた『正しさ』に対する、最大級の侮辱だぞ」


その言葉は、私の胸の奥に冷たい刃のように突き刺さった。


「私が貴様に相手を頼んだのは、貴様の『異質さ』で彼女たちのシステムを内部から崩壊させるためだ。水瀬、貴様は星和のエースだろう。ならば、その『波』でこの城を飲み込んでみせろ。……力でねじ伏せる必要はない。ただ、彼女たちの『逃げ場』をすべて奪ってみせろ!」


鳳仙さんの背後で、黒江さんが静かにラケットを握り直すのが見えた。彼女の瞳には、怯えではなく、明確な「渇望」が宿っていた。


「……すみませんでした」


私は深く頭を下げ、再び構えに入った。

迷いは消えた。今の私にできる最大の敬意は、彼女たちが信じる「最適解」を、完膚なきまでに無力化することだ。


私の瞳に、水色の色彩が深く沈み込んでいく。


「……行きます、黒江さん。本気で」


「……はい。望むところです」


黒江さんの短い返事。

次の瞬間、私のラケットから放たれたボールは、速くも重くもなかった。

しかし、それはテニスコード全体を見通し、黒江さんが「最も打ちたくない」場所へと、吸い込まれるように滑り込んでいった。


「……っ、どうして!?」


黒江さんの絞り出すような声が、コートに虚しく響いた。

彼女が放つ、針の穴を通すような精密なショット。西園寺の「正解」に基づいたその一打一打が、私のラケットに吸い込まれるたび、彼女の意図とは正反対の「牙」へと変貌していく。


私の『波紋』は、力でねじ伏せる力ではない。

相手が込めた威力、回転、コース。そのすべてを水面に広がる波のように受け流し、相手が最も嫌がる一点へと収束させる。


「……また、逆光のコース」


黒江さんが必死に食らいつくが、彼女が動く先には、常に私の「罠」が仕掛けられていた。

私が打つボールは速くない。しかし、どんな回転や威力も受け流し、黒江さんの完璧なフォームをミリ単位で狂わせていく。


(……見える。彼女の『予測』が、私の動きに誘導されている)


私が一歩左に動けば、彼女は無意識に右へ打たされる。

私がラケットをわずかに寝かせれば、彼女はロブを上げざるを得なくなる。

それはまるで、見えない糸で操られているかのような、逃げ場のない「支配」。


「黒江! 思考を止めるな! 水瀬の『リズム』に合わせるのではなく、自分から壊しに行け!」


隣のコートから鳳仙さんの檄が飛ぶ。

黒江さんは歯を食いしばり、西園寺のシステムを超えた強引な強打で局面を打開しようとした。パワーで『波紋』を断ち切ろうとする、彼女なりの抗い。


だが、私はその剛速球を、柳に風と受け流した。

ボールの勢いを利用し、最短距離のクロスへと優しく「置く」。


「……あっ」


黒江さんの足が、逆を突かれて止まった。

ボールは音もなくコートの隅で弾み、彼女の手の届かない場所へと消えていく。


「……これが、水瀬みゆ……」


黒江さんの漆黒の瞳に、初めて戦慄の色が走った。

一人、また一人と西園寺のレギュラー部員が交代で私に挑むが、結果は同じだった。彼女たちが「正しい」と信じて打ち込むショットこそが、私にとって最大の武器になる。


西園寺の誇る鉄壁のシステムが、私の『波紋』という異物に浸食され、内部から音を立てて軋み始めていた。


「……ふん。ようやく『エース』らしい顔になったな」


鳳仙さんが、白河さんとのラリーを続けながら、口角をわずかに上げた。

彼女の眼差しは、西園寺の部員たちが打ちのめされる様子を冷徹に見守りながらも、その奥には、未知の強敵を育て上げているような、歪で巨大な期待が渦巻いていた。



「……そこまで!」


マネージャーの張りのある声が、夕闇の迫るコートに響き渡った。その瞬間、張り詰めていた空気の糸がぷつりと切れ、西園寺のレギュラー陣はその場に崩れ落ちるように膝をついた。


一人で数人を相手にし続けた私のラケットを持つ手も、微かに震えている。けれど、それ以上にコートの向こう側に漂う沈黙は重かった。黒江さんは荒い息をつきながら、自分の手のひらを凝視している。彼女たちが積み上げてきた「正解」という名の城は、私の『波紋』によって跡形もなく浸食され、今はただ静かな砂上の楼閣と化していた。


「……信じられない。一度も、自分のリズムで打たせてもらえなかった」


黒江さんの呟きは、絶望というよりは、未知の深淵に触れた者の畏怖に近かった。


「……ごめんなさい、黒江さん。私……」

「謝らないでください」

黒江さんが顔を上げ、漆黒の瞳で私を射抜いた。

「……悔しいけれど、清々しいです。自分のシステムが通用しない場所があることを知って、初めて……本当のテニスが始まった気がします」


彼女の言葉に、他の部員たちも力なく、けれど確かな意志を宿した瞳で頷いた。鳳仙さんの言った「絶望という名の薬」は、劇薬となって彼女たちの血肉に混ざり始めていた。


「ふん。ようやく使い物になりそうな顔になったな」


鳳仙さんが、白河さんと共に歩み寄ってきた。二人のウェアもまた、尋常ではない発汗で色を変えている。鳳仙さんは私の前に立つと、値踏みするようにその瞳を覗き込んできた。


「水瀬。貴様の『波』は、西園寺のシステムを喰らってさらに研ぎ澄まされたようだ。……だが、忘れるな。明日の対戦相手は、今の彼女たちではない。……私と、こころだ」


「……はい。わかっています」


鳳仙さんの背後で、白河さんが静かに、しかし燃えるような闘志を秘めて微笑んでいた。


宿舎へ戻る道すがら、西園寺の静かな庭園で、私のスマートフォンが短く震えた。画面には、兄・湊からのメッセージが届いていた。


『西園寺の城はどうだ。鳳仙雅に食われていないか』


短い一文。けれど、その裏には彼がかつてこの場所で味わったであろう、圧倒的な重圧への理解が込められていた。


『食われていません。むしろ、西園寺の皆さんの力を借りて、私の波はもっと大きくなりました。明日は、私がこの城を飲み込みます』


送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。


『なら、好きに暴れろ。お前の波は、誰にも止められない』


湊兄さんの言葉が、疲弊した私の心に温かな火を灯す。


「みゆ! お風呂、先に入っちゃうよー!」

遠くから美咲たちの元気な声が聞こえる。星和の仲間たちもまた、西園寺の別メニューでボロボロになりながらも、その表情にはかつてない充実感が溢れていた。


夜の帳が下りた西園寺の城。

窓から見えるコートは、明日の決戦を前にして、静まり返った湖面のように月光を湛えている。


(……兄さん。私、明日、星和のエースとして……鳳仙雅に、白河こころに、真っ向から挑みます)


私の瞳の奥で、水色の色彩が深夜の闇を静かに、しかし鋭く射抜いていた。

おはようございます。

作者のFERILUです。


『神様の身代わりー光の兄と罪の妹ー』

を読んでくださりありがとうございます。


同い年の黒江さん2回目の登場です。

前回は苗字しか出ていませんでしたが、名前を入れています。



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