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05 幸せになることが、一番の復讐

「おぉ……」


 食卓に並んだ一皿に目を留めたサチさんが、小さく感嘆の声を漏らす。


 どこか苦々しく口を引き結びながら、どこか恨みがましい眼差しをこちらに向けてきた。


「ツバメくん。夜ご飯は欠かさず食べに来る私の分を、こうして用意してくれるのは感謝してるわ。ありがとう」


「どういたしまして」


「この美味しそうなご飯に文句を付けるつもりはないし、言える立場でもないけど……それでも、これだけは言わせて」


「どうぞ」


「この後、配信を控えている私に、こんな料理を出すなんて――拷問よ!」


 サチさんは悔しげに拳を握り、両手でテーブルを叩いた。しかしそこには、皿が揺れるほどの力は込められていない。あくまで感情を伝えるための芝居がかった仕草だった。


 本日の夕食は、手羽中のネギ巻きと、端材である手羽の先端から取った出汁を使った、野菜たっぷりのユッケジャン風スープ。ご飯をスープに入れてクッパにしようか迷ったものの、手羽中の脂身との相性を考えて、最終的にそのまま添えることにした。


「ビールなしでこれを食べろなんて……ツバメくんの人でなし!」


 手羽の串を前にして、サチさんは飲みたくて飲みたくて震えている。じっくり焼かれた手羽と香ばしいネギの組み合わせは、ご飯よりもむしろお酒のほうが似つかわしい。


 実際、参考にした動画でも、おつまみとして紹介されていたのだから無理もない。


「わたしは飲ーんじゃお♪」


「外道! きさまこそ悪魔だ!」


 冷蔵庫へと向かったユエさんに、サチさんはこれまた悔しそうに指を突きつける。


 ユエさんは取り出したビールを両手に一本ずつ、小顔の左右にぴたりと当てて見せびらかした。


「さっちゃんは飲まないのー?」


「……飲む!」


 かくしてサチさんは、悪魔の囁きにあっさり屈したのだった。


 四人で手を合わせて「いただきます」を唱えると、サチさんは齧り付くなんて慎ましやかなことはせず、串に刺さった手羽中をまるごと口いっぱいに頬張った。それが喉を通った瞬間、缶を傾けてぐびぐびと飲んだ。


「あー! 思ったとおり、この組み合わせは犯罪的ね!」


 口内の脂が綺麗さっぱり流れたのか、サチさんの顔には多幸感が広がっていた。


「この後の配信、大丈夫なんですか?」


「大丈夫、大丈夫。一本くらい、飲んでないのと一緒よ」


 隣のカグヤ先輩の心配を、サチさんは軽く流すように手を振った。


「そもそも一本で足りるの?」


「二本も飲めば、潤滑油的に口も回るからね」


 ユエさんの疑問を飲み込むように、サチさんは缶を傾けて喉を鳴らす。


「カグヤちゃん、今日は泊まってくの?」


「はい。常備用のお泊りセットも、今日は色々持ってきました」


 サチさんの問いかけに、カグヤ先輩はニコニコと楽しそうに頷いた。


 泊まりに来るのは月曜以来で、久しぶりというほどではない。けれどカグヤ先輩のテンションは、まるで一ヶ月ぶりに会ったかのように高かった。


 夕飯の買い出しをしている間に来ていたカグヤ先輩は、ご飯が出来るまでずっとユエさんとゲームをしていた。だから自然と、来たばかりのサチさんが話の中心となった。


 活動再開一発目のゲーム配信で、彼女が選んだのは『御伽ネット』。陰謀論系の怪作を、頭にアルミホイルを巻いてプレイする姿が話題となり、ツイッターではトレンド入りを果たした。その日の配信は同時接続数でも堂々の一位を記録し、話題性としては文句なしの船出だった。


「ま、活動再開一発目って話題性があってのものよ」


 サチさんはそう謙遜したが、そんな一位を話題性だけで掴める人間が、果たしてどれだけいるだろう。


 こうやって気軽に接していると忘れそうになるが、サチさんはVチューバーという枠を超えて、配信者の中でも上位に位置する存在なのだと、改めて思い知らされた。


 二日目以降も配信活動は順調で、視聴者数も再生数も、炎上前を上回っているようだ。それも日を追うごとに、なだからに右肩に下がってはいるが――


「この調子だと、炎上前くらいに戻りそうね」


「せっかく勢いがついたんだから、登録者も一気に伸びればよかったのに。ちょっと残念だね」


 ユエさんが少し眉を下げて呟くと、サチさんはゆっくりと首を横に振った。


「あれだけの炎上をやらかして、活動休止で四ヶ月も放ったらかしてたのよ? しかも、その間一ヶ月近く、ツイッターは乗っ取られたままでさ。それでも、これだけのファンが待っててくれた。それがわかっただけでも、もう十分過ぎるくらいよ。残念なんてとんでもない。ありがたすぎて、涙が出るわ」


 その口調には、じわりと込み上げる感情が滲んでいた。サチさんはそれを誤魔化すように、ビールを一気にあおると、空いた缶を差し出して二本目を所望した。


「残り一年のつもりで、帰ってきたんだけどなぁ……」


「残り一年って?」


「セインとしての活動よ」


 僕がビールを手渡しながら尋ねると、サチさんはあくまで軽い口調でそう答えた。その自然過ぎる言い方に、意味を理解するまで少し間が空いた。


「「え、卒業するんですか!?」」


 カグヤ先輩と同時に、僕は叫んでいた。


「卒業って……Vチューバー辞めちゃうの?」


 元アイドルという立場もあってか、ユエさんは言葉の重みを察して目を見開いた。


 その視線を受けて、サチさんは苦笑を浮かべる。


「元々ね、セインの花道を飾るつもりで帰ってきたのよ」


「花道を飾る?」


 ユエさんは首を傾げる。


「炎上した当初はさ、もうなにもかも嫌になって、衝動的に高飛びしたの。それが一ヶ月もするとね、セインを続けなくても生きていく道なんて、いくらでもあるんだなってわかったの。ちゃんと稼いで、貯めてもいたからね」


 サチさんは冗談めかして、親指と人差し指で円を作って見せた。


「でもね、もう一ヶ月すると、今度は怒りが湧いてきたのよ」


「怒り……ですか」


 僕は席につきながら、自然と問い返していた。


「ファンを裏切った報いなら、こうなったのも自業自得かもしれない。でも、私のことなんて好きでもなんでもない連中に燃やされて、潰されたみたいに終わるのが、なんかムカついてきたのよ」


「関係ない奴らがどうこう言ってくるのって、ファンからしても腹立ちますしね」


 カグヤ先輩が同意するように、力強く頷いた。ヒィたんではないが、その弟も最近、ファンでもない連中に燃やされていた。


「だからね、このまま辞めたら、そいつらに負けた気がして悔しかったの。だったら、やりきってやろうって思って――もう一年は、なにがあっても活動を続けてやるって決めたの。最後にはちゃんと笑って、祝福されて卒業する。それがファンへの礼儀であり、奴らへの復讐なるからね」


「復讐……」


 思わず、その言葉を繰り返してしまった。


 サチさんは口の端を上げて、いたずらっぽく笑った。


「よく言うでしょ。幸せになることが、一番の復讐だって。――綺麗事かもしれないけど、でもそれをやりきれたら、あの炎上騒動はただの苦い思い出じゃなくて、『あんなこともあったな』って笑える日が来ると思ったから」


 幸せになることが、一番の復讐。


 たしかにそれは、どうしようもないほどに綺麗事かもしれない。でもなぜだろうか。その言葉まっすぐ届いて、胸にすとんと落ちていった。


「というかもう、自分の中で昇華できちゃったのよねー」


「というと?」


 ユエさんが尋ねる。


「不安はあったんだけどさ。いざ活動再開してみたら、配信が楽しくて仕方なくてね。気持ちが炎上に引きずられないで、完全に前を向けちゃってるの。だからもう、『一年は』って気合入れなくても、続けていけるなこれって思ったのよね」


「つまり卒業は?」


「予定は未定。またなにかあったら考えるわ」


 その言葉が嬉しくて、僕は胸をなでおろすような安心感を覚えた。


 話題はそのまま移り変わり、取り留めのない雑談が続く。サチさんが「ごちそうさまでした」と手を合わせた、そのときだった。


「そういえばテルくん。あの手紙って、告白だったの?」


「告白ってなになに?」


 ユエさんが目を輝かせる。


「テルくんの下駄箱に、手紙が入ってたんですよ。封筒じゃなかったから、たぶん呼び出しの手紙かなーって思って」


「カグヤ先輩……もしかて、全部見てたんですか……?」


「た、たまたま見かけただけだから! 付いてったり、覗いたりなんてしてないからね!」


 慌てて弁明するカグヤ先輩の隣で、サチさんが深い溜め息をついた。


「あのさー、カグヤちゃん。私、この後、配信あるって言ったよね?」


「えっと、言いましたけど……それが……?」


「そんな面白そうな話をされたら、帰れるわけないじゃない!」


 残ったビールを飲み干したサチさんは、空の缶を卓上に叩きつけた。


「さあさあ、ツバメくん。三本で収まるように、とっとと吐きなさい」


 三本目のビールが確定したサチさんは、尋問官よろしくヒジをつき、不敵に笑った。

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百合の間に挟まるな! ~脅迫NTRもの展開を阻止した結果、百合の間に挟まれた件~
並行して連載しておりますので、こちらもお目通し頂ければm(_ _)m
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何言われたか気になるンゴ
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